毎度同じパターンだよね?
と言われかねないことを繰り返していて、さすがに仲の良かった人も愛想をつかしてきてる感じが少しします。
いくら親しくても日々感じていることを正確に伝えるのは難しく、離れていく感覚というのははっきりと感じるものです。
生きることよりも、死とはどういうものか、という方に生きる目的が隠されてる気がして、この1年くらいは毎日、それを考えていました。
全然ネガティブではないですが、決してポジティブでもない、中庸を生きています。
何かもの寂しげな儚さを放っているものや、人知れず元々の美しさを保っている人や物など、人は本来ひとりで生きているのだと証明するようなものに惹かれていく自分がいます。
昔から人というものをあまり信用してこなかったなぁと。
それが僕自身を固くさせてきたけれど、同時にタフにもしてきました。
生きるのはそんなに難しいことではないと思っていたけど、私が私自身であろうとすればするほど、どんどん難しくなっていくように思いました。
「デミアン」冒頭部分
「私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか。」
23歳くらいの頃にこの冒頭の文章を読んで感銘を受けて、デミアンを友人に強く勧めた記憶があります。友人はちっとも分かってはくれなかったけれど。(笑)
ヘルマン・ヘッセは好きです。現実性と非現実性のバランスが特に。
僕は、世の中に居場所がないと思っているような人と関わりたいという願望がある気がします。私自身がずっと居場所がない状態だったからかもしれません。関わりたい人と関わっていくことで、私の居場所は作られていくものだと、そう思います。自分を助けるために、人の支えになりたいなと思う自分てす。
日々関わる人は変わっていって、過去の人達は遠ざかっていきます。
もう会わなくなった人たち。彼らと過ごした時間。
遠ざけたのは私が負い目を感じていたのもありますが。
仲の良かった人が知人のポジションに変わっていく虚しさは、人生の儚さと似ていて、なにかサラサラしている感じがします。
今がそうであっても、過去に共有した時間は決して価値を失ったりしないと、そう信じています。

