先日の、次男の卒業式で仙台で行くときに、浪江を通っていこうと思いました。
私は、昭文社が2011年に出した「東日本大震災復興支援地図」を持っているのですが・・・
津波で浸水した地は、薄い黄土色で塗られています。
そこで改めて浪江の地図を見ると
南相馬(小高)との町境近く、海に近い2つの神社が浸水していないことが気になりました。まずは、ここを目標に行きます。
グーグルさんに従って車を進めても、道が、ない。あたりは工事車両、薄茶けた地面ばかり・・・。
途中、誘導のおじさんに「ここ曲がると神社あります?」と聞くと「あるよ、ここから曲がって」と言われますが、道路ではない、ただの「道」です。でも曲がっていいのか。
貴布禰神社は、入り口部分は再建され、白亜のごとく輝いています。
階段の中腹。津波は、ここまで上がってきたのか。
しかし、階段はもっともっと上がるから、確かに本殿は浸水しなかったのだ。
棚塩地区は、浸水がひどかった区域ですが、もうひとつの特徴として、東北電力による浪江・小高原発が立地されるかもしれなかった地域です。
原発推進派が多い北棚橋と、反対派の多い南棚橋に集落が分かれて争ったそうです(Wikiより)。
運動の中心人物、舛倉隆のことを書いた本「原発に子孫の命は売れない」が、白河市立図書館にあるみたいなので、今度借りてきます。
そして、この宮司さん・木幡氏も、反原発の方らしいです。この方の著書「浪江町棚塩の記録」 こちらは福島県立図書館所蔵です。この方は、諏訪神社など他の浪江の神社の宮司も兼務されている方です。ぜひ、本を読んでみたいです。
私が気になるのは、この看板中、「氏子なる南棚塩在住の住民83戸」が津波で流出とあるところ。これには、(原発推進の)北棚塩は含まれていないのでしょうか。もしくは、この貴布禰神社の氏子は南棚塩だけなのか?
ここから100mの距離にある黄金山神社に向かいます。でも道がなくやぶや森、岸壁だけなので、グーグルさんの言うことがわかりません。歩いてみると、かすかにやぶの中に、階段ぽいものが見えました。ここだな!
貴布禰神社よりも、階段は長い気がする。たぶんこっちの方が高台だと思う。
まだまだ高くて、もちろんだれもいなくて、おっかない。熊でもでそう。
古いです。
どうしてこんなに近くに神社が二つ、建っているのでしょう。宮司さんはこちらも木幡さんなのでしょうか。謎です。
東北電力は、震災後の2013年、検察計画を断念しました。もし、震災が起きていなかったら原発は、そして、この二つの神社はどうなっていたのでしょうか。
津波にも、原発からも逃れ、生き残っている二つの神社。その関係性が気になります。
すぐそこが海です。
海におりて振り返ると、岸壁が高すぎて・・・・
「浪」であり「江」である浪江。
帰りに、さっき道を聞いたおじさんに、「神社、二つありましたよ!」って言うと「そうかい。おれはわからないけどね・・・」とにこにこして言われました。
ずっーとここで立って、作業の誘導をするおじさん。ありがとう。工事の皆さんお疲れ様です。