ブレイクスルーする時は、いつも事後。
昔、ギターがまだ素人で弾けなかった頃、FコードやBコードなどの押さえにくいコードに、普通に挫折した。
そのコードを弾くこと自体を目標にしていたからなのか、ずっと弾けなかった。
ギターなんてつまらねぇなぁと思って一度はギターを押入れにしまった。しばらくして、別のイメージが浮かんできた。
これはあくまで俺なりの陳腐な自己表現なのだから、型にこだわるのはやめよう。俺はギターが弾きたいんじゃなく、表現がしたいんだ。
そのあたりから、弾きづらいコードの練習はやめて、好きな曲のコードをひたすらに弾き始める日々が始まった。毎日ずっと同じ曲を弾き続ける。昼も夜も馬鹿みたいに下宿で4つのコードを弾き続けた。夜弾いていて、隣の人から苦情が来たこともあった。
1・2年続いた頃、妹の前で弾く機会があった。
「あれ、こんなにうまかったっけ?」と言われた。
いつのまにか、以前ぶち当たっていた「コードが弾けない」壁を越えていた。F もBも普通に弾けるようになっていた。
自分のやり方でやろうと思えた時に、透明な道も、はっきりした道になる気がする。意味不明に弾き続けた2年程度は、「楽しさはあるけど、こんなのが何になるんだ」と思う時間でもあった。けれどそんな初級の基礎訓練のような時間が、後の曲作りにつながった。
弾き語りがしたかった訳ではなく、ただ自分が出したい音を、ちゃんとした場で出してみたいと思った。そのイメージは、未来に青や紫の鮮やかな色を放っていた。
今もそういう光はあるかな。
必要なのは、そういう類の光だと思う。
積み上げても何にもならなそうなことが、後に振り返って積み上がっていることがある。
「こんな時間、その辺に捨てられてる空き缶と大差ねぇよ」と思っているようなことに。
仕事も何にもできなかった2年間があったから、「外は怖いけれど、このままじゃいけない。」と思って外に出た。
ちゃんと定義できない中途半端な時間こそ、時間が経ってから、
「あの時があったから、今がある」
という時間になった。
私も2066年には80歳になっている。生きてればだが。2100年にはもはや自分を知る人間は殆どいない。ちょうど100年後の2124 年には、私は名前すら消えているだろう。
確かにそう思うと、どんな風に生きたとしても、大したことはない。
大したことはないのなら、もうちょっと思いつきで生きても良いのだ。
ほんとはもっと、何も考えず生きても良いのだ。

