朝日の昇る前の海を元旦に眺めた時、これからなにか始まるとか、なにか新しい意気込みやアイデアが浮かぶとか、そういうことは何もなかった。

ただ、私がここにいるのは偶然でも必然でもあって、この広いのか狭いのかよく分からない地球で、訳もわからずいまだに生かされているのだな、ということだけはあった。

どちらにせよ、最後の最後は神のご意志が働く。

仏門に生まれたとて、神様の方がなんとなく親近感が湧いたりする。

 

今週も、ハードワークに時間を費やしたが、いくつかよく分からない情報が飛び交ってきた。

職場に、現在も精神疾患があって休んだり働いたりを繰り返されている方がいて、その方が管理職に色々注文を出していることを知った同僚の人たちが、その人を非難しているというものだった。

 

骨折した人にしかその痛みは分からないし、お金の苦労をした人にしかその辛さやお金の大切さは分からない。

それと同じで、一度も疾患にかかったことのない人は、精神疾患の辛さをなんとなく想像で「これくらいだ」と仮定して軽く見ている節がある。

何かにしがみつくことをしたことがない人は、しがみついている人を見て馬鹿にしたりするが、

私は非難されるべき人じゃない人が非難されるのを何度も見てきて、他人に理解されようとすることに希望を持っていけないと思った。

 



ある程度自分の人生と距離を取っておいた方が良い。

この身体も思考も、自分のものではないのだ、と思っておいた方が良い。

「これは自分の人生だ」という無意識にこびりついた考えが、自分を苦しめている。「この人生を自分のものだと思っているから思考や過去を捨てられないのだよ。自分のもの、は迷いの始まりだよ。」

物体Xという、偏ったキャラ設定の私が生きていく物語なのだ。

 

そんなことを考えるようになってから、そこそこ仲の良い人には「私は明日死んでも良いように生きていますよ」と軽い口調で話している。

こうなるともはや現在進行形であり尚且つ完成形なので、おじいちゃんのような気分だ。

目に見えるものは何も得なかった私だが、ひたすら行きたい方向に進み続けて、得られるものなど何もなかったことに気づいた。

最初から何もないとは思っていたけど、やっぱり何もなかったので、実験が終わったのである。

 

なんでもそうだが、諦めたら時間が加速していく。

 ハードなことは多いのに、時間だけがやたら過ぎていくし、なにもなし得ていない。

この何もない田舎の生活は楽しいとは言えない。

これまで自分を運んできたこの私に、今から一体どこへ連れていこうとしている?とよく問いかけている。ひょっとするともう終わってしまったのかもしれない。

祈るように朝を迎えることが多い。