連日、腎不全の老猫キジ子(仮名)の世話に追われています。

追われていると言っても寝たきり状態ですから、ずっと何かしてあげているわけではありませんが、いつ旅立ってしまうのかという緊張感がありますピリピリ


キジ子の世話はすべて私です。

私の連れ子なので、私が世話しています。


帰りの遅い旦那にキジ子の病状を話しても、反応が非常に薄いです。

旦那は猫が嫌いなわけではありませんが、あまり関心がないのだと思います。

それでも、通院にかかる費用についても文句を言われるどころか、仕方ないと理解を示してくれています。


そもそも、バツ2猫3匹という訳あり物件の私と結婚してくれたのだから、奇特な人なのですタラー

昨年亡くなった三毛女帝が病気の時は、遠くの病院まで何度も車を出してくれました。


優しいのかな…?

優しくないと言ったらバチが当たりますよねアセアセ


でも、共感の言葉はなく、私1人が悲しんでいるみたいで、孤独を感じるのですショボーン


まぁ、旦那の共感性のなさは今に始まったことではありません。

男性はそういう人が多いけれど、旦那は特にそれが強いと思います。


なので、キジ子の話はキジ子を知っている友人や、猫を飼っていた友人に話を聞いてもらっています。

こういうのを旦那に求めるべきではないんですよね、きっと。



でも、やっぱり寂しいなって思ってしまうんですよね。

家族のことだから、家族に共感を得たいのですショボーン


とは言うものの、「共感してよ!悲しいと思ってよ!」と強制するものでもないですからね。

諦めるしかないのでしょう悲しい



そして、改めて今の状況が恵まれていると思い直します!


私が結婚していなくて独身だったら、在宅勤務ではないのでキジ子の側にはいられなかった。

残業が多いので動物病院にも毎日通えなかった。

通院費用も捻出できたかどうか?

そして何と言っても、1人でキジ子と過ごさないといけないのは、今より数段辛かったに違いありません。

共感がなくても、一緒に過ごす家族がいるだけで、だいぶ心強いのは確かです。



そう。

だから、孤独だなんて言ってはいけないですよね。

人は更に更に求めてしまうけれど、なかった状態を考えたらゾッとします。

旦那が子供がいるのが当たり前になってしまっています。

共感の言葉がなくても、一緒に過ごしてくれていることに感謝しよう。



…なんて、良い話っぽくまとめてみようとしましたが…。

一緒に過ごしてくれてると言うか、ただ旦那はただ帰宅してるだけですしね凝視


うん、やっぱり寂しいものは寂しいです悲しい