引越してきた時、町内会長さんが「このあたりは、広大な扇状地の上なので、地盤が強く、震度も周りよりは1少ないと考えていただいていいですよ」と、おっしゃった。

 

なんとなく、引っかかったが・・・この時はまだ、深追いする気もせず聞き流していたのです。

 

その後、これまたなんとなく気になって、「ブラタモリ」を録画しました。それで、見たところ、「黒部川扇状地は、日本で一番美しい」と絶賛していました。なんでも、扇頂の部分がしっかり閉じられていて、河口に行くにつれ扇型に広がっているそうです。扇頂のところだけ、地質が固いため、すぼまったのだそうです。

 

 

あまりにタモリさんが美しい美しいとほめるため、・・・いや、うちの扇状地はどうなんかい!と、調べてみたくなりました。

 

図書館の郷土コーナーで、「那須野が原の自然」というのに、どうやら扇状地のことが載っているらしいとあたりをつけ、さっそくさらっと読んでみると、う~むよくわからん。これを出しているのが「那須野が原博物館」ということで、聞いてみると近くらしいので行ってみることに。

 

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ちょうど、小学生が社会科見学をして入り口付近にずらっと並んでいた脇を通り抜けて。。。入館料300円。

 

やっぱり航空写真はよいねぇ。

画像左上から4本の川が流れていて、これが右下で合流するという。だから、扇型とは似て非なる、木の葉型なのですね。

もちろん、川からの堆積物がたまるという意味で扇状地なのですが、扇っぽいのは、下から2番目の川のあたりの最初だけぐらいです。

 

今の形になる前の話です。(本の記述は詳しいが、博物館に掲示してあった図は4つしかないので、勝手にまとめます)

1)1000万年前は海底だった。その後隆起し陸地となる。

2)河川の浸食が始まり、一部、湖のような状態となる(150万年前、下の図1)

3)福島県の南会津、下郷あたりで噴火、火砕流が発生(140万年前、下の図2)

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4)火砕流の一部が湖を覆うように堆積。川が運んだ礫や砂が堆積し、湖は浅くなる。

5)50万年前から那須火山の活動、30万年前から高原火山の活動が活発になり、岩屑なだれが覆う(上の図3)。

6)20万年前には湖が埋め立てられ、北西から南東に流れるいくつかの河川ができる。

7)この間に、川からは礫が供給され続け、主扇状地が形成(上の図4)。

8)氷河期で、海水面が下がり、河川の浸食が盛んになり、北西側では新扇状地が覆う。

 

十和田湖の二重カルデラでも思ったが、教科書的な地形というのは少なくて、実際は複合的な要素が絡み合って、その地形ができているのだなとしみじみ感じます。

 

私が最初に引っかかったのは、「扇状地」は、砂礫が積もってできたのだから、地盤が強いってことにはならないのではないか?ってことだったのだと思います。

しかも昔、湖があったんだから・・・

 

確かに、砂礫とはいえ、礫は大きい石の集まりで(展示してあった)、いかにも硬そうではありますけども。

 

学芸員の方に聞いてみると、地震計の場所(図の北西側にある)によるのかもしれないとのことでした。

 

この、木の葉型の地を、右上から左下に、東北本線が斜めに横切っています。この上側(北西側、川の上流部分)に地震計があるそうです。

東日本大震災の時、南西側では被害が大きかったのだそうです。図で見ると「丘陵地形」という、少し他より盛り上がった部分だそうです。

 

このほか、

〇渇水かと思ったら水無川だったとは!見たい。

〇大昔は、福島側から水が流れていたのに、火山のために、福島と栃木の間に分水嶺ができたのですって!これが東北と関東の大いなる境なのか。見たい。

〇下郷での火山て何?

〇段々畑は河岸段丘

 

など、いろいろとまた何故?謎?が増えたので、また別記。