しばらく前から東京は今よりもっと海の面積が多かったことを知り


どうやって、どうして今のような姿になったか興味津々。







ずーと前にフラりとお出掛けした関宿城。確か利根川の東への移動が勉強できたような。


暇なお休みに行ってみた。地味な所だった記憶だけと、今とても行きたい。


なるほど、はじめは利根川が東京湾に流れ出てたんだ。

そして少しずつ少しずつ人の手で東に移していったんだあ。江戸で利根川が氾濫したら大変だもんね。で銚子から関宿まで東北などの物資を船で運び、そこから江戸川に入り江戸にものを運んでいたんだね。なぜなら、船でぐるっと廻って南の方から江戸湾に入ろうとすると銚子おきが波が荒く危険だから。


浅草や上野で水害が出たときの写真も展示してあって、凌雲閣が遠くに見えるような所でも水浸し。ひゃーこれは大変だ💦



時間の流れまで覚えてられず、私のなかでごちゃごちゃなので何があったから何をしたまでは分からないのだけど

江戸市中に水が多くいかないように江戸川にはいるところを細くして、川を逆流させて利根川に流してしまったり、その利根川自体も水運として利用するより、水害から守ることを行政が第一に考えるようになったりして今の形になったらしい。今は町や市民を守ること考えてスーパー堤防にお金をかけてるもんね。素晴らしい。


どっかの町の人工的なLakeは水害から守るはずで作ったはずなのに、副次的な観光資源としての利用に目がくらんでいるんじゃないかしら。


普段からもっと水抜くべきじゃないの?水たっぷりだけど、いざというとき溢れんばかりだったじゃないの!

過去の素晴らしい治水事業をここに来て学んだらいいんじゃない?


小さな博物館だけど、一枚一枚の展示物にへ張り付いて読み解くと面白い。例えば、時刻表。

明治時代には人の交通にも川が大きな役割を果たしていて、蒸気船が関宿から東京まで定期的に出ていたらしい。上野からは蒸気機関車が流山の方を通り、春日部の方面には馬車が人の足だったと。どんな人がこの時刻表みて、それらを利用してたのかなあ。


蒸気船は海外の技術を入れて交通の要としていたみたいだけど、上に書いたように

水害が時々問題となること、また時代の流れで鉄道網が整備され、川は利用する対象から川から町を守ると言う考えにかわって蒸気船は姿を消したみたい。今もあったら雄大な姿だったでしょうけど、むしろない判断を下したことに◎


野田は醤油、流山はみりんが有名だけど、これもかつては関西から持ってきていたのだけど、利根川周辺の人たちが、頑張って製造しはじめ、今に至るらしい。当初の美味しい醤油番付も残っていて、ほほ~この会社はこんなに古くから美味しかったのかと。


川の周辺には魚河岸もたくさんあって、80以上だったかな?賑わっていたんだって。

そういう目で町を眺めると、古い建物もかつての繁栄のあとなのかと納得。

あー面白かった。またこよう!


お昼はお城のすぐそばのけやき茶屋で。

たちまち昭和にタイムスリップ。





お値段もリーズナブル。味は懐かしく、お店の人はとてもいい人でした。



まだ時間があったので、帰りにアキオーズへ。

古着屋さんなのだけど、オーナーが気さくで、面白く個性的。店内はベストヒットUSAって感じ。本格的なマイクも設置してあって少しだけラジオショーのようなトークもしてくれました。


野田、面白い。

まだまだ、色々探しに行こうっと


(所々間違いがあるかも知れない)