田沢湖からの帰り道、「松田解子記念館 大盛館」に立ち寄ったことがあります。松田解子さんは、前から郷土の棚に本がたくさん並んでおり、気になっていたのです。

 

人は少なく無料で、地元の方もあまりご存じないのだが・・・、とスタッフの方は言っておられました。松田「解子」というのは、筆名で、解雇ばかりされるから「カイコ」という意味でつけたのだ、と教えてくださるなど、とてもお詳しい。

 

館内展示の説明を読むと、瀬川さんという方が鉱山を所有していたが、三菱合資会社に移って、その後、「昭和15年に、唐突に閉山」。気になります。それは、田沢湖の玉川の酸性水を入れた年。・・・何か関係があるのでしょうか。秋田県政的に、どうなのでしょうか。

 

鉱山では、男だけではなくて、女も働いていたという様子が展示されています。

 

今、松田さんの「おりん口伝」を3分の1ほどまで読んでいます。なるほどおりんさんもこのように働いていたのですね。石見銀山を描いた「しろがねの葉」とは、違う感覚です。

 

展示を見てから、鉱山跡も行ってみました。スタッフの方に「クマが出るから、車から降りないでくださいね。車の中から見られますから」と言われました。

 


ちょっとここでいいのかどうか・・・今は、サーキットコースとなっています。

 

昔は、この鉱山跡を見学できるようになっていたそうですが、今は危険で立ち入れないとのこと。残念。

 

 

今、「おりん口伝」」の物語では、日露戦争が終わり、鉱山のピークを過ぎて飯場からも鉱夫が減らされて・・という場面を読んでいるところ。

とはいえ三菱自身が鉱山土木から手を引いたのではなかった。三菱は、この県南で景勝地の一つとされていた抱返の渓谷に、荒川、日三市、その他県南で日露戦中買収した鉱山用電力を確保すべく、かなりの規模のダムと発電所工事を起こしていたしかしそれは、新規の土木師に託されていたのである。

三菱は田沢湖近辺の発電所・ダムにも絡んでいたのですね。エネルギーの観点からすれば、うなずける話です。

 

「おりん口伝」の、もっと前の方には、こんな記述もあります。

「あの嫁はこういうだ。-----上荒川の百姓がこのあいだも役場さ来て、鉱毒賠償のこと村長さんさも話していったはずだども、おら達、上淀川の田もやられてるで、(略)とな。----あきれたもんでねえかあの嫁も。なんぼ製煉の煙が勢いよくたって、三里もさきの上淀川の谷地田までは、毒運べねえべと思うどもな」

 

そうきくと、りんの顔へ血がのぼった。

「あの、お姑(が)さん」

りんはいった。声がふるえてきそうだった。

「煙のほうはそれほどでもないんだすども、川の毒水はずうっと上淀川の田さもひびいていたんすで。上荒川ほどではないんすども・・」

(略)

りんははじめてそのヨネを憎んだ。

りんは、姑のヨネとは仲良く、尊敬していたのですが、初めて「憎む」という記述が出てきます。自分の里のほうでは、荒川鉱山のために、毒水が影響し、田畑がやられているのを知っており、飯場のヌシである姑の言い分が、理不尽に感じられたからです。

 

塩野米松「ふたつの川」の「加太川」、「清川」もそうですが、ここに出てくる「上荒川」「上淀川」、これも、チェックです。(こちらは実名ぽいな)

 

「おりん口伝」は分厚くて、読み通すまで時間がかかりそうです。が、今、秋田でもてはやされている加藤シゲアキ「なれのはて」の土崎空襲に関する部分、ここをもっと濃く、かつ、深く広く、多角度から光を当てて描いている印象。

 

秋田のことが書いてあるからと安易に読もうとしても攻略は厳しいです。地元の書店では売れていますし、図書館でも予約でいっぱいですけども。題材として秋田を選んだ加藤さんと、生死をかけて秋田の人々を書いているような松田さん。違いは歴然としています。

私は、NEWSファンの友達に勧められて読みました。まあ、人に勧められて自分に合わない小説を読むのも苦行ですが。

謎解き好きな人にはたまらないのでしょうが。ツウ向けですね。

 

玉川はもともと田圃にとって「毒」で、荒川鉱山のように人為的ではありません。が、もともと、この辺一帯が、鉱物の温床という点ではつながっています。

 

当時の、荒川鉱山の垂れ流す毒水とは、どんな水質なのか、濃度はどうなのか、何色だったのかなど、知りたいことがふつふつと・・・。これらは秋田大学の鉱山博物館で展示があったような気がします。そこまで考えて、今まで見学していなかったなあと反省です。

 

それと、三菱がどんなふうに昭和15年の幕引きをしたのか、発電所事業にシフトしたからなのかなど、疑問は、止まりません。