朱雀の乳母の話(12) | 気まぐれデトックス

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光る君さまのお行方は、杳(よう)として知れませんでした。
当初向かわれるご予定であったと申します、摂津のご所領にはお姿をお見せにならず、都へお戻りにもならず。
ご自身からこのような事態を招いてしまわれたお主上は、たいそうご心痛であらせられましたが、なんの罪科のおありになる訳でもない光る君さまが、半月以上経過しても戻っていらっしゃらないということは、ご帰還をお望みでないとしか考えられませぬ。
各地の関所には、源宰相中将が通過を希望した場合は、無条件で通した上で都へ急使を発すべし、と通達おさせあそばしたものの、それ以上の打ち手がないと申し上げねばならず。

なんと申しましても、今回、四条のお邸を襲ったのが、都の警備警察を担当する検非違使庁にさぶらう武士団であったということは、お主上にとって強い衝撃でございました。
いかに検非違使庁の武士どもの指揮は検非違使佐の職責とはいえ、成り上がりの右大臣家の次男ごときに、このような罰当たりな所業を許してしまうとは。


そして、謹慎をお命じあそばした長道父子を裁かせんとなされても、左大臣さま頭中将さまを欠く朝議の場で、そのような重大な議題を上げようとする肝の座った公卿がたは、お一人もおいでにならなかったのでございますよ。
左右大臣に次ぐ地位を占める三条大納言どのは、七十のご高齢とあって、お主上がご催促あそばしても、のらりくらりとなさっておいでらしく。

お主上の仰せといえども、太政官の誰ぞが文書の形にいたしませねば、決議も布告もかないませぬ。

姫君は朧月夜さまおひとりしかいらっしゃらない長道公には、ご子息は六人もおいででした。長道公と次男の貞康どのが謹慎なされたとて、残る五人が要所要所で睨みを効かせておっては、左大臣家の御一族不在の中、我から動こうとする者などいなかった、ということなのでございましょう。母方の有力な外戚(がいせき)がおわしまさぬことは、いざという時に、一族挙げて股肱(ここう)として働くものがいない、ということでもございました。

何ゆえ男どもはこうも意気地なく頼りにならぬのか、おいたわしい、もったいない、と、お傍に侍るだけのわたくしごときが義憤に駆られたとて、ほんに、どうにもなりませぬ。

 


その上さらに、と申してはなんでございますが、いわば追い討ちをかけるようなことをなされましたのが、藤壺宮さまでございますよ。

前年ようやく袴着の儀をなされたばかりの若宮さまと仙洞御所にお住まいであられた藤壺宮さまは、桐壺院のおん忌月に追善のご法要を主催なされた後、突然、お髪を下ろされたのでございます。

お主上と同い年のお美しい盛りの御方が、なんともったいない、と、世の人は皆、惜しみ申し上げましたが、ご後見役であられた前右大臣さまはご他界、故院よりお後を託されたもうた光る君さまはご失踪、という、まことにお心細い状況でいらっしゃいました。世をはかなみたくおなりあそばすお気持ちは、お察し申し上げませぬではございませぬ。

とはいえ、父院はお隠れあそばし、今また母宮さままで世捨て人となりたまうなど、お幼い若宮さまには、なんともお心もとないことでございましょうよ。

言葉を飾らずに申し上げますれば、それでもあえて、なんのご相談もご挨拶もなく、次代の国母であらせられる御方がご出家なさるとは、このような事態を招かれたお主上に対し奉ってのご抗議、ということになりましょう。

表面は優しく穏やかでおわしますが、内親王にして故院の中宮たる御方の誇り高さご気性のお強さは、やはり格別でいらっしゃるのでございましょうねえ。

そしてお主上には、どれほど不本意であらせられたとて、藤壺宮さまの文字通り捨て身のご抗議にも、為す術とておありではございませんでした。

国の主とはなんなのだ、と、憔悴(しょうすい)したお顔で呟かれるお主上のご様子は、まことにおいたわしくいらっしゃいました。思い出しますだに、口惜しゅうてなさけのうて、涙がこぼれまする。

 

 

