星野道夫さん、没後20年 | Hoʻola ~自分を生きる~

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星野道夫さんが、1996年8月8日にヒグマの事故で亡くなってから20年経ちました。
 
その没後20年を記念して、ただいま「星野道夫の旅」という企画展を開催中なので、8/27に行ってきました。
 
銀座松屋の催事場で開催していたので、写真点数などそれほど期待していませんでいたが、なんのなんの、結構な点数展示されていて、随所に星野さんの短い文章も展示されていて、なかなか見ごたえがありました。
 
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星野さんは10代のころに1枚のアラスカの航空写真を見て、アラスカ行きを決め、それからずっとアラスカの野生動物たちと関わりながら、43歳の短い生涯を終えた人です。自分を呼ぶ声をしっかり捉えることができていたのでしょう。アラスカや北の大地で人生の半分以上を過ごしています。
 
星野さんが好きな理由はいくつかありますが、「命」というものを深く見つめた人だなぁと思っています。
 
星野さんの本に「根源的な悲しみ」という言葉が何度か出てきます。最初は何のことやら分かりませんでした。いくつか本を読むうちにおぼろげながら理解できたのは、「あらゆる命は他の命の上に成り立っている」ということを、「根源的な悲しみ」と表しているのだろうということ。
 
肉食であることはもちろん、植物も生きています。野菜や果物を食べる行為も、他の命を奪う行為なのですね。でも、食べなければ生きていけない。意識していようといなかろうと、自分が生きているということは、たくさんの命を犠牲にしているということ。
 
これが星野さんの言う、「根源的な悲しみ」なのかなぁ…と理解しています。
 
星野さんの文章に触れるようになってから、無駄な殺生を行わずに、自分が死ぬときも他者の命の元になりたい。そんな風に思うようになりました。できるかどうかではなく、意識しておきたいな、と。
 
世界の文化や風習を知るにつれ、農耕民族よりも狩猟民族のほうが、この辺りに対しては謙虚な気がします。鯨を獲ったら残さず活用して、骨は祭壇に飾るか海に帰す。クマを獲ったら同じく残らず活用して、火の神様にお願いしてクマの魂を天に帰す。そういう儀式がしっかり根付いている。
 
日本では命が見えにくくなっているから、牛肉の良い所だけ食べて廃棄したり、野菜もきれいな物だけ食べて、残りは廃棄したり。いわゆる「原住民」と言われる人の方が、その土地で生きていく厳しさも知っているので、無駄を出さないような気がします。
 
日本で生きていくのは本当に楽です。死は日常にはないし、食べるものに困らない。衣食住も満たされている。でも、自分がどのように生かされているか、見えなくても感じていたいな、と写真を見ながら思いました。