いやー「あさきゆめみし」、13巻のうち、6巻まで来ましたが・・・
いやー、まず、「あさきゆめみし」の意味、
「浅き夢見し」=浅い夢を見ていた、という過去形だと思っていたのに、
「浅き夢見じ」=浅い夢など見ない、という否定形だったんだね??
知らんかった・・・。
つまり、「浅い夢など見なかった」ではなくて、「浅い夢なんて誰が見ようか」という反語なんだろうね?たぶん。
「浅い夢なんて、誰が見ようか、見たくない」と言いながら、はまってゆく・・・っていう、さらなる逆を言っているっということなのよね?たぶん。
いやー濁点があるだなんて。解釈が、つらくなるじゃないか・・・。
と、思うほど、なんというか、つらい話だよね(知ってはいるはずだが、絵を見ると、それがもう際立つね)
山崎ナオコーラ「ミライの源氏物語」読んで思っていたけど、光源氏は、マザコン・ロリコン・ポリアモリー(複数恋愛)なのですね。
今、6巻末で、明石の上との姫が入内するところまできました。紫の上が手元で育てていた姫がいなくなり、女三宮と結婚することになり、源氏が「あなたが一番。これからも夫婦二人で・・・・」ってささやくそばで、紫の上は、「あなたは、私を通して誰か、何かを見ている」という、絶望を味わっているのが初めて書かれます(=源氏が藤壺の面影を追って、紫の上を手籠めにした)。
でも源氏の父帝も、藤壺には、桐壷の更衣の面影を追ってるわけで・・・。
みんなそんな感じよね。一目見て好きってのなんて、ルッキズムというやつですよね。大変・・・。
その中で、源氏の息子の夕霧が、幼馴染で引き裂かれた雲井の雁と結ばれたのは、よかった(が、こいつも、堅物って描かれていながらも、あちこちの姫に懸想してるんだよなぁー)
女三宮の面がまえが、7巻ではいよいよ明らかになるのですけどね。
少女でいまいちな描かれ方だった(物語では)だけど、大和和紀先生は、どんな美女に描くのかな~=前出の山崎氏は、女三宮ひどい言われようだけど、彼女こそ被害者!!って書いていたっけな~
【20240324追記】
8巻から13巻まで読破しました・・・・読み終わったのが深夜(そのあと、頭が冴て時ごろまで眠れなかった)。
女三宮・・・目に光(星)がない美女として描かれていた!そうきたのか大和先生!!かわいそすぎました・・・幼稚。。。人形のよう。。。さんざんな言われようです。大和先生もそういう通釈に従って描いたようですね。
ぜひ、山崎ナオコーラ氏に、女三宮が主役の視点で書いてほしいな。
いろんな人のレビューも見たけど、紫の上が一番好きっていう読者が多く、しかも、それでも幸せ感を持てなかった彼女がかわいそう””っていう感想が多かった。確かに、大和先生もそういう描き方でした。光源氏の紫の上への寵愛は、自分のためって感じで、出家もさせないし、俺より先に死ぬなっていうのもそうですね。死んでから、藤壺でなくて紫の上本体を(??)好きだったと気づくってのも、なんだかねぇ。
だいたい、そういう「血のつながった、外見そっくりさん」を好きになるってパターンが多すぎるし、ちょっと垣間見ただけで恋焦がれるってのも、なんだかね・・・。しょせん外見かよ=ルッキズムですね。
夕霧を堅物に描いておきながら、結局は浮気するし、匂宮と薫の宇治十条に出てくる姫君とかは、自分もないし、とにかく拒むし、光源氏の時のそれぞれ芯のある女人とは違ってくるって感じする。顔がよくたって、ダメなんじゃ?ってね。それも紫式部の策略なのか。
私は最初に読んだのが、与謝野晶子だったか、それで読んだときに、葵上にすごく同情した記憶があります。それで漫画で、主要女性キャストの顔を描いたりしたな~。
それから田辺聖子で読んで、だいぶ、やわらかくなってるなと思ったね。
また文章で読んでみようと思った。でも、漫画、絵の印象ってものすごいね。字の文でこれを超えるものってできるのでしょうか?って思う。「平安絵巻」っていうけど、ほんとに細部まで美しい。すばらしい傑作です。
これは、図書館本だけど、どなたかが寄贈したみたいで、ハンコが押してありました。ナイス寄贈者!!ありがとう!!