そんなお主上のお心を、ただ一人、慰め和らげまいらせたのが、あの「紫の上」でございましたよ。

略奪されたような形で宮中に入られて、最初はうち沈んでいらしたあの方でしたが、お優しく接したまうお主上に、少しずつ、まあ、半ばは諦めということもございましたのやもしれませぬが、お心開いていらっしゃったようでございました。

あの方のお国の言葉を寝物語に習い覚えたもうて、ほんのひと言ふた言、お美しい笑顔と共にお話しかけなさいますと、あの方も、おなつかしそうに微笑みをお返しになります。その花ひらくようにあでやかな笑みが、どれほどお主上のお心をお和ませ申し上げましたことか。

そして、他の者に話すことができぬ方でいらっしゃればこそ、お主上は、誰にも漏らすことのできないお苦しみを、あの方にだけは打ち明けていらっしゃったようでございます。

思うに任せぬまつりごとのこと、藤壺宮さまのこと、お母上のこと。

お傍に侍りおりますわたくしどもには、欠片ほどしか耳には入りませぬが、それでも、お口になされたとてせん方ない、とはいえ、せめて誰かにお話しにならずにはいられぬ、そんなお心の患いごとを、ぽつりぽつりと話されておいであそばすことだけは、わかりました。

この国の事情と申すものをよくご存じでないあの方が、どれだけ理解なされたかはわかりませぬが、ものの道理もあわれもわきまえぬ愚かなお方ではありませぬ。耳を傾け、あの澄んだ美しい瞳で受け止めてくださるだけで、どんなにか。

そうして、驚くほど短期間の間に、あの方は、お主上にとって、なくてはならない方になってしまわれたのです。

 

ええ、ほんに、あの方と共においでになる時のお主上は、一途な少年のようでいらっしゃいました。

ご一緒に夜をお過ごしになれぬ日でも、たとえ短い時間でも、毎日必ずと申し上げてよいほど梅壺にお立ち寄りあそばされて。元よりご気性烈しいお主上でいらっしゃいます。激情のままに接してしまわれて、涙を流させてしまわれるようなこともございましたが、「籠の鳥」としてしまわれたあの方を、少しでも心地よく和やかに、と心砕かれるご様子は、おかわいらしいほどでございましたよ。美しい絵巻物や愛らしい子猫をお授けになったり、お箏を奏されると知りたまうと、ご一緒におん琵琶をお合わせになったり。

あの方のお住まいを、格子で厳重に囲ませたまい、滝口の武士の中でも、特にこれは、と見込まれた者のみを選んで警護に当たらせておりましたゆえ、幽閉なされていたかのように喧伝されておりまするが、決してそのようなことではございませぬ。ただただ、もうこれ以上、愛しいと思う者を失いたくない、そのご一心でいらっしゃったのですよ。

 

これは、知っている者もあまり多くはおりますまい、実際、あの方のお命を狙ったものもおりましたのです。

薬玉が贈られて参りましたのが、そもそもでございましたゆえ、あれは五月の、あの方が宮中に入られて間もないことでありましたか。

たいそう手の込んだ細工の薬玉を届けて参りましたのは、弘徽殿にお仕えする女童(めのわらわ)で、いとけない口上によりますと、朧月夜さまから、とのことでございました。色鮮やかな五色の糸と造り花で見事に飾られた薬玉は、珍しい香木でも使っておるのか、少し不思議な香りがいたしました。

麗景殿さまへ差し上げるおつもりであったものが、喪に服されて、余りでもしたものか、まあ、仮にも女御さまと申し上げる御方が、「人」として扱われていらっしゃらない方にまさかこのような、と、私どもも挨拶に困りましたよ。娘の小式部が代詠の体で御歌だけお返ししまして、いただいた薬玉を「紫の上」にお目にかけますと、もの珍しげにお目を輝かせ、御手に取られてしげしげと眺めていらっしゃいましてね。お気に召したのならば、と、ついそのまま、お手元に置いておいてしまいましたのでございますよ。

それから間もなくお主上がお渡りになるまでの間、誰もお傍におりませんでしたのは、まあ、わずか四人で梅壺周りの御用を果たさねばなりませぬものですから、致し方ないとは申せ、迂闊なことではありました。

