今回は不倫話ではなく、子どもの教育について、ちょっと思ったことを書きます。
Kさんとの逢瀬の帰り道、一人で電車に乗っていたときの話です。
私は、お受験が盛んで幼児教室がたくさんある地域に住んでいます。
ある日、お母さんと年長の女の子が電車に乗り込んできました。時刻は14時過ぎ。幼稚園が終わり、幼児教室に向かっているのでしょう。
お母さんは女の子に
数字の40、10の位は何?1の位は何?
30には10が何個?
と質問しています。
女の子は一生懸命にお母さんの質問に答えようとしますが、10の位と1の位が反対になってしまったりして、時々間違えます。
間違えるとお母さんはヒステリックになり、女の子を口汚く怒ります。聞いていて、心が苦しくなるような言葉遣いです。
女の子は必死で、あ!今度こそ分かった!と健気に答え直したりするのですが、お母さんは容赦しません。
我が子たちは中学受験を経験しています。
小さい頃から公文に通い、サピックスに通い、今も有名塾に在籍しています。
一人の子は、公文ではトロフィーをもらい、サピックスでは組分けメダルをもらい、毎回模試では成績優秀者に名前が載ります。
けれど、生まれつき理解が早い子ではなかったし、私が勉強をサポートしていた頃は大変でした。中学生以降は勉強にはノータッチですが、未だに大事なテストで 2×2 を 2 にして失点したと騒いでいます。
超進学校ですが、周りの友人も、天才ばかりでなく様々。親に睡眠時間は無駄だと言われ、遅くまで勉強する子。ストレスで自傷行為をしたり、不安定な言葉を口にする子もいるそうです。
Kさんと教育方針について話すことがあります。
お互いが信念としていること、それは
親が子どもにできる一番大切なことは、どんな世の中でも子どもが生きていける力を身に付けさせる、ということ。
生きていく力は、学力だけではないと思います。
我が子も今までが順調だからといって、大学受験、就職試験、結婚、その他…全てがうまくいくとは限りません。大人になって、理不尽な思いをしたり、思いがけない災難が降りかかったときに、親がしてあげられることは多くありません。
子ども自身の愛された記憶、自分のために一生懸命になってくれた思い出や自分を信じて勇気づけてくれた言葉、そういうものが、この世の荒波を乗り越えようとする力になるのだと思っています。
電車のお母さんは、幼児教室の時間が迫っても10の位の数字を理解できない女の子にイライラしていたのでしょう。電車降りるときに、死ねという言葉を発しました。
お母さんは不安なのだと思います。愛する娘の将来が心配で仕方なくて、自分を安心させてくれない娘に当たっているです。
電車の1つしか空いていない座席に、娘を座らせ、自分は必死で娘に問題を出していく。手には、重たい自分のバッグと娘のバッグ。
周りの目なんか気にならない。娘が合格すれば、娘に良い環境が手に入る。娘の将来より大事なものはない。今この問題ができなければ、それは叶わないーー。
どうかお母さんの愛情が正しく女の子に伝えられますように。
不安を抱えて追い詰められるような子育てをしなくて良い方法が見つかりますように。
女の子が世界を楽しいところだと思って育ってくれますように。
少しの歪みが重なって、私みたいに、大人になったときに溺れてしまうことのないように。