娘が不登校になってから

娘と学校に深く、長くかかわった。

 

講演会、フリスク、塾、学校、相談、教育委員会、カウンセリング、病院・・・

「不登校」と名がつけば、とにかく足を運んだ。

調べたメモ、語った唇、教えてもらった。

 

 

場違いな場所もあったし、

主催の意図とズレた質問をしたことも。てへぺろ

 

お金も時間も費やした。

 

術後すぐから頭はフル回転スタースタースター

 

 

ある時、ふと

私自身が学校への不信感が学校トラウマになっていないか?と気が付いた。

娘が通っていた小学校とその地域への拒否感が半端ない

 

 

踏ん張れた理由はそのトラウマがあったからだと思うけど、

「小学校のだめ教員どもを見返してやる!」

「うちの娘を、こんなことでダメになどするものか!」

と怒りと悲しみとハングリー精神が過剰に働いていました笑泣

 

 

娘とたくさんのチャレンジをし、

絵画、まんが、歌は彼女の気持ちの灯になってゆき・・・。

 

 

色んな所に出かけた。

会津に二人修学旅行した。

ニコニコ「小学校で一番楽しかった学校行事だった」と言われて泣いたっけなぁ。

 

東京、弘前はじめ

文化や産業、人物について色んな話をしたり、

私の大学卒業では娘も卒業式に参席。

声楽コンクールで歌う姿を見せ、地方から東京へとステージに立ち受賞できた。

 

娘がいたから、私も頑張れた。

 

お金も、時間も、体力も 全力投資した4年間。

 

 

5年目の今年・・・なんかとっても疲れた。滝汗滝汗滝汗

 

 

色んなエラーも出ちゃったからもやもや

 

何もしない時期をつくり

娘への声掛けもやめたんだっけ。

 

 

 

代わりに歌のコンクールに出るようになった娘は

嫌がりながらチャレンジを続けあせるあせるあせる

さまざまな人と出会い、

みんなのチャレンジを目の当たりにし

指導を受け

壁を自覚し(つつある)。

 

 

ひらめきキラキラ「音楽関係の学校に行きたいのです」

 

と、いろいろな人に進路を語るまでに。

 

 

動き出した理由はさっぱりわかりません。

 

真顔「今年 頑張んないと私がダメになるから」と言うまでに。

 

 

時期だったのかもしれませんが、

停滞の中にも成長が見えるこの頃です。