お渡りでございますよ、と御帳台(みちょうだい)の裡にいらっしゃるあの方にお声をおかけしましても、なんの反応もございません。

もし、とお呼びする間に、お部屋に入っていらしたお主上のお顔の色が、さっと変わられて。

「ある限りの御簾と格子を開け放て!」

白蝋のようなお顔で倒れていらっしゃったあの方を抱き上げられたお主上は、その傍らに置かれたあの薬玉を、きっとご覧じあそばしました。

「滝口を呼べ、式部。この薬玉じゃ。近づいてはならぬ。決して匂いを嗅ぐでないぞ。滝口の陣の外に置き、人を近づけてはならぬ。火にくべてもならぬ。毒の気を放っておる」

なんと恐ろしいことでございましたものか。身の健康を祈り寿ぐ為の薬玉を、毒として使うなどとは。

お主上はそのまま、光る君さまのいらした時のままに保たれておりました承香殿に、おん自らあの方をお運びになりました。

梅壺から毒の気が完全に消えるまでは戻るな、戻すな、とお命じになり、承香殿にお仕えする者達の手をも使うて、わたくしども四人も含め、毒の気の付着しているかもしれぬ衣服を改めさせ、髪や身を清めさせたもうて。

あの方には、清らかなお水をお手ずからお飲ませして、息を吹き返されるまで、お傍をお離しになりませんでした。誰が何を申し上げようとも、一切お耳に入らぬというご様子で。

 

お主上のご判断とご処置が早かったおかげでございましょう、幸いにも、あの方はお命を取りとめなさいました。ひと月ほどは、お床に伏せがちでいらっしゃいましたが、夏の終わりには、禁苑をお主上とお散歩なされるほどお元気になりまして、わたくしどもも心から安堵いたしましたよ。

 

いったい、何ものの企みであったのか。

恐ろしいことに、薬玉を届けに参った女童は、その夜の内に亡くなっておりました。運んだ薬玉の毒に当たったものか、あるいは口封じの為か。

お名を出されたもうた朧月夜さまは、全く身に覚えのないことでございます、と必死の弁明をなされたやに承ります。実際、いかに父ぎみ長道公の言うなりの御方とは申しましても、内気で引っ込み思案なあの方に、あのような大胆なことがお出来になるとは、とても思えませぬ。

お主上も、特にお咎めになるご様子もございませんでした。・・・と申しますより、黙殺された、のやもしれませぬ。

 

どちらかといえばお主上は、犯人を突き止めるよりも、今後いかにして「紫の上」をお守りするか、ということに必死になっていらっしゃって。

あの方のお口にされるものは、全てお主上ご自身の召し上がった後のものとすること。その為に、わたくしども四人は、誰かが必ず、お主上のお食事の時にはお傍に侍ること。

お主上があの方に授けたまうものは、必ずお手ずからお持ちあそばすこと。したがって、今後、どこの誰からであろうと、一切品物もお文も受け取ってはならぬ、万が一、なんぞ届けられた場合には、いったん留め置き、お主上の上覧に付すること。等々。

まるで上御一人なる御方が、「人」として扱われていらっしゃらない方のお毒見役でもあるかのような。

そんな倒錯した有り様をも、世の人の謗りをも、お気にかけてなどいらっしゃれぬほど、お主上は追い詰められていらっしゃいました。

おそらく、母上弘徽殿さまをお疑いになっていらっしゃったゆえでございましょう。

弟の光る君さまのことすら、お主上があまりにおいとしがりなさるがゆえに、あのようにお憎みあそばす弘徽殿さまでございます。まして、異形といえどもおなごの形をしている者、こんなにもお主上の男心を捕らえていらっしゃる者。

呪殺なされたと噂されたまう桐壺更衣よりもさらに身分卑しい、売られ買われた者、「鳥」と呼ばれる者の命など、弘徽殿さまには、ものの数にも入りますまい。

ご成人なされて後も、時折はご挨拶にお伺いなされていた弘徽殿へも、そこにお住まいの朧月夜さまに対するご不快、と申すことがありましたにもせよ、「紫の上」が宮中に入られてからは、間遠になっていらっしゃいました。少なくとも、お主上にはそのご自覚はおありでございました。

