『眠狂四郎殺法帖』(田中徳三監督) | 新・法水堂

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『眠狂四郎殺法帖』



1963年日本映画 82分
監督:田中徳三
企画:辻久一 脚本:星川清司
原作:柴田錬三郎「週刊新潮」連載
撮影:牧浦地志
録音:奥村雅弘 照明:中岡源権
美術:内藤昭 音楽:小杉太一郎 
編集:山田弘 装置:後藤幸一
擬斗:宮内昌平 音響効果:倉嶋暢
助監督:土井茂 製作主任:大菅実
現像:東洋現像所

出演:
市川雷蔵(眠狂四郎)
中村玉緒(千佐)
城健三朗[若山富三郎](陳孫)
小林勝彦(金八)
髙見国一[高見國一](捨丸)
扇町景子(柳橋芸者・歌吉)
真城千都世(常盤津文字若)
沢村宗之助(加賀前田家宰相・前田斉泰)
荒木忍(僧空然)
南部彰三(能面師・仁兵衛)
橘公子(船宿の女将)
木村玄[木村元](根来竜雲)
伊達三郎(銭屋五兵衛)
藤川準(無頼漢)
志賀明(無頼漢)
滝川潔(江戸の若い衆)
大杉潤(無頼漢)
西岡弘善(無頼漢)
布目真爾(江戸の若い衆)
黒木英男(無頼漢)
美吉かほる(斉泰の妾・お美代の方)

STORY
狂四郎が“巣”と呼んでいる大川端の船宿喜多川に赴く途中、手裏剣の襲撃をうけた。闇の中に姿を溶かしているのは伊賀者と知れた。迫る刺客を斬りすてたものの、ついに一人槍丸という小男を逃がした。冷たく無表情な顔が、常盤津の師匠文字若の離れに移ったのはそれから数日後のことであった。そこで加賀藩の奥女中千佐の訪問をうけ、命をつけ狙う陳孫から護ってくれるよう依頼された。指定の清香寺に出向いた狂四郎は、意外にも陳孫から千佐が加賀藩の間者であることを知らされた。怒った狂四郎は千佐を前に加賀藩のからくりをあばいた。すなわち、加賀藩主は豪商銭屋五兵衛と結んで大規模な密貿易を働いて巨富を築いた。しかし公儀への発覚を恐れ銭屋一族を処断し、復讐を企む銭屋の仲間の陳孫を抹殺するために、狂四郎に近づけたというのだ。全てをみやぶられた千佐は拒絶の姿勢を崩して狂四郎を誘ったが、狂四郎の胸の内は唯人間を品物同様に利用する者への憤りだけがあった。又も陳孫に誘われて河口迄来た狂四郎は、そこに死んだはずの五兵衛を見て鷺いた。しかも金銭をつんで協力を要請した。狂四郎の虚無な眼はそれをうけながしたが、それを予期した陣孫は千佐を拉致し去った。前田侯にバカげた茶番の決着をつけるよう迫る狂四郎は、江戸表から金沢へと追った。金沢には、千佐の出現以来狂四郎につきまとう槍丸が千佐の居場所とつきとめて待っていた。陳孫の許を脱出した千佐は能面師・仁兵衛の家に身を寄せて狂四郎を待っていた。また捨丸は前田家の命運を動かし、密貿易に絡む文書を秘めた碧玉の仏像の所在を探っていた。陳孫から奪った木筥は狂四郎の手に渡った。対い合う陳孫と狂四郎を捨丸が救い勝負はおあずけとなった。狂四郎は小筥をはさんで、千佐の出生の秘密を語った。前田侯は千佐の実父であり、母は出家しているという。北の海に面した砂丘の尼寺に馳けつけた千佐と狂四郎の見たのは、絞殺された尼僧の姿だった。陳孫と五兵衛のしわざだ。円月殺法と小林寺拳法の対決の時が来たのだ。【「KINENOTE」より一部修正】

柴田錬三郎さんの原作小説を映画化した市川雷蔵版シリーズ第1作。『サマーフィルムにのって』のハダシが愛してやまない作品の一つでもある。

このシリーズは第2作『眠狂四郎勝負』を先に観ていて、今回3年越しにようやく第1作を観た次第。
本作のヒロインは中村玉緒さん。公開されたのは勝新太郎さんと結婚した翌年なので、城健三朗(後の若山富三郎)さんとは既に義兄妹の関係だったのね。

ネット上ではキャラがまだ定まっていないという評価も散見されたけど、世の中に対しても人間に対してもニヒルな態度というのは既に打ち出されているし、『〜勝負』ともさほど印象は変わらなかった。
城健三朗さんは少林寺拳法の達人という役どころではあるのだけど、こちらはちょっと無理があるというか何と言うか…。あまり身軽そうには見えないし。笑
最後の決闘シーン、石川にも内灘砂丘というのがあるらしいのだけど、実際の撮影は鳥取砂丘で行われたとのこと。そりゃまあそっちの方が絵になりそうだしねぇ。
最後に決着をつけなかったということはまた出てくる可能性あり?

ちなみに「KINENOTE」などでは(それを参照にしたらしきWikipediaも)南部彰三さんの役名が「窯元蔵六」となっているが、実際は能面師の仁兵衛役。