0909 Today in Rock
アーニー・ボール死去<享年74>(2004)
ギター関連製品メーカー“アーニー・ボール”の創立者
アーニー・ボールがこの日死去した。
弦楽器、特にギターを弾く者にはお馴染みの
アーニー・ボール。
その中でも、最も有名なのがエリック・クラプトンや
ジミー・ペイジ、スラッシュを始め
多くのミュージシャンに使用されているギター弦だ。
その中でもベスト・セラーと言われる“スリンキー”が
発売されるまでは、まさに山あり谷ありの人生だった。。。
元々ミュージシャンであったアーニー・ボールは
1950年代後半に“ギター専門店”をロサンゼルスに出店し
ギターやギターの関連パーツ・小物を扱っていた。
当初、他の楽器を一切売らないギター専門店は
成功しないと言われたが
彼は“俺はギターを売りたいだけだ”と言って
専門店にこだわった。。。
そんなある日、アーニー・ボールはあることに気付いた。。。
それは当時最も売れていたギター弦
フェンダーの“#100ミディアムゲージ”の4弦が太くて
初心者には弾きづらいという事だった。
そこでアーニー・ボールは4弦を少し細くしてはどうかと
フェンダー社に持ちかけるが、その提案はあっさり断られたため
彼は自分で弦メーカーに4弦が細い特別セットを発注、
アーニー・ボール・ブランドとして発売した。
またその頃“ギター専門店”というスタイルが話題を呼び、
西海岸のバンド、ビーチ・ボーイズや
ベンチャーズなどが顧客となり
彼の弦はプロが使用するようになる。
そんな一流ミュージシャンとの交流の中で
アーニー・ボールはギタリストが1番太い6弦を捨て
バンジョーの弦を1弦に張り、
より細いセットになるように工夫していることを知った。
そこで6弦とも、より細いセットがあれば
売れるのではないかと思い、
再びフェンダーに話しをしたが却下される。。。
また、同じころギブソンにもアプローチしたが
相手にされなかったという。。。
そこで彼は“アニー・ボール・スリンキー”という
より細いセットを自身で発売し成功を収める。
彼はレオ・フェンダーやオーヴェル・ギブソンのような
職人でもなく、革新的な発明をした訳でもなかった。。。
しかし、アーニー・ボールは
ギタリストの要求に応えようと試行錯誤し
ただただ、プレイヤーの立場に立って商品開発してゆく。
彼は楽器店のオーナーの気持ちを
いつまでも持ち続けた男だったのだ。
そして最初の弦作りからおよそ20年経った1984年。
レオ・フェンダーが作った新たなメーカー
ミュージック・マンをアーニー・ボールが買収する。。。
その後、アーニー・ボール/ミュージック・マンとして
ギター、ベース、アンプ等の製造まで手がけていった。。。
左右非対称のネックグリップにディマジオの
カスタム・ピックアップ。。。隅々にまでこだわった
ミュージック・マンのシグネイチャー・モデルを弾くエディ。
Van Halen - Poundcake
John Lennon 「Imagine」(1971)
ロック史に残る1枚「Imagine」は
ビートルズ解散後のジョン・レノン2枚目となるアルバムで
ジョン最大のヒット作。
前作「ジョンの魂」が溜まりに溜まった思いを
吐き出したものだとすれば、
これは、歌詞の内容は政治的メッセージを多く含んでいるが
サウンド的にはよりジョンらしい切ないメロディが多い。。。
それは“Imagine”や“Jealous Guy”などビートルズ時代に
原曲が書かれていたものが含まれているからだろう。
9.11テロの時はラジオ局へリクエストが殺到したが、
その歌詞の内容と保守派層への配慮で
アメリカでは放送を“自粛”する局が相次いだ。。。
"Imagine"
Jamiroquai 「Travelling Without Moving」(1996)
90年代イギリスにおいて流行した
アシッドジャズ・ブームの中核を成した
ジャミロクワイの3枚目のアルバム。
全世界で700万枚以上売り上げ、
ジャズ・ファンク系バンド最大のヒット作となった。
床が動く斬新なPVが話題を呼び、
MTVビデオ・ミュージック・アワードで4部門を受賞した。
"Virtual Insanity"
Mojo Walker