桑名龍吾ファシスト自民党が高知市政を担うようになり、中心地から全滅してしまった高知県の屋台文化。
多くの人々が屋台の退去命令に「なぜ今さら?」「そんなのなら日曜市だって同じになるよ。」とかなりの苦言を呈しています。
すっかり無駄に広いだけになってしまった廿代町のグリーンロード、
慰められることにいくつかの屋台は通常の店舗を構え、まだまだ頑張っています。
しかし、そんな高知市に希望の光が差し込んできました。
「菜園場町に屋台が生き残ってる?」と私がふと思ったのは、
家族が全員出払っていてホームアローンを満喫している5月の終わりごろでした。
話は去年の9月、クイーンメリー2の船旅から帰ってきた直後、これも今さらな話ですが、私はコロナにかかってしまいました。
あくまで自分の個人的な感想ですが、幸いにして私は軽症。
発熱もしましたが「これって普通の風邪のほうがしんどくない?」と思いたくなるくらい、世間が騒ぎ立てていたようなウイルスとは思えないくらい、ほぼ「ふつうの風邪」でした。
それでも部屋から極力出ないように心がけ、病院からもらったゾコーバを飲み、おとなしくしていました。
退屈だったので自分のiPadでYouTubeを眺める毎日。
そんな折に、私がのめり込んだチャンネルがありました。
高知県内の飲食店を飲み歩きするおじちゃんたち三人のチャンネル「とさちや」です。
元々、9月の旅行前からチャンネル登録をしており、それまではあまり視聴しなかったのですが、
たった一人で無茶苦茶しんどい、緊張しっぱなしの海外旅行から帰ってきて、
帰宅したとたん、タイタニックの煙突が折れるときに一気に跳ね飛んだワイヤーのように緊張の糸が切れ、
疲れ切っていた私がこのチャンネルを見ると、
なんとも言えないような安心感に包まれました・・・・・❤
「あぁ、高知に帰ってきたんだな・・・・」と。
家に帰って来た時とはまた違う強い安心感でした。
以来、私はずっと「とさちや」のファンになり、特に日曜日にチャンネルの更新があったときは、他の動画よりも真っ先に見ています。
そんな「とさちや」の中にある動画、
それは菜園場町にある屋台「たかちゃん」の動画でした。
実は私も一回たかちゃんを見に行ったことがあり(まだ食べに行ったことはないですが)、場所も把握していました。
そして先週、ふと思ったのです。
「もしかして、たかちゃんってまだ営業してる?」と。
高知から絶滅してしまった屋台が生き残っている可能性が出てきました。
「もしや・・・・」と思い先週の金曜日、「仕事から帰ってきたら「たかちゃん」を確認しに行こう!」と決意し、
18時40分、家を出て自転車で菜園場町に向かいました。
日が長いとはいえもう暗くなり始めている7時前だったので、ゆっくり漕ぐように心がけました。
なぜなら日中のように強く漕いでしまうと、交感神経が働いて眠れなくなってしまうので。
天理教の連中がたむろしている高知駅前を通り過ぎ、ひたすら高架下の道路を東へ向かいます。
北本町のあたりで南に転進、拡張工事が行われている県道249号線を下ります。
はりまや橋小学校のあたりで再び東へ少し、
すると・・・・・懐かしい光が見えてきました。
「!!」と息をのみ、ついに屋台たかちゃんを確認したのです!!
提灯に灯りがついてる!!! 中からは楽しそうな声が聞こえてきます!!!
やった!!!やったぞ!!!たかちゃんは生きていたんだ!!!!
本当にうれしくて、一瞬ウルっときました。
こうして、全滅してしまったと思われた高知屋台の生存を確認したのです。
しかしまだ「たかちゃん」だけではありません。
郊外にある高知市横内のドラッグストア「セイムス」の近くにも、確か屋台が生き残っていたはずです!
これはまた行かなければ!!そう強く心に決め、これ以上ないくらい満たされた気分で家路につきました。
最後に、大好きな「デイ・アフター・トゥモロー」の一節を綴りたいと思います。
とそのとき、マイクの口から大きな声が漏れた。大声を上げて指差した。(中略)やがてあちこちに、こちらの窓にもあちらの窓にも、ろうそくの炎がともり始めた。飛行機の爆音を聞き、テントが張られるのを目にした人々が、ろうそくをともして合図を送ってきたのだ。
無数にまたたくろうそくは、まるで星が輝いているようだった。声こそ発してないものの、ろうそくは雄弁に物語っていた。
みなさんが思っているよりたくさん、私たちは生き残っている、と。
私たちはまだここにいる、と。