今日は某イタリアブランドのショップ勤務2日目だった。

予想通り、昨日は売り上げが振るわず私はバッグ1個を

台湾人のお客様に販売したのみ。

私だけではない、店全体の売り上げが良くないのだ。


そして今日私は何も販売出来なかった。

ショップ全体で、スカーフ一枚と財布一つしか売れなかったのだ。。

このショップはフィンランド全土で、しかもヘルシンキの街中で

一等地の一番いい場所にある。

ルイヴィトンとマリメッコが200メートル範囲内の同じ通りにある。

ここのランニングコストをカバーするのに、一日どれくらいの

売り上げが必要なんだろう・・と、日本人の私は気がかりだ。


このブランドは創業80年以上で、日本人の女性なら普通は

みんな知っている。だがそこはフィンランド、ショップのマネージャーが

「ここに勤務する前、このブランド知ってた?」とたずねてきた。

「オフコーーース!!90年代から知ってるよー。日本に50店舗あるよ」

と言うと、人の良いまだ24歳のマネージャーは目をまるくして

「え。。。50?」と絶句し

「うん、数えたら50あって」と言って、ネットのHPを見せ

「しかもカフェにヨガ教室もやってるよ」と言うと

「ヨガ・・・ヨガ?!ひゃーー」と、馬鹿受けしてた。


確かになぜイタリアブランドがヨガなのか妙な感じを受けるが、

色々と手広くしてブランドのイメージを膨らましていかないと、

生き残れない超おしゃれ大国、それが日本なのだ。

ブランドのお洒落なケータリングパーティーの当たり前な

日本と、ヴィトンでさえオープニングパーティも

顧客パーティーも無い、それがフィンランド。

どのブランドも

「この国には投資しても仕方ない」という暗黙の了解を

ひしひしと感じる。

マリメッコがパーティとは言えないような催しを時々するくらい。


そんな国の一等地のショッピングモールの、

一番いい場所にテナントを構えるうちの店。。

同僚に「こんなんで大丈夫なんかな、ちょっと心配」と言うと

「1年目はしょうがないよー、誰も知らないから。

来年は絶対売り上げ今年よりも上がるから」

「そうなんだ。日本だとね、1年目は宣伝や珍しさから

売り上げが見込めるけど、2年目いや2ヶ月目の方が難しいかも」

「そうなの?!うちは広告宣伝全くしてないからね」

「そうかー、でも雑誌にも一切バッグが掲載されても電話かかって

来ないのも、びっくりした」←電話してお取り寄せした事あるクチ

「かかって来る事もあるけど、少ないよね。

一度ページ全体に大きく載った時は、週に3個は売れたけど

すぐ売り切れて在庫無かったし」


このショップのスタッフは私以外3人とも、20台前半。

すれてないまっすぐな、非常に性格のいい子ばかり。

トウのたった年齢回遊魚の私は、違うショップで

勤務する度に、ちょっと服装に悩むのであった。


この2週間6時から7時までは一人で店番だったが、

来客数が一人や二人、果てはゼロの日もあった

人口の少ない国フィンランド。閉店まで15分という時

そのオヤジはずかずかと入店して来た。


やたらと饒舌にしゃべり、自分のバッグを指差し

「これ、イタリアのブランド、イタリアで買ったんだ、何と30ユーロ!」

と言って、バッグを私に見せる。

「あらー、それはいい買い物でしたね、セールですか?」

と親父に顔を向けるとぷーんと酒のニオイがした。

アル中オヤジだ。


