目の前のことをやる。


膨らむ妄想とそこから拡がっていく執着に絡み取られないように、目の前のことをやる。


頭の中のイメージは時にデザートにも毒にもなる。だからといって考えるのをやめることもできない。

だから目の前のことをやる。


自分の今の感情さえ分かっていれば、遠い間合いにいる他人からの忠告や助言は聞き流しても良いと思う。その他人さえ本当にその人の為に言っている訳ではないことが多いから。そこを見極めることができるかは、経験がものを言うと思う。


自分さえ良ければ良い、という人は世の中に一定数いて時に悪害をまき散らすけれど、その人さえも違う何かに巻き込まれてきたのだと、少し考えれば分かる。そうした無限の連鎖に巻き込まれて、縁や運のくじ引きに自分を委ねるのは嫌だから、目の前のことをやる。


それが間違いか正解か、それともそれ以外の結果をもたらすかなんて、自分の狭い視野ではわかり得ないんだと思う。目先の利益を横に置いて、上っ面ばかりの面白くない人間関係とも距離をとって、俺は目の前のことをやる。



そんな感じの自分です。

もうずっと前から。そういう性質なのかもしれません。

武士のような鋭さを持っていたいと思っていました。

世の中に出てみると、危険なことや狡猾な人が沢山いたから、自衛の為に、心という名の懐に小さな小太刀を忍ばせるようになりました。それは実際に私自身を守ってくれていましたが、勿論デメリットの部分もありました。


マザー・テレサのような博愛・慈悲的な人間は、相手の突き出すナイフを素手で受けて、血も流さず笑っています。そういう人にこれまで何人か会ってきて、きっと幸せを約束された人というのはこういう性質の人なのだろう、と感じていました。


慈悲が世界を救う。のかもしれません。

慈悲なきところに慈悲を。


その為に、目の前のことをやります。

自分が自分でいるために、目の前のことを愚直にやり続ければ良いと、本気で思っています。