この前、松田解子記念室を有する、荒川鉱山の歴史を伝える「大盛館」に行った後、荒川鉱山跡地を写真で移したつもりでしたが・・・

地図の見方を誤り、道路の右側を写した場所は、「砂カス山」と言って、文字通り「カス」の山で、そこに水をかけてさらに銅を探した場所だったらしい。

 

そうではなくて、

茶色が道路で、青色が川。

 

秋田大学鉱業博物館で見た、荒川鉱山の映像でも印象的だった中央選鉱場は、掘り出された鉱石から、銅をより分ける場所。

私は前回、あまり上に上らずUターンしてしまったので、わからなかったのでした。

 

6段の大選鉱山場の跡です。プロレタリア作家松田解子が、荒川鉱山で働く母をモデルにした小説「おりん口伝」を読み、感動した私にとっては、・・・その舞台を目で見ることができて、感無量でしたお願い

 

選鉱場の前にある、沈殿池(シックナー)。泥鉱から銅をとる、大小5つ残ります。

 

カス山側に、煙突がありました。

 

とにかくこちらの方のブログが非常にわかりやすいです!

 

大盛館では、最初の所有者、瀬川安五郎が平福穂庵に描かせた「桃太郎」の絵がありました。三菱マテリアルが寄贈したそうです。秋田にも事業所がありますが、ここを瀬川氏から買って廃山まで運営していた「三菱合資会社」ってのの末裔が三菱マテリアルなのかも?

 

とにかく「おりん口伝」では、おりんの敵は三菱。三菱が、そりゃぁあくどく描かれていますので・・・

 

鉱床が7か所あるはずですが・・。

この鉱床によって、数値が記載されている表を写真に撮ってきたのですが、ぼけて全然わからない。これは、今後、またなんとかして数値をゲットしたらまとめたいと思います。

 

どの資料を読んでも、一番大きな鉱床「嗽(うがい)沢」のために荒川鉱山は発展した・・・と記載されています。でも、「おりん口伝」によると、嗽沢は、水が多すぎて、悪質な鉱床との表記があるためです。この水の多さが、毒水の垂れ流しに通じるのでは?というという気がしてるのです。

 

 

鉱山の毒水や排煙の問題の、昔の秋田魁新報の記事が、多数スクラップされていました。その後、秋田県立図書館のマイクロフィルムにて閲覧してきました。

 

秋田大学のデジタルギャラリーも、再度はっておきます。