フィンランドのアル中オヤジの多さは日本人の想像を遥かに

超えていて、しかもホームレスとすれすれのラインの人が多い。

やっかいなのは、常に怒っているタイプの精神疾患もち。

街を常に毒づきながら、ワイン片手にうろうろして、すれ違う人に

大声で罵声を浴びせる。このタイプはハッピータイプの

アル中よりも多いので、

「うーわしまった、店には私一人、どうするよ」

と、頭をめぐらしたが、うまく退店してもらう理由も見つからず。

オヤジはバッグを開けて見せ、

「ほら、ドリンクも入れられるんだ」

と言って、中のビールを私に見せた。


「うちには飲料OKのバッグは残念ながらないですねー」

「一番安いバッグどれ?」

「この小さいショルダーバッグとか、165ユーロですど」

「うーん、一番安い財布は?」

「70ユーロですね」

と、ここでオヤジは買い物をあきらめて

「きみどこの出身?」

「日本です」

「おれ去年日本に6週間いったよ」

「そうなんですか?」←半信半疑


「北海道、東京、京都、大阪、沖縄、航空券600ユーロだった、

やっすいなあ」

などとしゃべりだし、本当に旅行してた様子だ。

更に日本語でありがとう、などと言いだし

「アニメね、家に一杯持ってるよ、400かな、いや1000はある。

ナルトやなんちゃらかんちゃら」

と、アニメ好きで日本に旅行したクチと判明。


おっさん、50は確実に超えていて、60歳くらいに見えた。

日本に長期旅行に行けるのだから、定職にもついてるのだろう。

しかしこんな年寄りのアニメおたくは初めて見た。

オヤジは満足したらしく「じゃあねーー」と言って

雨振る中店を去っていった。

とにかくハッピータイプのアル中でほっとした。


先週1週間は毎日楽しく気持ちよく仕事が出来た。

毎日目標額の2-4倍の売り上げがあり

オーナーが前日売れたバッグを補充する際に

度々満足の言葉を口にするほどの売り上げとなった為、

プチお祝いのケーキを店長が買って来た。


うちの店長は接客を他の販売員に任すので、

フィンランド人の時間がかかりそうな年配のお客さんや

修理の依頼は店長を呼んで任せたが、それ以外の販売は

フィンランド人の接客もうまく行き、月前半で4店舗販売員の中で

ダントツの売り上げとなった。だが来週は一番売り上げの少ない

イタリアブランドの店舗勤務で、しかも外人客が少ないため

私の売り上げは間違いなくがくーんと下がる。

こんな事この先2度と無いかもね。

ともかく3週間最終日の夕方、店長が帰宅前に

「10月もお願い出来る?」と聞いてくれたのが嬉しかった。

他店が暇な時は手伝いに来てねとまで言ってくれたのだ。

10月の店長が1週間の休暇を取る際には

あのヤンツェクと二人きりになるのだが、売り上げゼロに

なっても1週間耐えるように、心積もりして乗り切るしかない。


二日前には日本人夫妻に1日の売り上げ目標額に届くほどの

額も購入してもらえたし、うちの店の商品は同じものが日本より

少なくとも30%は安いので、お客さんも店もwin-winなのだ。

品質も修理保証もここで勤務すると思いもよらなかった頃から

ブランドの中でも最高レベルだと思っていたクオリティなので

セールストークも気持ちよく出来る。この店の商品の難点を

あげるとすればただ一つ、重い。


並外れた丈夫な素材に、シャワーで水をじゃあじゃあ

浴びせても縫い目から水が入りこまないほどきっちりした

