今日は、私の人生では1・2年に一度くらいの頻度で起こるトラブルデイで、疲れ果てて帰ってきました。

クレームが来て、私がその矛先になっていたので、謝罪するという流れを終えてきました。 


これがクレーマーというものか、という感じの非常に攻撃的な方だったので、まぁあまり思いだしたくもないのでそこは省略しようと思います。

 

昨日は吐き気がして、今日も少し時間休をもらって頑張って仕事に行って、やるべき謝罪をして、まぁ「無」の気持ちで帰宅しました。

よく頑張ったなぁと。少し強くなったかな?



マインドフルネスという言葉がありますが、私は日常的にそういった感覚を持って生活しています。

私が私であることを拒否することはできないので、私は私を常に俯瞰して、「こういう生き物なんだ」とまるで飼育ケージの中の自分を眺めるようなイメージで見ています。(例えが悪いですね笑)


多分これは20代の頃に仏教を勉強し、そこから派生していった行(ぎょう)の勉強と、自分が昔1年お寺でやっていた坐禅やそこで得た人生訓(目の前のことをただやる、etc)をリンクさせて、人生とはこういうものだと解釈しているからだと思います。

 

と言っても体は素直に反応し、嫌なことには嫌と明確にサインを出してきますし、その度にそのマインドフルネス的俯瞰状態から離れて自分中心の世界に逆戻りします。そんなことの繰り返しです。

 

きついことがあると、この先に別のきついことがあった時に比較して「あの時よりはマシか」と少し余裕を持てる気がします。

楽しいことはいつもその時だけで、自然と流れ去って忘れてしまいますが、しんどさやきつさ、苦しさは自分の中に残って何かしらの教訓になってきました。その度に自分の心の皺も深くなっていくのかもしれません。

 

運の良し悪しとかそういう要因もありますが、それ以外にも自分で修正できる部分はあって、それに気づくための行だと思っています。

ただこの生き方は、ある程度スタミナや体力、精神力を必要とするので、決して万人に勧められるものではありません。私は弱いのにも関わらず立ち向かってしまう馬鹿なタイプなので実際に摩耗してはいますが、私が10年前に戻っても、今までと同じことをするだろうなと思います。だからこれで良いのです。

 

今日の午前中、最寄り駅まで行く道すがら、「この人生は、多分俺にしか真似できない人生だな」と意味不明な満足感が少し湧き上がりました。誰にも勧めらないし、心配されるばかりなのに、、、少し変なのでしょう、私は。笑

でもどれも自分で選んできてますからね。自分という生き物が。

 

マインドフルネスの話をしたのは、人が自身に起こることに、その人に責任があるわけではないということを、思いだしたかったのかもしれません。

抗えないものの中を、自分の意思と呼ばれる借り物(意思や思いも借り物だと私は思ってます)を使って、向かいたい方向に足を出すだけなのでしょう。



「余裕」

最近はこの言葉が好きです。

「調子どう?」と聞かれたら

「色々あるけどさ、余裕🤟」と言える心境でいたいなと思います。


今日もお疲れ様でした。☺️

まだまだ余裕っす🤟