すべての道は音楽に通ず -5ページ目

サヨナラ

書こうと思ったり、ためらったり、そのくりかえしの一週間だったけど、これを書かないと今後ブログを書かなくなるだろうから、書く。



先週水曜の朝、10年飼っていた猫が死んだ。


もともと腎臓が悪く、だいぶ前から週1回病院で点滴をしてもらっていたので、今年1年は無理かなーと思っていたのだが、7月に入ってから急激に具合が悪くなっていた。


外に出していた猫だったけど、具合が悪くなったあたりからは(死に場所を探して)帰ってこなくなる可能性があるので、外には出さなかった。彼もダルそうに寝てばかりいた。


僕は、死ぬ二日前に様子をみたら、ぐったりしていてしんどそうだったので、手を握って「大丈夫、怖くないからね」というのが精一杯だった。


死ぬ直前、外に出たがっていたので、母親が抱いて外にでたら、そこで風がふわっと吹いて、か細く「ニャー」と(気持ちよさそうに)鳴いたらしい。


僕はわりとそのシーンが容易に想像できてとてもせつなくなるけれど、もう苦しまなくていい、そして苦しむ姿をみなくていいと思えば、そういう最期でよかったんじゃないか、とも思う。


温厚な性格で、ずいぶんと聞き分けのいい猫だった。迷惑をかけられて困ったという記憶はまったくない。

僕が休みの水曜に合わせるように死んだのも、彼らしいなと思う。


その日のうちに、ペット葬儀屋を探して連絡し、午後には簡単な式と火葬を終えた。



もっとしてあげられたことがあったんじゃないかなと、いつも大切な存在がいなくなったあとに思う。
それは結局欲張りだったり、自分のエゴだったりするのだろうけど、本当に彼は「満足」した一生を過ごせたのか、考えてしまう。


僕が手を握ったその日に、携帯のデータが復活して、また新PCも届いていたので、携帯のデータから遺影を飾れたのがせめてもの救いと思う。



可愛がってはいたけれど、たいして世話は焼いてなかったので、“大丈夫”だろうと思っていたのに、意外にもけっこうなペットロスが続いている(母親はもっと心配なのだけど)。

それでも、いつまでも猫のせいにしてダラダラと過ごすのは申し訳ないし、カッコ悪いので、徐々に立ち直る努力をしている。一週間前よりはだいぶ前向きになってきた。

やっぱり時間というものは偉大だ。



まあ、ダラダラと日々過ごしてしまうのは、猫のこととは関係なく、ただの自分の性格だということがよくわかってきたのだけど。

復帰

完全にダメになったと思われた、トイレに落とした携帯ですが、昨日電源が入りました。


つまり交換することなかったよ/(^o^)\



もう交換する約束になっているので、急いでSDカードにデータを移行。

(とりあえず写真とメールを)

でも、デコ絵文字と着メロをどうやって移行するのかはわからなかった。


まあ写真が残ったことだけでももうけもんだと思ってます。

ドボン

携帯をトイレに落としてしまった。

そういうエピソードを聞いて「どういうシチュエーションでそうなるんだよ?」と鼻で笑っていたら、まさか自分が落とすとは。


出勤前の忙しいときになるみたいです(自分調べ ※個人差があります)



中のデータを取り出したいのだが、電源が入らないので、もうどうしようもないらしい。

完全に乾かしなおして、また電源が入ることを祈るだけ。

「交換したほうが良いでしょう」ということで、今日新品を受け取ってきた。



せっかくSDカード挿していたのに、移行してなかった自分の怠慢がうらめしい。


とはいえ、電話帳だけは「お預かりサービス」といういわゆる別サーバーに保管してもらうサービスに入っていたので無事だった。


昔PHSが壊れたときは、そういうのがなかったので、それを機に連絡のつかなくなってしまった人がいて、今もちょっぴり後悔しているのだけど、今回は助かった。

クラウド技術さまさまといったところだ(クラウドの使い方合ってる?)。


一番、なくなって残念なのも、猫の写真で、それはまた撮ればいい。



などといいながら、壊れた携帯を返却するまでに乾燥を待って、復活することをちょっぴり祈ってる。



我ながら女々しいな。