梅雨らしく、朝から細かい雨が降っています。純白のピカケの花が、いっそう輝いて見えます(^^)
昨日、腑に落ちたことがあるので、自分のために記録しておきます。
心屋仁之助さんの「前者・後者論」で、自分は後者だって分かって楽になったんだけど、この中で「後者は人に気を使っているんじゃない。人の顔色を伺ってるだけだ」っていうのがあって。
確かに、もともと人見知りのあたしなのですが、5年前くらいのある出来事から「人に対する恐怖心」みたいなものが湧き上がってきてました。だから必要以上に「人に気を使って」いた訳ですが、気を使った相手には蔑ろにされるということを繰り返していました。
「なんで!こんなに気を使って、自分の言いたいことも言わないでいるのに!」
って思いでいっぱいな時期がありました。
そして、昨日のこと。
どうにもこうにも苦手な人がいて、天の采配というかなんと言うか、彼女を含めた数名で食事にいくことになったのです。そのテーブルで、彼女はかいがいしくワインを注いだり食事を取り分けたり。
それを見ながら「なんで苦手なのか」を考えていたら、降ってきたキーワードは「顔色を伺う」。
これかー!!と、プチぱっかんしました。
彼女の行為は、すべて他人の顔色を伺うためのものなんだと。
例えば、自分がホームパーティのホステスだったとして、お客様にゆったりくつろいでもらうために行う数々の演出。とてもスマートにこなす人がいます。ゲストもその演出を素敵だとは思っても、負担には思いません。
これが「人に気を使う」。
そうではなく、「これをやったら気が利くと思ってもらえる」と思っての行為は、「顔色を伺う」。最終的なベクトルは自分に向いてしまうのです。そして、人は敏感にその差を察知します。
「顔色を伺われる」のが、これほど嫌なものだとは。あー、あたし、あの日からずっとそうやってきたんだろうな。人の顔色を伺って、「ね、気が利くでしょ。気が利くいい人でしょ」って、相手に無言の圧力をかけてたんだろうな。
あー、そりゃ嫌がられるよね。
だって、自分にしかベクトルが向いてないもの。
神様は、あたしに「そこ気がつけよ」ってことで、こういう場を設けたのかも。
言いたいことを言っても、「毒舌キャラ」としてみんなに愛される人は、きっとその根底に「みんなを楽しませたい」という愛があるんです。言いたいことも言わないで我慢しても、ベクトルが自分だけに向いてたら、ただのうざい人なんです。
ということで、今後は「あたしは顔色を伺う人ではなく、人に気を使う人なんです」って前提に書き換えることにします。
うん、解決(^^)