私のblogに来てくださり
ありがとうございます
小学6年生の三学期
突然不登校になった息子は
強迫性障害と慢性チックを診断され、
そこからみるみると拘りが強くなり、
ご飯を食べず体重減少のため
1ヶ月以上小児科にて
入院生活を経験しました。
その後ASD(自閉症スペクトラム)
と言うことが分かり、
更に1年が過ぎた2022年の7月、
やっと精神科に入院する事が決まり、
閉鎖病棟へ保護入院。
任意入院に変わった後
1年間の病棟生活を終え
ついに退院しました!!
現在は1日も通えなかった中学校を
無事卒業し、
病気の治療に専念している為
進学はせず
引きこもり中。
辛い現実を受け入れることが
出来なかった私と
息子の現状を主に綴っております。
宜しければお付き合いください![]()
大好きなお母さんへ
最期の手紙を
棺に入れました。
記録として残しておこうと
思います。
「お母さんへ
お母さんが旅立ってから45年間の人生を振り返ってみました。
幼い頃は人見知りが強くお母さんから離れられない子供でした。
どこに行くにもお母さんと一緒じゃないと不安が強く、一人で行動するのが苦手でした。
お母さんはいつも働き者で外出が多く、小学生の頃はあまり長い時間一緒に過ごせなくて悲しい思いもしました。
弟がちょっかいをだしてきて喧嘩をすると、外に出されて大泣きした事を覚えています。
それでも沢山の愛情を注いでくれたお母さんは常に優しかったですね。
高校生になると友達との交流を優先して自宅に帰らない日々も沢山ありました。
それでもお母さんは叱ることなくいつも自由に育ててくれました。
ろくに就職もせずふらついてる私をそっと見守ってくれたお母さん。
そのお陰で自分で考え、好きなことをしたいと気づき洋裁学校へ通いました。
お陰で母親になった今、子供たちのために手作りバッグを作ったり、洋服を作ったりすることが得意になりました。
パパと結婚してから20年になります。
足りないところを常に補ってくれるので本当に幸せです。
5年前、息子の病気がわかった時、初めて人生のどん底を味わいました。
その後にお母さんの癌が発覚。
お母さんも大変なのに少しでも孫の手助けをしてあげようとお母さんとお父さんは覚悟を決め、実家を手放し同居をしてくれました。
それからはお母さんに素直になることができず、あっという間に1年が過ぎてしまいました。
慣れない土地で毎月抗がん剤治療を頑張っていたのに全然協力出来なかったと後悔しています。
1月に入ってからあっという間に弱っていくお母さんの姿を見るのはとても辛かったです。
それでも、救急車で搬送され、最期の最期まで、お母さんの浮腫んだ足を泣きながらマッサージしたり、手を握ったり、ありがとうの言葉を伝えられたことに悔いはありません。
最期に食べたガリガリ君は美味しかったかな?
どこが痛い?と聞いたら胸が痛いと言ってたお母さん。
呼吸するのは本当に辛かったよね。
でも、お父さんが面会にくるまで本当に本当に頑張った。
皆で見送れて幸せだった。
お母さん、今まで本当にありがとうございました。
いつまでも大好きだよ。
毎朝昇る太陽、小鳥のさえずり、木々のせせらぎ、何気ない日常を感じながら寂しくなったらお空を見上げるからね!
また会おうね!
バイバイ。
娘より」
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