前回からの続き、子宮筋腫手術備忘録です。
いよいよ手術当日。
家を出る1時間ほど前に病院から電話があり、「今すぐ来られますか?スケジュールの変更をしたいので」という。
いや、断ったけど
息子を学校へ迎えに行き、すぐに病院へ向かうことをギリギリの時間で予定していたので、そもそも無理であった。
どうやら、私の前に手術を予定していた患者が遅れることになったらしい。
手術当日に??忙しいのか知らんが、迷惑な人である。
しかし病院も商売なので、稼ぎどころの手術自体がなくなるよりは、遅れてでも引き受けることを優先するのであろう。
保険がカバーする分患者の負担は小さくなるが、病院の売上げ自体はウン万ドル、つまり1時間の手術で何百万円にもなる。
ところで、手術当日、息子は同じアパートの友人宅で預かってもらうことになった。
この家族には二人娘がいて、一人は息子と同学年、同じ小学校に通っている。
そしてカープール(相乗り)仲間でもある。
毎朝、この家族の夫が息子を一緒に学校へ連れて行き、午後は私かうちの夫が迎えに行く。
ガス代も時間も節約できて、お互いお得な関係なのである。
そんなわけで、安心して夫と病院へ向かった。
手術は午後3時から、朝から食べていなかったが、緊張のせいかお腹は空いていなかった。
尿検査をし、着替えを渡され、リカバリー室で待つこと2時間以上。
遅れてきた患者の手術後処理を待っての開始になったため、実際の手術は5時過ぎからとなった。
地下の手術室では、5、6人の医師や看護師、大学病院なので学生たちがいた。
「やけに寒いな...」と感じたのが最後、次に目を覚ましたのは先ほどのリカバリー室であった。
そこにいた看護師さんによると、手術は1時間ほどで、スムーズに終わったという。
気分は特に悪くなく、ボーッと寝起きの頭でなんとなく時間を気にしていた。
すぐに看護師さんが夫を呼んできてくれた。
夫も主治医の先生から手術が無事終わったことを聞いていた。
とにかく休む、痛み止めはイブプロフェンとタイレノールを交互に飲むなどの注意を受けて、病院での手続きは終わった。
30分ほど休んで、フラフラとしつつも着替えることができた。
病院のスタッフが車椅子で入り口まで運んでくれ、夫が車を回してきてくれた。
この日はフラフラする以外は何事もなかったが、お腹の辺りに多少の違和感がある気はした。
薬を飲んでいたので、痛みは感じなかった。
とにかく疲れたのでさっさと寝ることにした。
次の日とその次の日は、フラフラはしなくなったが、やはり少しは痛みがあった。
出血があったので、一応病院へチャットメッセージを送っておいた。
しかし重い生理痛に比べると大したことはなく、痛み止めを一度だけ飲んだが、その後は忘れてしまうほどであった。
おかげでZoomで大学院の授業を受けることができた。
なかなかハードなクラスで、出席していないとついて行けなくなるから、助かった。
(教授にはあらかじめ状況を説明して許可をもらっていた)
さらに次の日、手術から三日経った午後に急にフラフラが戻ってきた。
熱を測ると38度2分。
ネットで検索すると「手術から三日目ごろの発熱は感染症の疑いあり」と出てきたので、心配になった。
病院にはチャットメッセージを送ったが、すぐに返事が来るわけではない。
不安になりつつも、解熱剤を飲んでとにかく寝ることにした。
翌朝、熱はすっかり下がり、出血も減ってきた。
病院から電話が来て、改めて様子を説明したら「今熱が下がって出血も落ち着いているなら大丈夫」と言われた。
まあそうだろうな、と思ったし、特に気にせず過ごすことにした。
その後はどんどん回復していった。
日を追うごとに、体が楽になっていくのを実感していた。
貧血も不正出血もない、生理は一応来たが、ものすごく軽い(本人比)...なんて楽なの!!!
ジムでの運動も再開した。
手術から一月経った今、あることを発見。
1年前よりもパフォーマンスが良くなっている。
ジムではずっと同じバイクマシンを使っているのだが、過去の記録を次々破るほど調子が良い。
試験明けに飲み過ぎ、二日酔いの日でさえ最高記録を叩き出した。
子宮筋腫め...そんなに悪さをしていたとは!
あとIUD(ミレーナ、避妊リングともいう)のおかげもあってか、ほぼ生理のない生活なのも大きい。
もちろん個人差はあるかと思うが、私個人の感想としては、子宮筋腫除去手術を受けてIUDを入れたことは大大大正解であった。
今リビングに飾ってあるのは、早春の花ラナンキュラス。
花担当の夫にお願いして買ってきてもらったのだが、本人も気に入ったらしい