色んな方のブログを読ませていただいている中で、ある方が「障害児を産んだら人生終わり」って書いているのを読みました。


この部分だけあえて切り取りますけども、私はその障害児を産んだ張本人。

人生終わってたのか?私?

と、不快な気持ちとかではなく、自分に当てはめてみましたが、特に終わっているとは思いませんでした。

もしかしたら、次男がもっと大きくなる過程でそう思うこともあるのかしら?

でも、何となくそれはないような気がします。



私は息子達を妊娠中に、特別な検査は何もしませんでした。

でも、以前は妊娠したら絶対に検査しようと思っていたこともありました。


私は一時期仕事で産婦人科に常駐していたことがあります。

結婚はしていたけど、まだはっきりと子供が欲しいと思っていない時期でした。

周りはママさんの職員が多く、雑談のなかで1人のママさん職員の方に受けた方がいいよと言われたのです。

検査には20万くらいするけれど、絶対に受けた方がいいと。

考えが浅いですが、その時はプロがそう言うならそうなのかなと思いました。

育児は自由を奪われる大変なことというイメージがあり、確かに障害児を育てることなんてそのイメージをはるか上回る大変なことで、想像なんてつきませんでした。

妊娠中に障害がわかったからには、中絶を選ぶのも仕方ないのだろうなと思っていました。



時を経て2度目の離婚でほぼ精神を病んだ私は、生きていく理由がなくなってしまいました。

でも、自殺するほどの強さも勇気もなく、この先も生き続けなければならないのか…と思いました。

そこで、子供がいたら子供のために生きていくことができるのではないかと考えました。

もう1人は嫌でした。


何とか、子供が欲しいと思っていた今の旦那と縁があり再び結婚できましたが、流産を経験しました。

周りでも流産の話は少なくなく、元気に生まれることが奇跡なのだと知ったら、もう特別な検査を受ける気にはなりませんでした。

年齢的にも授かれる確率、産める確率は確実に低下していましたし。


結果、長男と次男、共に元気で産まれてきてくれたのは奇跡です。

昨年次男の障害が判明しましたが、では産まれる前に戻りたいと思うか?

産まなければよかったと思うか?

それは、否です。


確かに一時的に長男だけだと楽だな~とか思うことはしょっちゅうです。

でも、次男も既にかけがえのない存在になっており、なかったことになどできません。


私の人生はそもそも2度目の離婚のときに既に終わっていたんです。

それをまた再開させてくれたのは子供達です。


次男のお世話は大変ですけど、今まで気付かなかったことに気付かせてくれたり、知らなかったことを次男を通して知ることができています。


以前の自分と今の自分を比べると、圧倒的に今の自分の方が好きなんです。

だから、次男が障害児であっても、私の人生は全然終わりではありません。



色々な考え方がありますよね。

自分が経験したことないことは、想像しかできませんよね。

障害児がいたら、きっとものすごく大変だから人生終わるに決まってる…という考えもわかります。


でも、そう決めつけないで欲しい、とも思います。

あなたはそうかもしれないけど、違う人もいるのだから。

せめて「私だったら」とつけて欲しい。

「もし、私が障害児を産んだら、人生終わる。」なら、その人のことなので「あなたはそうなんですね。私は違いますけど。」で済みます。


この件に限らずそういう言い方を、ついしてしまうこともあると思います。

無意識に特定の人を見下す感情って誰もが持っていると思います。

大枠で「これはこういうもの」とカテゴライズした方が明快で安心できる、というのもあるでしょう。


でも、私も自分が知らない世界のことを決めつけるような言い方はしないようにしようと思いました。

そうなってみないとらわからないし、みんながそうとは限らないですからね。


私は少なくとも前よりも幸せです!

今のところは人生終わってないです。