この家での私の姿。
友人にこの話をしたら、
家族といる私は、私じゃないみたい!と言っていた。
思えば自分らしさが出せるのは、昔から友達の前だけだった。
家庭で強い圧力を受けている人間の反動で、
外でそれを他人に対してしたかった…それが教師になった理由かもしれない。
それが二重人格みたいだと自分でも思っていた。
が、その圧力を離れて30年以上経ち、
この無表情の自分は私でなく、
私の感性を出している時の自分が私であると、今なら確信が持てる。
だから私はこの姉との付き合いを、
職場の意地悪かったあの人みたいに思ってやり過ごそう。
できるだけ関わらない、話さない。
あまりにひどければ、私は途中でNZへ戻る事も考えた。
それは母に申し訳ないので、耐えるつもりだが、
今月だけしか親の介護という責任を果たせないのは事実。
忍耐、これに尽きる。