この本で初めて聞いた「バフ」「デバフ」という概念は、巷によくあることを言語化したものです。なんかよくわからず、最初は素通りしたのですが、後半でまたこの問題に戻った時に、セクシー田中さん問題に関する小学館のやり方を、想起しました。

 

オンラインゲームなどで用いられている用語だそうです。

バフ=味方の利になり、ゲームを勝ちに結び付ける行為。

デバフ=その逆。(思いもよらず)味方に負の影響を及ぼす行為。

 

私の理解なので、著者の意図とは違うのかもしれませんけど、デバフとは、良かれと思ってしたことが、相手の迷惑(ありがた迷惑)になってしまうこと。究極は自殺、殺人に結びつくと思います。

 

これは、よくあることですよ。げんに昨日、私も、送別者への記念品負担金350円を、立て替えていたチーフに渡す時、「きっちりがいいだろう」と思って350円渡しました。

その後、別な人が「1000円しかなくて。。。」と、1000円を渡したところ、チーフは「ありがたい、もう、小銭じゃらじゃらだから」と、お釣りを渡していました。

 

そのやりとりを聞いて、私は、チーフにデバフを放ったのだと知りました。(デバフの逆はないのかね?その、1000円払った人の行為についてね。悪いと思ったら逆に、相手にいいことをした、となる)

 

もう一つ。私は結婚式に、義父が最後の演説かなんかで、「今後、我々親が、二人に善意で言うこと、することは、人間なので間違っていることもあるかもしれないが、こちらは悪気があって言っているのではないので、受け入れてほしい」というようなことを言われました。その時「ん?」ってひっかかったんですが。よくよく考えると、しみじみ重いですよ。これこそ、デバフ。

 

私から言わせれば、「悪意のないのが一番タチ悪い」です。だって、無意識なんですから。反省の余地がない。だったら、言ったらわかってくれるか? いや、逆に説得されています。

 

小学館も、原作者に対して、まったく悪気も悪意もなくて、全力で守ろうとしたのはわかります。しかしながら、だったら、原作者が自殺するわけないですよ。

「反論したいという気持ちを尊重し、一緒に推敲し、OKを出した」という行為は、デバフだったということを、小学館は認めているのかな? 「たしか、編集者は原作者の味方であって・・・」という再発防止文みたいな、そういう文言や姿勢が感じられますが、あまり信用できません。

 

だったら、どうすればバフになりえたのか、ということが、調査報告書ではわかりませんでした。だって、ドラマ化が成功したことについては、原作者は納得して満足していたのですから。

 

ならば脚本家や日テレ側はどうなんだ、というのは、あの一連の流れは「善意」とは言えないので、デバフではありません。意図したことを行い、意図したふうに相手を攻撃したので、見たままなんです。逆に、改善の余地はあるよね。