恐山は最果ての地、家から300キロも北に来たというのに、フェーン現象もあって、通常より暑く、朝晩もあまり寒くなかったのは幸い。

 

朝6:30から地蔵殿でお勤め。

宿坊の内部は撮ってはいけないので撮ってないが・・・

お寺の廊下ぐらいはいいのだろうか?

 

お坊さんのお経を聞いて、ありがたいお話をいただく。本堂といろいろと、3か所ほど移動。1時間ほど。

 

廊下の右を歩こうとしたら、「左側通行です」と言われる。お坊さんの袈裟が斜め掛けになっていていて、その袈裟につかまるために、左側を歩くというのだが(…出典はあるのか?)

 

御本尊がお地蔵様なのだが、自分の背よりでかいお地蔵様を見たのは初めてだ。

 

外の延命地蔵尊と同じなのか、どうなのか。

 

後ろから見るとこう

 

話を戻す。

 

お坊さんは、われわれに対し、「自分の名前と住所を、地蔵様に名乗ってください。名乗らないと地蔵様は、だれが願っているかわかりません。名乗ることによって、みなさんと、地蔵様の間が一本の線で結ばれるのです。そして、願っていることを、心に思い浮かべてください」と話した。

 

私は、そういう心持ちではなく、観察者の形でいた。だから「何を?」となってしまった。

 

確かに来る前は、母の交通事故や、私自身の抜けなさなど、いろいろ問題は抱えていたのだが、「恐山に行く。」と決めてからこの方、そういうごじゃごじゃが、どっかに行ってしまった。

 

だからこの、、お坊さんの究極の現世利益の(やさしいながらも)
いわば「強制」に、たじろいだ。

 

しかしそれは、地蔵菩薩をご本尊としている限り、いたって当然のことだと、帰ってきて仏教語の事典を引いて知る。

 

「仏事苑」(2021,180.33)より、部分的に抜粋。

物事に忍耐強く、動かざること大地のごとく、静慮深密なること秘蔵のようであるから、その徳を賛美して地蔵菩薩という(「地蔵十輪経」より)。

 

地蔵菩薩には、女人泰産・心根具足・除衆病疾・寿命長遠・聰明智慧・財宝盈溢・衆人愛敬・穀米成熟・神明加護・証大菩提の十種の福徳(地蔵十福)があると説かれる(「延命地蔵経」より)

 

地蔵の形像をつくり、焼香、讃嘆すれば、土地豊穣・家宅永安・先亡生天・現存益寿・所求遂意・無水火災・虚耗砕除・杜絶悪夢・出入神護・多遭聖因の十種の御利益(地蔵十益)があると説かれる)(「地蔵本願経」より)

 

地蔵さまの面相は、いつもニコニコ顔で恰好のよい円満な坊主頭、ことに眉は新月のごとく柳葉のごとく、実に美しい地蔵眉である。この眉を中心として、ノッペリした頬、きりっとした口もと、慈愛にみちた眼、まことに妙相である。

この赤字部分の、20もの四文字熟語の、現世利益っぷり。

すがすがしいばかりである。

 

地蔵菩薩について、予習していくべきであった。

 

知っていたのは、お坊さんが、我々泊り客の名前を入れて御祈祷してくださること。

私は一人旅なので、芳名帳に書いたために名前を呼ばれたが、連れ客だと「○○様ほか一名~」みたいになってる。夫婦ならいいけれど、友達同士だと、ありがたみがなくなるなと思った。

 

ほかの人の体験記で、死後結婚の人形に圧倒された~とあったのだが、私が見たのは少数だった。私は学生時代、川倉地蔵堂か、どこかで、ムカサリ絵馬や人形など大量に奉納されていたのを見たことがあるので(場所があいまい)、恐山だったかな?と思ったが、違ったようだ。