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今日は、おっちゃんはおっちゃんでも、インコのおっちゃんの名前の由来となる、とりきちの伯父のお話です。
かなり私的な内容となります、すみません。
昨年から、大阪に住む、とりきちの伯父の体調が優れません。
高齢であることで、伯父の妹にあたる、とりきち母が7日に急きょ、伯父が入院する大阪の病院に赴くことになりました。
昔、伯父はパン屋でお仕事をしていたため、とりきちはいつも、「パンのおっちゃん」と親しみを込めて呼んでいました。
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私は、小学生高学年になった頃、当時の家があった埼玉県から、一人で親戚が多くいる大阪へ旅行したことがあります。
パンのおっちゃんは7人兄弟の長男で、何か親戚で集まるとなると、いつもパンのおっちゃんの家でした。
当時は、おっちゃん宅で暮らしていた祖母も元気で、祖母にも会えることを心から楽しみにしていたのです。
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旅行最終日、パンのおっちゃんが、帰りの新幹線ホームまで、とりきちを見送りに来てくれました。
とりきちは、発車のベルが聞こえず、伯父がお別れの手を振ってくれていたのに、ほとんど気づかず、新幹線は走り出してしまいました。
気づいたときは、もうおっちゃんの姿が小さくなってしまっていて、幼いながらも、きちんとお別れの挨拶ができなかったことを後々まで、後悔していました。
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それよりももっと昔、とりきちが物心ついた頃から、大阪へ遊びにいくたびに会ったパンのおっちゃんは、いつもバリバリの大阪弁を話していました。
昔は船場の商家の長男であり、かなりのイケメンであったと、母から聞いていました(大阪の商人時代のお話はこちら)。
そのおっちゃんが繰り出す大阪弁がえらい格好よく、大阪には5歳までしか暮らしたことのないとりきちにとって、憧れの存在でした。
なにゆーてんねん、あほちゃうか!
そんなん、ほっといたらええねん!
そんなきっつい、おっちゃんの大阪弁が、幼いとりきちの記憶に、しっかりと刻み込まれたのでした。
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インコのピティが、いつしか「おっちゃん」という親しみを込めた名前を持ち、大阪弁を話すようになったのも、そんな、パンのおっちゃんの姿と、ピティの威勢のいい姿が重なったからでした。
おっちゃん!
その言葉を、ピティに向けて言うたびに、本当に長く会えていない、大阪のパンのおっちゃんが思い出されます。
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昨日、母から送られてきた、パンのおっちゃんの姿は、やせ細って、歩くこともできなくなっていました。
それでも、昔優しく接してくれた、おっちゃんの面影があり、できるならば、自分が大阪にすぐにでも行き、お見舞いの言葉を伝えたい。
それが叶わない今、おっちゃんの妹である母に、とりきちの気持ちと言葉を託します。
おっちゃん、どうか元気になってください。
また、お会いして、威勢のいい大阪弁を聞かせてください。
とりきち
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