どんなに胸の中で怒りが渦まいていても、男と喧嘩をするときは、3割の力で戦うべし。男が腕力に物を言わせてはいけないように、女も全力で物を言ってはならない。男のプライドを傷つけたり、逃げ道を塞ぐと関係は終わる。私はそう思って生きてきた。




いつもの待ち合わせ場所にいたKさんはイタリアンマフィアみたいだった。


ただでさえ怖い見た目なのに、なぜ今日という日に怖いアイテムを投入したのだろう。歩き始める前に二人で笑ってしまって、真剣に向き合う機会を逸した。




部屋に入って、マッサージ機に座ったKさんから、最近の仕事の話を聞く。アメリカ人の上司とのやり取り、英語のわずかなニュアンスがもたらす弊害。


私は味方だよって、Kさんの背中に手をまわす。距離が縮まったところで、Kさんが切り出した。




で。どうしたの、この間は。


…ううん、どうもしない。


どうもしなくはないでしょう。言ってみて?




性病検査の結果を控えたときに、急に不安な気持ちが頭をもたげたんだって、ボソボソと歯切れの悪い説明をした。




先に話してくれたら。心配いらなかったのに。


だって…他の人と遊んでいいって言ってたのは、自分が遊んでるからでしょ。


違うでしょ。そんな意味じゃない。




Kさんがソファに座り直しながら、私と距離を取る。




LINEをもらってから考えたんだよ。出会いも出会いだし、信用できない気持ちがずっとつきまとうなら、どうしようもない。つまり…僕が身を引くべきかと。




うん。




ううん、じゃなくて、うん、と返事したら、Kさんが言葉に詰まった。


ああ。穏やかな口調で、お互いに傷つけ合うのを今すぐに止めたい。子どもがまだ小学生の頃、怒っている途中なのに、もういいのよって抱きしめたくなっていた。まさに今、そんな気持ち。




でも、れもんとこの関係になってから、他の女の人と寝たことはないよ。それは誓える。




Kさんが嘘を言っているとは思わなかった。でも、これは、結果から逆算した誠実さ。


チャンスは探していたんでしょう、とサイトのことを口にしたら、確実に関係は終わる。




私はKさんのこと、信じてるよ。




これも本心だった。1年半の付き合いで、彼の家族や仕事、社会への向き合い方から人間性は見てきたつもりだ。




Kさんは私が聞いてもいないのに、サイトにアクセスしているのか、いないのか、分からないような話をした。仕事を向上させるためにレアキャラ同士のコミュニケーションが必要だとか。


疲れてきた私は、ああそう出会えるといいね…と、ちぐはぐな相槌をして、ベッドに寝転んだ。




シワになるから脱いだほうがいいよ。




今日はシワなんてどうでも良かったけれど、そう言われて、のろのろと1枚ずつ脱いでいく。バスローブを取ってくれる?と言って、ワンピースをどこに置こうか迷っていたら、Kさんがバスローブを持って近づいてきて、私が脱いだ服たちをサイドテーブルに放った。




後ろ、取っていい?




首筋からKさんの唇が降りていく。背中のホックに手をかけられた。待ってシャワーを…と言う前に押し倒される。電気を消したいという言葉も今日だけと押し切られた。


ねえ。今日だけっていうのは、今日はお別れしないということ?それとも今日が最後ということ?あなたが本当は何を考えているのか私には分からない。きっと、あなたにも私のことは分からない。天井のライトが目に入って眩しくて滲む。




Kさんが、先程までとは打って変わって前置きがほとんどないまま本題に入る。あっ、と小さい声が出る。リズシャルメルの柔らかい肩紐が左腕にひっかかっている。抜いてしまいたいのに手首を掴まれていて身体を動かせない。




静かだった。流れを止めたらいけない気がして、なぜか二人とも急いでいた。


数十分の後、Kさんから長い息が吐き出されるのを聞いて、ようやく私も目を閉じた。瞼の裏に浮かぶ何度も見た画面。あんな嘘つきだらけが集うサイト。砂漠の砂の中からやっと見つけた一粒を手離したら、もう二度と見つからないって分かっている。




手を離したら、Kさんとはもう会えない。