縫製になのだが、ブリーフケースなんかだと腕力の無い私には

無理!な重さだ。女性用のとびきり軽いおしゃれなバッグも

あるのだけど。


今回は3週間勤務だったけど、来月は日ごとに店を変わったりする

とんでも無いシフト。バッグのシリーズの名前、色とサイズの展開、

皮の種類、値段、ポケットとかストラップの仕様とか、もーごちゃごちゃだ。

バッグのシリーズだけじゃなくて、バッグに名前がついてたりして

覚えきれない。


同じ店舗に戻るのが1ヶ月先なので、新しい商品も入ってきて、

1週間たって慣れてきた頃にまた次の店へ移動。

日ごと勤務なんて、頭が絶対おいつかないっちゅーの。

はあー回遊魚にすら慣れない私は、一体何なのでしょう。。









この間グル-ポンでカットと染色で4000円という、破格の

ヘアーサロンに行ってきた。もちろんフィンランドの美容室は

レベルが低いので色々と大変だったが、多色染めに

初のハイライトまで入れてもらい、満足のいく仕上がりになった。


そこで「パーマはいくらです?」と尋ねたら

「パーマはやってないの、ふつうのヘアーサロンではやらないわよ」

「え、じゃあどこがお薦めですか?」

「うーん、やってるとこ知らないなあ、少ないから」

と言われた。。。同僚の女の子に尋ねると、

「やってくれるとこもあるらしいし、友達で2,3人かけた子見たけど・・

変だったわ、妹と話しててフィンランドではパーマはかけたらアウト、

って結論になった」そうだ。


髪を染めたはいいが、伸びて根元が黒くなってきた時の為に

あらたなグルーポンチケットをチェックしていると、

なんと3500円のサロンを見つけた。

で、クリックすると、はてさてどこかで見た顔の店主だ。

移民学校時代のロシア人のクラスメートにそっくりではないか。

他の写真も見てみると、彼女に間違いない。

移民学校の後は化粧品店で働き、最近ヘアーサロンを

オープンしたのだ。この彼女、ミラジョボビッチに似た

非常に美人な女性だったが、性格がイマイチであった。

金、金、金という感じであったが、移民して5年で自分の

サロンを開くとは、凄いではないか。



HPを見ると、まつ毛エクステ、エステ、ネイルも出来る店らしい。

でもどうも店員は一人か二人のようだ。

しかもグルーポンのチケットは、さばききれない客数を

把握せずに売るとんでもシステムの為、

史上最安値のグルーポンヘアーサロンチケットだったので

何と150枚も売れていた。過去とんでもヘアーサロンの

チケットを購入し、「10ヶ月先まで予約が取れない」とか

ごく普通のシャギーのボブを「そんな髪型切れない」

と言われ、3度目の正直でやっとまともなサロンで

切ってもらう事が出来たのだ。


彼女のサロンは彼女の本名がつけてある。

ポスターは彼女がモデル。で、HPのサロンの

参考画像を見たら、そのロシア人センスがまあ何とも凄い。




Mermaid and Crocodile




前から彼女の顔の写った写真もあったが、例え美人で

あろうが、10年前の中国の田舎のパーマレベルではないか。

油光とグリグリ感がすご過ぎる。

更に、パーティヘアーアレンジの写真も凄かった。




Mermaid and Crocodile




このセンス、まさしく中国の10年以上前のセンスの悪い田舎のおばちゃんと

同じ路線だ。(これは彼女ではありません)