さぞかし、弘徽殿さまにはお腹立たしく、お目障りにお思いではございましたろう。

弘徽殿さまがお命じあそばされずとも、その意を迎える為ならばどんなむごいことでもするであろう、あの長道公が、裏から手配なされば。

 

 

なればこそ。

格別に短縮された三か月のおん忌明けて、ご出仕なされた頭中将どのの、ご誠意からなる直截なご進言が、お主上のお心をうち砕いてしまわれたのでございます。

 

久々にご出仕なされた左大臣さまと頭中将どのを、お主上は心からお嬉しくお迎えなされました。

通例ではご挨拶のみで退出なさるべきところ、お引き留めあそばしたばかりか、ご高齢の左大臣さまがお先に退出されても、お人払いのうえ、頭中将どのを特別にお傍近くお召しになって。

積もり積もったおん胸のおつかえをひと息に吐き出されるようなお主上のお言葉を、頭中将どのは、いつものように真摯に受け止めていらっしゃいました。

日ごろ大らかで磊落なお方には珍しく、ほのかな憂愁の色をまとっていらっしゃるようでございましたよ。

人の世の則(のり)を率先してお守りなさるべきお立場とは申せ、人に優れて機を見るに敏で思慮深い御方が、わずか三月の間の、この激変の時に、自由に動くこと叶わずおいでになられたこと、どれほど口惜しく、歯がゆくお思いでいらっしゃいましたろう。

それでも、事の発端となってしまわれたお主上のご過失には一切お触れ申し上げず、おん仰せを承りながら、それではこの件はこのように、とてきぱきと差配なさるご様子はまことに頼もしく、ほんに、何ゆえあの時、この方がおいでくださらなかったのか、と、つい、返らぬことを思ってしまいますのは、わたくしばかりではございませんでしたでしょう。

お主上も、息を吹き返したもうたようなお顔色でいらっしゃいました。

 

最大の懸案事項のひとつ、長道公父子への処遇については、一旦、このままにお措きいただけませんでしょうか、と、頭中将どのは、思いも寄らぬことを奏上なさいました。

何ゆえに、と、若干不審げに問い返されたお主上に、その穏やかなお口ぶりとは裏腹に、あの方は、たいそう恐ろしいことを仰ったのでございますよ。

「畏れ多くもお主上の御志を勝手に枉げ、私に兵を動かした者どもではございますが、その件のみにて処断可能なのは、長道・貞康の両名ばかりでございます。また、下しうる処罰としては、官位の降格、あるいは出家剃髪、といった程度が関の山でございましょう。それでは先が危うございます。思っておりました以上に、長道の勢力は、都にさぶらう武士どもの間に伸長しておるようでございます。位階は低くとも、これほど要所要所に長道が息子どもが目を光らせておりましょうとは、まこと、油断致しました。我ら伏してお詫び申し上げねばなりませぬ。我が兄実雅が督(かみ)として上におりましょうと、右衛門府がことは左衛門府には必ずしも抑えきれませぬ。まずは、貞康の右衛門権佐の官(つかさ)は召し上げねばなりますまいが、当面、その謹慎・不在を以て、検非違使庁の武士どもは、左衛門府の命に従うべし、と別してお命じあそばすだけで事足りましょう。何よりも、次の打ち手にございます。仮に長道・貞康が出家いたしたとて、嫡男の貞兼あたりがその束ねを引き継いでしまいましては、侮れぬ勢力のまま、宮中に残ることとなりまする」

「・・・つまり、息子達を含めて、一網打尽にできる機を待て、と申すか」

「はい。つきましては」

と、頭中将どのは、改めて姿勢を正され、きちんと両手をおつきになりました。「その為にも、光る君さまをお探しし、都へお戻りいただくよう、叶う限りの手段を尽くしとうございます。不当に攻撃を受けたもうた光る君さまが正式に弾劾(だんがい)あそばせば、彼奴ら間違いなく動きましょう。そこを捕えるのでございます」

