雨の東京。
あたしはこの時期の雨が好きです。
寒くもなく、暑くもなく、ひと雨ごとに緑が濃くなる5月の雨。ベランダの植物たちにも雨のしずくが光り、とてもきれいです。
今年もハイビスカスとピカケが咲き始めました!これから毎日のように咲いてくれる子たちです。
美しい。
雨はハワイでは「祝福」とされています。雨がなければ虹が出ないことを知っているから。そして、雨がなければ植物が育たないこと、収穫ができないことを知っているから。
そしてハワイは自然と人との距離が近く、たとえ災害と呼ばれるような自然現象が起こっても、それは神の思し召しなのです。キラウエアから流れ出る溶岩だって、「ペレがあなたの家を通りたいなら、通しなさい。」と言える人たちなのです。
だけど、今日のFBのタイムラインに並んだ言葉たちは…
「雨で憂鬱」
「雨は嫌い」
「じめじめしていや」
。。。
雨を否定する言葉が多くて、ちょっとびっくりしました。
確かに出勤時やこどもの送り迎えは、普段より気を使うことも多いでしょう。でも、それは雨のせいではないのです。雨と何かを結びつけるから、「イヤ!」と憂鬱になってしまう。
それは過去に、雨で靴が濡れて不快な思いをしたとか。こどもが雨でぐずって大変だったとか。滑って転んだとか。洗濯物が乾かないとか。
全部、今目の前に起こっていることでなく、過去の体験から判断していることなのですよね。まだ起こってもいないことに思いを馳せ、憂鬱になっている。それって、全然「今を生きる」をしていないんです。
今を生きているなら、雨は雨でしかない。単なる自然現象でしかない。人間は自然に逆らえるはずもないので、かわいいレインブーツを履いてみたり、お気に入りの傘を持ってみたり、洗濯は1日延期するとか、工夫をすればいいだけ。
人間って、ふとした瞬間にジャッジすることを振りかざしてしまう。判断をしないということを心がけても、やってしまう。
恐怖が起こるメカニズムが分かり、手放していければどんどん楽になれる。改めてそんなことに気づかされた雨の日でした。