ハイヤーセルフ byバシャール
ハイヤーセルフとは
高次の自己
非物理的なあなたの個人的存在の一部で
物事がどのように起こるかを理解する能力を持つあなたの存在のレベル
精神的な側面を持ち
そして物理的現実の肉体マインドを導く存在です。
基本的にスピリットが私達の自然な状態です。
霊を離れて物理的現実に行くと言う考えは誤解です。
あなたは、霊的意識の一部を私たちが
物理現実と呼んでいる一種の夢の中
一種のシミュレーションの中に集中させているのです。
高次のマインドは精神的の言語、エネルギー用語で問いかける。
周波数、エネルギーコミュニケーションで
肉体のマインドと会話する。
エネルギー用語を物理的言語化すると
エキサイティング、情熱、興奮、創造性、愛
「こひしたふわよ」
(心地よい、惹かれる、しっくりする、すっきりする
楽しい、腑に落ちる、ワクワクする、喜びを感じる)
私たちは肉体のマインドが主導権を握っていて
マインドがコントロールして全てが上手くいく為に
『どうすれば? How?』っと考えるのが普通だと
教えられてきましたが、これは間違いです。
1、高次のハイヤーセルフが宿す(Conceive)
案や計画、アイデアを思いつく、考える、創造する
2、肉体の脳が受け取る(Receive)
受け取る、受信する
3、肉体のマインドの心が知覚する(Perceive)
五感などの感覚で感じ取る、気づく、捉える
肉体のマインドは
物事がどのように「起こるのか?」
を知覚できるようには設計されていません
物事がどのように「起こったか」過去形
を「知覚するためだけ」
に設計されています。
高次の自分、ハイヤーセルフ
が
「物事がどのように起こるのか」
を理解する能力を持つレベルの自分の存在です。
引き寄せの法則などで
「心配する必要はない、どうやって成し遂げるのか考える必要はない』
『宇宙に委ねればいい』
っと言われるのは
「あなたがそれを知る方法がない」からです
あなたの肉体のマインド、心の能力の範囲内にはないからです
それが
「どのように起こったのか」
を見ることができても
「どのように起きるのか」
を見ることはできないということです。
『どのように起きるか?How?」
の知覚、認識は
肉体のマインドではなく
ハイヤーセルフからもたらされるのです
ハイヤーセルフの仕事だからです
だから
『宇宙に委ねましょう』
っということなのです。
だから
「肉体のマインドの仕事」
と
『ハイヤーセルフの仕事』
を
区別することで
自分の肩の荷を下ろすことができ
スピードアップすることができるのです。
(例)
引き寄せが上手くいかない
人生が上手くいかない
っという人々は
自分の背負う荷物じゃないのに
その重い荷物を何個も自分で背負って
「重〜い、運べな〜い」
っとやっているんです。
背負う必要もないし、運ぶ必要もないのに
だけど
背負い続けて、運び続けて
「これは足手纏いだ、上手くいかない、疲れた、なんでだ」
と疲れ果ててしまうのです
自分の仕事範囲外のことを背負い込みしすぎてるのです。
これは
ハイヤーセルフの仕事をしようとしているだけで
自分がするようにデザインされた仕事をしていないのです。
ハイヤーセルフとは
「山頂にいる自分」
で
地図の全体像を把握して
遠くまで見渡すことができて
「道路はこっちよ、左に曲がって!」
っとエネルギーの直感というエネルギーを送っているのに
自分のエゴが
『怪しくない?右に曲がった方がいいよ、万が一の為に』っと
でも
ハイヤーセルは
「左に曲がって!怖がる必要ないのよ!
どうやって?って知る必要ないのよ!私を信じて!
私が嘘つくはずないでしょ、だって私はあなたよ」
っと自分自身を
「最も抵抗の少ない道路」
に導いてくれているのです
自分のハイヤーセルフが本当に
「自分の一側面」
である事を理解すると
考えるのではなく
喜んでハイヤーセルフに
耳を傾けるようになるでしょう
「あなたはハイヤーセルフ」
であり
「ハイヤーセルフはあなた」
でもあるのです
これが
完全な人間
という事です。
ハイヤーセルフ
受信する自分の脳
肉体のマインド
この三位一体が
完全な人格なのです
自分を区分けしてしまうと
文字通り完全な人格として機能しない
「半人前』
になってしまうのです。
だから
ハイヤーセルフ本来の役割を果たさせてあげる事で
自分が背負っている重い荷物を下ろし
荷物が軽くなることで
活力が湧き、悟りを開き、自由を感じ
想像以上にエネルギーがあると感じ
ハイヤーセルフの示唆する方向に進むことができるようになるのです
そして物事が加速します
人々が
委ねるというアイデア
降伏(Surrender サレンダー)というアイデア
について話す時
これは単に
ありのままの自分、ハイヤーセルフに身を委ねなさい
っと言っているのです。
『Surrender to being who you actually are,
instead of who you've been taught to think you're supposed to be』