そういえば以前中国の大学の国際学生寮に住んでいた時、

ロシア人のセンスにショックを受けた事を思い出した。

ロシア人の20前後の女の子達は、美女率が群を抜いて高かった。

「綺麗な人の多い国は?」と聞かれれば、私は間違いなく

「ロシア」と答える。ロシア人女性は白人女性の中でも

容色の衰えが一番早いと思うが、その分若いときは美女率が半端ない。

だが、ことセンスとなるとそれはひどかった。

時はまだ解放後間もない90年代だった為、欧米系の女性の

こなれたセンスに対し、ロシア人女性のそれは中国人とそっくりだった。


整った容姿に、センスの悪い洋服同士を組み合わせ、更にはバッグや靴も

「なせそれを選んだの?」と聞きたくなるようなとんでもセンスが

周りの欧米女子から浮き上がらせ、更には英語もしゃべれず

性格もヨーロッパともアメリカやオーストラリアの女子とも

全く異なったため、ロシア人女子も男子も、ほとんどがロシア人同士で

常に行動していた。当時はまだ所得のレベルが低く、

一緒にレストランに食事に行けなかったのも、大きな理由だ。

現在ロシアの経済事情や一般所得はかなりよくなったが、

当時の国費の学生の中には、売春婦もごく少数だが実在した。


夏休みになると、先進国の学生はみな旅行や里帰りし、

残っている学生寮の雰囲気は良くはなかった。

日本人の生活レベルはあの頃から変わってないし

むしろ国家としては下がっている。

だが、あの頃と比べて確実に生活レベルが上がった国の

人はとても多く、その楽しそうな生き生きとした感じは

幸せな気持ちを伝染させる。











怒涛の17日間で休みは1日というシフトを終え

今日からは4連休。というのに、昨晩から喉が痛くて

熱が出た。15ヶ月の息子に移すのが嫌なので

医者に行って診てもらったが、案の定薬はバファリン程度の

ものしか出してはもらえなかった。風邪をひいた患者を

ちゃんと診てくれるのは日本ぐらいではなかろうか。

もっとも、薬出したり注射打ってお金を稼ぐためとも言えるかも。


お医者に行った帰りに、昨年亡くなったダンナの幼馴染の

お墓参りに行ってきた。フィンランドの墓地はしきりなどなく

正方形の50cm強くらいの石碑に、氏名と★出生日、十没日が

書いてあるものが、横一列に並んでいて

金の十字架やつばめの石膏が墓碑にあしらわれている。

享年39歳。この友人は長い間行方不明で、ダンナはしょっちゅう

「マルコはどこにいるんだろう」とつぶやいていた。


彼は若い頃から薬にはまり、方々に借金したり不義理したりして

つめられりるのをかわす為、行方がわからないように

親族以外には或いは親族からも長い間雲隠れしていた。

それが3、4年前に弟づてで居場所がわかり

ダンナはたまに一緒に飲みに行ったり、パソコンについて

わからない事があると電話がかかってきたり、家にも遊びに行っていた。


日本よりも学歴社会のフィンランドは、現在不況の波にさらされ

彼のような人は這い上がって来て福祉の世話になりながら

普通の生活を取り戻しても、派遣の日雇い(肉体労働ではないが)でも

たまにしか仕事が無い。職安では無職の人間が

どんな仕事でも長い長い行列待ちだ。

「働きに行っても、収入があると福祉が制限されて

結局無職の時よりお金が入らない」と言っていたそうだ。


生活保護を受ける生活から、時々仕事に行く生活になり

特に気分が乱れた感じも無かったそうだ。

彼が亡くなる2日前に、ダンナに電話があった。

飲みに行きたいか、うちに遊びに来いと言う電話だった。

その少し前に、日本のミッシェルガンエレファントだったかな、

私はダンナとライブに行く予定だったが、まだ生後2ヶ月くらいの

育児に追われて疲れ果てて行く気力が無く、

急遽マルコを誘ってダンナはライブに行った。


うちの息子は生後3ヶ月まではとにかくよく泣き

夫婦で度々喧嘩になるほど、最初の2ヶ月が大変だった。

しかも帝王切開の傷が15ヶ月たった今でも痛むくらい、

手術の傷の痛みがひどく、母乳の出がよくないのに

ミルクは絶対に飲まず、更に母乳もあまり飲まないので

何度も乳腺にしこりが出来、毎日が大変だった。


マルコに誘われたダンナは、この前一緒に出かけたばかりだし

「その日は無理だな、今大変で」と気軽に断った。

その2日後、彼は自殺してしまった。

ダンナは物凄くショックを受け、私も悔やんだ。

行けば良かった、行かせてあげれば良かったと

私達のせいでは全く無いとわかっていても、気分が深く沈んだ。

その時私達は日本の私の実家にいて、彼の母から電話が

かかって来た時、ダンナの様子が一瞬でおかしくなったので

すぐに別室に連れて行ったら、そういう事だった。


ダンナは友人と一緒に墓参りをする予定だったが

いつまで経っても友人から召集がかからないので

「近くだから、一人で行ったら?待たせすぎだし、

まだ行ってないや・・って気にしててもしょうがないでしょ」

と、フィンランド人男性のお尻の重さにうんざりしながら言った。

それから数ヶ月、とうとう彼の誕生日も来たので

やっとお墓参りに行ったのだ。


マルコは子供の頃リーダー的存在で、創作物語を語って

聞かせるのがとてもうまく、面白かったそうだ。

「ミョルチコラって虫がいてさ、電線の電気を盗んで食べて生きてて・・」

私はこの名前が気に入り、息子のあだ名にしている。