「それは朕も望むところじゃが、現に光がどこにいるかすら、わからぬ」

「手がかりはございましょう。光る君さまが間違いなく肌身離さずお持ちの筈のもの。陰陽寮の明清は、失せ物探しにかけては、師匠の憲保以上と承ります」

お主上は、はっとなされたようでございました。

「お主上より直々に、となりますと、何かと障りがございましょう。畏れながら、家隆が失くし物をして困っている様子ゆえ、ゆけ、と、明清にお声がけ賜りましたならば、ありがたく存じます」

「うむ。明清には、『龍と月』の場所を探せ、と申すがよい」

かたじけのうございます、と深く頭をお下げになられた頭中将どのは、珍しく、しばし逡巡なさるようなご様子と見えました。

「なんじゃ?含むことがあるならば、はっきり申せ。なんの為に人払いをしたと思う」

そのお言葉に、頭中将どのは、つと窺うようにご尊顔をお見上げになりました。

「お主上。・・・梅壺においでの御方のことは、いったん、光る君さまへお返しになるという形になりまするが、よろしゅうございましょうか?」

久しぶりに晴れやかなご様子であらせられたお主上のお顔が、冷水を浴びたかのように硬直なされました。

「返す・・・と」

「いったんは、でございます。事の発端があの方でありました以上、一度はそのようにあそばされるのが筋でございますれば」

「返すの返さぬのと、無礼であろう!あれは物ではない!!」

皆まで聴きたまわず、撥ねつけるように仰せになったお主上は、同時に、ご自身のお心と闘うていらっしゃいましたよ。他の誰でもない、ご自身こそが、あの方を物のように「譲れ」と戯れに仰せになられたことが、今の事態を招いてしまったと、痛切にお感じになっておいであそばして。

「物でも鳥でもございませぬ。なればこそ、申し上げます。お主上が、あの方を格別にお大切に思召しであらせられると、ご得心なされれば、改めて、源宰相中将が養い姫という形をとり、お傍に上げまいらせましょう。家隆、しかとそのように光る君さまに進言致します。そしてその方が、遥かにあの方のお立場も強くなり、お身の安全も保たれましょう。鳥ではなく、皇弟たる御方の縁者として、」

「あれが二度と再び恐ろしい宮中へなど参りたくない、と望めば、どうなる。間違いなく、光は朕の前に平伏して、あれの為に許しを乞うであろう。それでは、同じことの繰り返しじゃ!」

お主上は、ぐったりと傍らの脇息にもたれたまい、お顔を覆ってしまわれました。

いとおしい、手離したくない。

一人の殿方として、ごくごく自然な感情でございましょう。

一方で、ご自身がお愛しになるゆえに、愛しい者は命を狙われもする、と分かっていらして。
そうして、「紫の上」自身のお心は?どうであったのでございましょう。

 

ややあって、頭中将どのは、居ずまいを正され、深々と頭を垂れたまいました。

「心なくも、先走りすぎたことを申し上げました。不調法、お詫び申し上げます。まずは、光る君さまのお行方をつきとめまいらせることが先決にございますれば、どうぞ、お任せくだされませ」

物思いに沈んで、ご返事もなさらぬお主上をお見上げして、五歳年長の頼もしい御方は、なんともいえない、あたたかな微笑みをふんわりと浮かべられましたよ。

「・・・お主上。家隆ごとき無骨ものには、女人の繊細な心の裡は、とんと闇の中、謎にございます。なれど、難しい、苦しい境涯にある者ほど、やはりおつらい、お苦しいお立場にあらせられます御方の真心と申すもの、心の奥深く、しみじみと嬉しく感じ取るものではございますまいか。・・・このふた月余り、お主上がどのようにあの方に接しておいであそばされたか、この短い間にも、家隆ひしひしと感じましてございます。まして、日々間近にご尊顔を拝し、おいつくしみを受けておいでの方に、いかで伝わらぬことがございましょうや?」

お主上は、やっと面をお上げあそばし、頭中将どのをご覧になりました。その美しいお目は濡れていらっしゃいましたが、それ以上、何も仰せにはなりませんでしたよ。

 

~続く~

 

 

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