『赤い天使』(増村保造監督) | 新・法水堂

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演劇と映画の日々。ネタバレご容赦。

『赤い天使』

 

 

1966年日本映画 95分

監督:増村保造

企画:久保寺生郎

原作:有馬頼義 脚本:笠原良三

撮影:小林節雄 録音:飛田喜美雄 照明:泉正蔵

美術:下河原友雄 音楽:池野成 編集:中静達治  助監督:崎山周 製作主任:上嶋博明

写真提供:毎日新聞社


出演:

若尾文子(看護婦・西さくら)

芦田伸介(岡部軍医)

川津祐介(折原一等兵)

千波丈太郎[丈の右上に点](坂本一等兵)

赤木欄子[赤木蘭子](岩島婦長)

小山内淳(特務曹長)

井上大吾(尖兵中隊の伍長)

仲村隆(小隊長)

谷謙一(負傷兵)

飛田喜佐夫(患者)

河島尚真(衛生兵)

池上綾子(津留崎看護婦)

喜多大八(野上衛生上等兵)

志保京助(中国人ボーイ)、三夏伸(兵隊)、中原健(負傷兵B)、佐山真次(傷病兵)、大庭健二、後藤武彦(負傷兵A)、荒木康夫(負傷兵C)、山根圭一郎、南堂正樹(負傷兵D)、岡郁二、佐原新治、佐伯勇、篠田三郎、竹里光子(看護婦A)、松村若代(看護婦B)、有島圭子(看護婦D)、真杉美智子(看護婦C)、一條淳子(従軍慰安婦A)、藤野千佳子(従軍慰安婦C)、沖良美、西尋子、甲千鶴(従軍慰安婦B)、大西貴子、中川八重子、笠原玲子、津山由起子、須藤道子、水木正子、岡田陽子

 

STORY

昭和十四年、西さくらは従軍看護婦として天津の陸軍病院に赴任した。その数日後、消灯の後の巡回中、彼女は坂本一等兵ら数人の患者に犯されてしまった。二ヶ月後、深県分院に転属となった彼女は、軍医岡部の指揮の下で忙しい毎日を送っていた。一つの作戦ごとに、傷病兵は何台ものトラックで運ばれてきた。大手術が毎日のように行なわれ、手術台の傍の箱には切断された手足があふれていた。そんな精神をすりへらす仕事に、岡部軍医はいつしかモルヒネを常用するようになっていた。勤務交代で天津に戻ったさくらは岡部のお蔭で生命が助かったという折原一等兵に会った。そして、哀願する折原のために、さくらはホテルの一室で全裸になった。男の機能を復活させることが、自分の使命だと思ったからだった。しかし、あくる日、折原は病院の屋上から投身自殺を遂げた。再び深県分院に戻ったさくらは、岡部がモルヒネのために不能になっていることを知り、それを治そうと一緒に寝た。さくらは岡部をいつしか愛してもいたのだった。やがて岡部は応急看護班を編成して前線にいくことになり、さくらも行動を共にした。しかし、前線を走るトラックは、まだ目的地に着かないうちに、営林鎮集落で敵の包囲を受けた。しかも、極度に衛生状態の悪い集落ではコレラが発生していた。無線機は故障していた。総ての望みを絶たれた岡部とさくらは、ある日の夜、二人きりで部屋に閉じこもった。岡部は、間もなく禁断症状を起こして暴れたが、さくらは必死になって押えつけ、夜の白む頃まで格闘した。そして岡部が正気に戻った時、二人は激しい抱擁をくり返したが、間もなく、中国軍の攻撃が始まった。そして、圧倒的な中国軍の前に、全員が散っていったのだった。援軍が到着した後、さくらは岡部の死体を探して抱きしめた。【「KINENOTE」より】


有馬頼義さんの原作を増村保造監督が映画化。

 

春日太一さんの『日本の戦争映画』(文春新書)で紹介されていて観たいと思っていたのだけど、いやはやこれは本当にすごい作品。

 

のっけから若尾文子さん扮する西看護婦が患者たちにレイプされるわ、手足をバッタバッタと切断する岡部軍医からは自分の部屋に来るように要求されるわ、両腕を失った折原一等兵からはとあるお願いをされるわ…(どんなお願いか想像つきますね。笑)。

自分をレイプした坂本一等兵にまで情けをかけようとするのは、戦場という極限状態にあればこそだろう。彼女は終始、自分のせいで人が死んでしまったという自責の念に駆られながら、献身的に看護に当たる。

西看護婦が「西は嫌です」のように自分の苗字を一人称として使うのがいいのよね。

不能となった岡部軍医と寝た後、「西は勝ちました」にはちょっと笑ってしまったけど。

いやー、この頃のあややと勝負して勝てる人なんていないでしょうな。笑

 

そんな若尾文子さんの魅力が爆発しているだけではなく、本作は戦争映画としても秀逸。

西看護婦にしても、岡部軍医にしても、折原一等兵にしても、それぞれが戦場という場でギリギリの生を生きている様子がリアルに描かれている。戦闘場面でも増村保造監督のシャープな演出が冴えわたっていた。