大阪商人の娘 | とりきちTagebuch

とりきちTagebuch

ドイツ・ベルリンから鳥好きの とりきちが、
一緒に暮らす鳥達、家族、ドイツの鳥事情を日記につづります。
ドイツ・とりきち横丁公式ブログを兼ねることになりました。


テーマ:


ブログを書きたい!という気持ちは、
ある日突然起きるものです。

新年を迎えた今、綴りたいという気持ちが強く、
今を逃すと、たぶん二度と書けないという気持ちが、
とりきちを突き動かしています。
立て続けの連投となりますが、お付き合いください^^

***

とりきちは大阪が大好きです。

最近の日本滞在では、毎回のように大阪へ行っています。
それは、とりきち自身が大阪で生まれ、
5歳まで育ったというのもありますし、
大阪の人たちの気質が自分にも合うなと感じるからです。

そして何よりも、とりきち母の父、すなわち、とりきちの祖父が、
かつて大阪の商人(あきんど)だったことも大きいです。

とりきちは折に触れて、母から当時の話を聞いてきました。
不確かな部分もあるので、間違いがあったら訂正してまいります。

***

大阪船場で、とりきちの祖父はたしか、
繊維問屋を営んでいたそうで、商いを成功させました。

とりきち母は、4人の兄弟、そして3姉妹の次女として、
何不自由なく暮らしていたそうです、
そこには、身の回りの世話をしてくれる者たちもいたそうです。

その後、戦争が始まり、祖父の商売は傾きはじめ、
母たち全員、和歌山へ疎開することになりました。

戦後、商売をたたむことになり、一家は大阪のある地区で
細々と暮らすことを強いられることになりました。

商売をたたんだ後、祖父の妻、つまり祖母が、
今度は一家の生計を支えるため、
生保レディとして働くことになりました。

とりきち母もまた、
会社勤めをしながら、家計を助けたそうです。

これが、母から聞いたおおまかな当時の話です。
当時の話をするときの母は決まって、
少女のように目をキラキラさせて、
大阪商人時代の暮らしの良さを振返ります。

その母の姿から、商人の娘であったことの誇りを
感じることができ、とりきちは見ていて自分までもが
嬉しくなったのでした。


***

昨年の11月末頃でしょうか。
とりきち横丁のスタッフのしおんから、

最近「あさ来た」という
連続ドラマにはまっておりまして
主人公の仕事熱心な様子に心を打たれ、
何となくとりきちさんを重ね併せて見ております。

とメールが来て、私と重ねて!?と驚き、
興味半分で、動画サイトから「あさが来た」
を観るようになりました。

すると、見事はまってしまいました(笑)
先日、全話追いつきました(笑)

日本に初の女子大を作るほどのすごい人物と、
自分を比べることは、おこがましく、
とうてい出来ませんが、主人公あさの、
商いへの情熱に見事心を打たれてしまいました。

ドラマの端々から「商い≠金儲け」ではなく、
「商い=日本を良くしていく」という思いが、
バシバシ伝わってきて、そうそうと画面に向かって
何度もうなずく自分がいました。

そしてあさが、子供をもうけてからは、
仕事と子育ての狭間で悩む姿に、自分を重ね、
涙なしでは見られませんでした。

主人公あさを支える夫の新次郎の姿は、
なんとなく、とりきち夫の姿にも重なります。

昨年、とりきちの単身出張の際、息子ぴーちゃんの
面倒を快く引き受けてくれた時は、良い夫を持ったと
心から思えたのでした。

そして、主人公のあさが、「わては商いが好きなんだす!」
と言い切った場面があるのですが、
とりきちは、わてもだす!と、一人で叫んでいたのでした。

そうなんです、とりきちも商いが大好きなんです。

ドラマ「あさが来た」は、
それをはっきりと気づかせてくれました。

***

鳥が大好きで、商いが好きで、
そんなことから、自分ができることを考えていけたら幸せだろう。

ドイツと日本の橋渡しをしながら、自分ができることで、
日本の社会にいくばくかの貢献ができたら、何て幸せだろう。

年末年始にできた一人の時間の中で、
そんなことをぼんやりと考えていました。



たまの更新となっていますが、
ブログは大切な心のより所になっています。
ぽちっと応援おねがいします


にほんブログ村


もう一押しお願いします♪
 



新春ぷぷクラセットの販売のお知らせ♪

予約整理券をお持ちの方:1月4日(月)21時より

一般販売:1月5日(火)21時より

   

福があなたのもとに来ますように!

とりきちさんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

SNSアカウント

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス