カウンセリングや傾聴で「答えは無いんです」といわれる。
答えは相手が見つけていくもので
それを支えるのが聞く側、受けてだといわれる。
ついつい、アドバイスをしたくなったり
鼓舞させる言葉で勇気づけたり
大丈夫と口にしたくなったり・・・
これは、余計なお世話らしい。
わたしたちは日常、困ったときに励ましの言葉として
尊敬する人からアドバイスされたり
慰められ、勇気づけられ
自分で何とか乗り越えられるものです。
が、
娘を見ていると乗り越えるまでの時間の長いこと。。。
わたしゃー、抱え込んで一人で悩み続けることの方が
悩みを解決しようと動くよりズットズット根気がいると思うのよ。
だけど他人と向き合うよりも
「自分と向き合いたい」というし、
他人に話すより
「自分で何とかしなきゃいけないんだ」
というのです。
その理由をもって不登校を許していいのかどうか。。。
親として悩みどころ。
で、私は許してしまっているのですが、
海でおぼれたみたいに苦しいわけです。
答えが出ない苦しみ。
答えを出せない苦しみ。
答えが無い苦しみ。
早く答え出ろ🎵
はよ、答えだして仕舞え🎵
隣にいて何度念じた事か。
思春期の悩みなんですかね
学校に行かなくてもいいから勉強だけやるのだ🎵
勉強する場所に行けばよいのだ🎵
他はどうにでもなる。
ホント、どうにでもなる♪
・・・なんて娘に言ったら、たぶん彼女はこういうはず。
「勉強に向かう気力があったら学校に行ってる」
私自身も思い悩み、考える気力が無くなればいいのに、
やはり気になる三食昼寝の不登校娘。
このモヤモヤを笑い話に変えながら
明日も娘とのモヤモヤは続くのである。