マッチングアプリで出会ったKさんと三度目の夏を迎えている。

会った回数はもう数えきれない。けれど、私たちは暗黙のうちに一線を引き、決して踏み越えないようにしてきた。お互いに家庭がある。言葉にしなくても最初からそういう前提だった。



Kさんは外資系企業に勤めていて、年に数回は海外出張へ行く。6月にホテルに宿泊したとき、ふいに言われた。



来月ロンドンへ行く。一緒に来ない?



一瞬、冗談かと思った。でもKさんはそういう冗談を言う人じゃない。



ホテルのベッドは広いし、フリーの日も作れる。僕が仕事の間は好きなことをしていていいよ。もし🍋が行けるのなら、航空券は僕が手配する。



胸の奥で心臓が強く鳴った。夢みたいな言葉。けれど、それが現実になった瞬間、夢は重さを持った。パスポート。航空券。つまり、名前を伝えるということ。



私の本名、知らないもんね。



Kさんは少し困ったように笑った。



そう。だから、教えてくれたら嬉しい。



帰り道。食器を片付けながら。湯船に浸かりながら。私は何度もiPhoneの画面を見つめた。いっそのこと自分で100万円の航空券を取ってしまおうかとも思った。でも、海外に同行するのなら、どちらにしても名前は隠しきれないだろう。行くと返事をすることは、自分から境界線を越えるということだった。



たかが名前ひとつ。けれど、それは何もかもを暴きかねない鍵でもある。Kさんが私の本名を知れば、あらゆるものが芋づる式に辿れてしまう。私たちの関係が終わりを迎えるとき、もしものことがあったとき、私には全てを失う覚悟ができていない。



私はとっくにKさんの名前を知っている。LinkedInのプロフィール。会社のウェブサイト。過去のインタビュー記事。でも、Kさんは私の名前を知らない。それは、私だけが持っている自由だった。







学生時代に見上げたロンドンの空は、いつも灰色だった。その湿った空気は楽器の音をよく狂わせて、私を困らせた。Kさんと行ってみたい。でも、名前を渡してまで?



教えてくれたら嬉しい。



その声が、耳の奥に残っている。

返事のメッセージを打っては消し、打ってはまた消す。



飛行機は、まだ、飛び立たない。