前の利用者の件で、疲弊した時にまとめ、さらに今度は別の利用者対応に困窮しているときに、ネット記事で追加しておき、忘れると困るので印刷して反芻していたが…。
昨日また暴言を吐かれましたまた別の利用者ですが、顔をけっこう見ていた方だったので、まさか、という感じです。
その直前にちょっともめごとがあり、その流れで私がカウンター対応したのですが、間の悪いことに私がミスして、激怒。「申し訳ございません」と何度も平身低頭で謝罪しても怒りは冷めやらず。「国会議員じゃねえんだから、謝ってばっかりいるんじゃないよ」「給料もらってんだろ」「そんなだったらオレでもできるから、おれが代わりにボランティアで働いてやるぞ」みたいなことを連呼していたみたいで、(というのも、所望の資料を探しにカウンター裏に行ったりきたりしてたので、私が)
前、2番目の困った利用者にも罵倒された時に、表面ではあまり気にならないつもりだったんですけど、同じく対応していた同僚が「その時はあまり気にならなくても、あとから、すごく心に引っかかるものですよね。私もそうで、家族に聞いてもらいました」って、後から聞いて、そうだよなぁって思いました。
昨日も、その場にいた同僚がフォローしてくれたり、その大声を裏で聞いていた同僚から「気にしないことだよ、新人の時は操作が慣れないから、私もそういうことがあった、続けていけるかなって」とか慰められたりしました。
なんだかそういう時は平然としていられるんですけども、昨晩とか、きょうとか「でも理不尽すぎるよな?あの言い分は」って、むかむかしています。これから仕事だっつうのに。
たしか、こういう暴言の時は前に調べたとき、「大声を出されると困ります」「苦しいです」とか、泣いたりするといいってあったよな。でも、その時って、そんなこととっさに思い浮かばんよね。ひたすら詫びるしかないよね。
こういうのは、1回書いて、あとはやぶり捨てるのがいいみたいです。やっぱ、そのまま泣き寝入りでなくて、一度、しっかり天日干ししておいて、消化(昇華?)しないといけないって何かで読みました。
しかし、書いたのをなんども反芻することは絶対にするな!って、柳原可奈子ちゃんが言っていてね。
だから、これを書いて、あと、前話聞いてくれた同僚にだけ、そのときのことを聞いてもらって終わりにしようと思います。
でも、確かに、こうやって書いたら、昨日の怒りがわなわなときて、泣きそうになります。前も、その前も、公共施設だからいろんな人が来るから、容赦ない人もたくさんいました。でも配達してた時なんか、お金(宅配物)は絡むし、こっちは一人で、相手のホームで、罵倒されることもしょっちゅうだったし、若いころも怖い取材相手に対峙してたりしてたのに。今ほど堪えなかったような気がする…。ちっとも年取って強くなってないよなーと思います。
「感情労働」っていう言葉がついたけれど、これって、いいのか悪いのか。かえって「感情労働だと割り切ればいい」みたいな風潮になるのはよくないよ。