VIAという性格の強みを診断する無料ツールをやってみたら、私の最大の強みは「審美眼」というふうに出ました。

協調性とか共感とかが私の強みかと思っていたけど、私は審美眼に長けているということらしいです。

何かを美しいと思う基準は確かに自分の中にあって、今思えばこれまでのどの瞬間にも、美しさを求める心があったのだとなんとなく気づきました。

 

 

苦しさやもがいている状態の中に、人の美しさがあると思う私のこの基準はなかなか周りには理解されなかったけど、

私の中の基準に照らし合わせれば、人の心の浮き沈みの沈みの部分には、この後浮くための余地が残されていて、

高度の低い位置から見上げた空が広く大きく感じるのと同じように思うことがあるのです。

 

実際には、もがいている時は空を綺麗に思ったり、浮くことへの希望を持ち続けることは難しいのかもしれません。

けれど、ほんの少しでもその重苦しい感情と距離を置けた時に、そういった余白を感じることはできるのかもしれません。

 

美しさというのは、単に美しいものを対象にしているとは思いません。

人間が生きているということを、もっと繊細に味わった方が良いとは、日々生活していて思います。

ここで書いてきたことは、良いことよりも、そうでないことの方が多かったですが、

ここにタイピングしているその瞬間の内側に、美しさを見つけようとしている自分がいたことに気づきました。

 

 

満たされている感情が怖い、という自分がいます。

それは以前、満たされた状態からそうでない状態に吹き飛ばされたことがあって、その時の衝撃を体が覚えているからかもしれません。

良い状態を保とうと思えば思うほど、少しの障壁や少しの傷が、大きなダメージになってきました。

だから低い状態にいた方が楽だ、と勝手に自分に言い聞かせてきたのだと思います。

 

どれも、自分の弱さであり、どれも自分の持つある種の美しさかもしれません。

自分の弱さに気づく時、明確に自分の大きさがわかってきます。

抗うことよりも、受け入れていこうとする自分の方が、この世界の流れに沿っていると思ったりします。

 

この小さなコミュニティ空間で触れるもの、間接的に関わる人、

そのどれも私は美しいものだと思っている気がします。

なぜそう思うのか私には分かりませんが、これまでにいくつもの人間関係を断ち切ってきた私にとって、

今関わりがある人は今の私の審美眼の基準に反応を示すものなのでしょう。

 

なんか偉そうに聞こえますし、少し傲慢に聞こえるかもしれませんが、実際にそう思っているのなら、思ったままに書くことにします。今日は少し酔っています。こういう時に良い歌詞が書けたりします。

 

最近はこの曲を気に入って聴いています。