1週間前の電話でレミちゃんが言っていたことが、今さら気になっている。
水着を持ってきて。
持ってるなかで、1番セクシーなやつ。
そんなことを急に言われたって、水着なんて、スイくんと湘南に行ったときのものしか持っていない。
夏が終わって、渋谷の丸井からも水着売り場はとっくに撤収していた。
ま、なければ借りちゃえばいいから。
目の前では、一緒にバンに乗り込んだ女の子たちがバッグから派手なビキニを出して見せ合っている。
愛想のないレミちゃんの声を信じて、この場に来てしまったことを激しく後悔した。
海に近い高級別荘地が近づくと、さっきまではしゃいでいた女の子たちも、鏡を覗き込みながら真剣に化粧直しを始めた。
バンから降りると、運転手から、左右に白いレンガが積み上げられた道を歩くよう言われた。
頭上にはプレパラートのようなガラスの天板が何メートルも先まで続いており、夕日を反射させている。
ここが庭なのか、それとも建物の一部なのか、さっぱり分からなかった。
しばらく歩くと豪華な建物が目の前に現れた。
数年前に家族で南仏を旅行したときに見た邸宅を思い出した。
ロココ調の装飾が施されたホールのような広いリビングに私たちは通された。
テレビで見たことのある顔が、部屋の中央で話し込んでいる。
リビングの奥に進むと空気が紫色に淀んでいた。
何のにおい?なんだか気持ち悪い…。
逃げるようにして掃き出し窓から外に出ると、10メートルはありそうな大きなプールがあった。
後ろから、水着姿になった女の子たちが我先にとやって来る。
水着を忘れちゃったんで、下着で入りまーす。
ネコの耳を付けた豹柄のブラジャーの子が真っ先に飛び込んだ。
水しぶきが上がると同時に感嘆の声と拍手が聞こえ、それが合図だったかのように女の子たちは次々とプールに飛び込んだ。
日が沈み、水中でルミカが怪しく光っている。
あの、私、水着を忘れて。
水玉の水着が入った袋をカバンの底に押し込んで、シャンパンを差し出してきた人に伝えると、すぐに2階へ案内された。
借りた水着は、まるで何かの景品かと思うほどペラペラの生地でできていた。
こんなのとても着られない。
心の底から後悔して、帰りたいと思った。
庭の隅で気配を消していると男が私に向かって大声を出した。
おい、突っ立ってないで早く入れよ!
金髪、カラコン、焼けた肌に金のネックレス。
エトセトラを考慮するまでもなく、どう見ても普通の人じゃない。
胸の前で腕をクロスしたまま、私は立ちすくんだ。
こんな薄っぺらい水着で水に入ったら、きっと透けてしまう。
真っ赤な口紅でシャンパンを飲んでいる中年女性がこちらを一瞥して叫んだ。
なんなの、このグズグズした子!
けばけばしい口から発せられた言葉に周りも笑いながら同調する。
年上の女性には親切に助けてもらえるものだと無意識に思っていた。
年上の男性には可愛がられるものだと当然のように思っていた。
自分の若さに絶対的な価値があることを信じて疑わず、どんなときも頼りにしてきたのに。
助けを求めるように四方八方に視線を投げると、室内にいるレミちゃんと目が合った。
暖炉のそばのソファーで男性の膝の上に座って、胸に手を回されている。
ガラス越しにもレミちゃんの顔が引き攣っているのが分かって、私は驚愕した。
あのレミちゃんが恐れている!
あの子、最近やばいかも——
美人ちゃんの言葉を思い出した。
レミちゃん、何を怖がっているの?
ガラの悪い男の人たちを?有名人たちを?レミちゃんにとって、一番の居場所だったはずなのに。
周りが、早く!早く!と急かし始めていた。
30人以上いるこの空間に、誰ひとりとして私を思ってくれる人がいないことが恐ろしかった。
人生でこんなに心細かったことはない。怖い。
レミちゃんが俯くように私から目を逸らした。
六本木で初めて会ったときから憧れていた。
クールでかっこいいレミちゃんだから、黙って振り回されてきたのに、
今になって、そんな顔しないで。
いいから、早く飛び込めよ!
声が聞こえた瞬間、背中を強く押された。
息を吸う時間もなかった。
あっと思ったときには、既に、私は全身を冷たい水に包まれていた。
どうか水面に上がるまでに、この悪夢から覚めていますように。
けれど、私の願いは届かない。
聴覚がクリアになった瞬間、聞こえてきたのは弾けるような嘲笑だった。