こんにちは、まじかなです。(自己紹介はコチラ

 

本日の効能:効果:「過保護」を戒めるためのエピソードを読める

 

いま、自分のビジネスにもう一段の弾みをつけようと、

物件調達に注力している。

(↓なかなか首尾よくいかない状況を以前に書きつつも、根気よく続けているガーン

不動産に携わってみて思うのは、「住まい」として見ると純粋に面白い。

なぜなら、住まいとは暮らしや生き様の価値観そのものだから。

 

今日は、物件を調達しようと立ち回る中で、垣間見えた小ネタをひとつ、読み物代わりに。

子育て中の自分としても、良きにつけ悪きにつけ興味深かったお話です。

 

 

 

さて、そんなわたしが探索中のある物件に、別の買い手さんが競合した。

わたしは賃貸用不動産として調査していますが、

その買い手さんは、実需(自分らで住むつもり)で探しに来ていると。

 

仲介業者さんからの又聞きによると、買い手としては年輩のご夫婦ですが、

20代後半?の娘さんに住まわせたい目的だと。

 

なんでも、同居している社会人の娘さんの自立を促す狙いから、

その第一歩として、マンションを買い与えて家から出させたいという狙いなのだそう。

 

 

これを聞いたわたくし、やっぱり驚きました。

まず、

自分の金銭感覚では、都内マンションを我が子にポンと買い与えることができそうにない。(しかも現金買い!)

(あくまでわたしの所感ですので、違和感を感じない方は悪しからずご容赦を・・・)

 

そしてもう一つ、

その買い与える行為こそが、逆に自立を妨げているように思えたから。

 

もちろんこのご一家だけを取りあげて鬼の首を取ったように言うつもりはない。

しかしながら、こういった”過保護”って、一事が万事。

きっと世の中そこら中にある気がしたのです。

 

さらに言うと、「過保護」って、

よかれと思ってやっていながら逆効果になっていること

 

の代表例のような気がするのです。

(この手の話題は、いつも自戒を込めて振り返りながら書きますがアセアセ

 

 

 

ちなみに、このご両親の意向としては、

「実家に近いマンションなんだからひとり暮らしするにはちょうどいいじゃない」

との言い分で説得を試みる。

 

一方、それとは裏腹に娘さんは、

「近いんだからわざわざ一人で暮らす必要なくね?」

との言い分で、平行線なのだそう。

 

うーん、親の心子知らず、というべきか。

いや、過保護なだけに、どっちもどっちかアセアセ

 

このご一家、家族会議の末に結論を出すとのことになり、

結果として購入見送り、という顛末でした・・・。

(住みたくないと反対する本人を前に、さすがにできないお買い物でしょうね・・・)

 

 

こういうエピソードって、子育てにおいて同じ轍は踏むまい、と思わせてくれるような、

(失礼ながら)とてもよい学びの教材です。

 

ビジネスから得られる副産物の紹介でした。

今日も最後までお付き合いくださり感謝ですウインク

 

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今日はとりとめのない懺悔です。

 

本日の効能:効果:男子の本懐を成せなかった反省と、男子あるあるとも思える出来事を読める

 

電車では、お気に入りの車両やお気に入りの立ち位置がある、

という人も多いのではないでしょうか。

わたしもその一人。カバンをちょうどよく置ける窓枠があり、

その前に立って本を読むのがルーティン。

 

 

 

さて、今週3月31日、職場を出てからの帰路の出来事。

19時ごろに乗り込んだ電車にしては乗客が少なめだったこともあり、

いつもの立ち位置を目指さず、珍しく座席に座った。

いつもと違う行動を取ると、何かが起きるものですね。

 

なんとなく疲労感もあり、ボーっと座っていた。

そんなタイミング、乗り換えする渋〇駅まであと二駅というところで、

ある女性が自分の前に立った。

 

失礼ながら、座っている自分の視界に入ったのが、ちょうど腹部のあたり。

“まじかなビジョン”によると十中八九、妊婦さんだろうと感じた。

 

自分でこんなこと言うのもなんですが、

妊婦さん(や年配者)に座席を譲るココロの準備はいつもできているつもり。

 

しかし、いつも頭をもたげるのは、

お腹の見た目だけでは判断する自信がないこと。

もし声をかけて妊婦さんではなかったらどうしよう、という“失礼さ”が、

気になってしまう臆病な自分。

 

そんなときに助けてくれるのは、

そう、あのカバンなどに付いているマタニティマーク。

ところが女性のショルダーバッグは肩にかかっていて正面からは見えない。

キーホルダーらしきものの輪だけが見えたものの、その正体が見えないもどかしさ。

 

電車が渋〇駅に到着して乗客が一斉に降りていく。

そのとき初めて女性のショルダーバックが正面から見え、マタニティマークらしきものが見えたのでした。

時すでに遅し。

 

出来事はそれだけで、時間にしてわずか都内の地下鉄の二駅にまたがる数分。

しかしながら自分、直後に渋〇駅の構内を歩きながら、とてつもなく落ち込んだ。

 

というのも、偶然にも職場の同僚でも、ちょうど3月末で産休に入った方がいる。

その人に対して「とにかく体調優先で大事にしてくださいね」と激励もしていた。

 

そんな矢先に、自分が妊婦さんに座席を譲ることすらできなかったという事実。

自分はそういうことをケアできる男子でありたい、と常々思っているはずなのに結果としてできなかった情けなさのような感情。

 

それでもいつもの自分は、「まあ仕方ないか」と思えるほうだという気もしていた。

でも今回は、

 

「何とかしてやりようがあったのでは?」

「なんで思い切って声をかけられなかったのか?」

「年度末のこの時間に電車に乗り込んでくるくらいだし、きっとあの女性の一日は自分より大変だっただろうに」

 

と、どういうわけか強い自己嫌悪と自責の念にかられてしまった。

 

こういうときはやはり、

「まあ仕方なかったか」と思えばよいのかな。

新年度、気を取り直して過ごそう。

男子の本懐、として次に出会う方に罪滅ぼしをしよう。

 

今日も最後までお付き合いくださり感謝ですウインク

 

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本日の効能:効果:自ら作り出す”序列”という先入観から放たれて楽になる

 

今日は自分も春休み、中学生の長男をとあるテニスの試合に連れていきました。

(コーチとしてではなく、運転手兼父として)

4人1組での予選リーグ、3試合のうち1試合は負けたものの2位で無事に予選通過。

 

あくまでわたしが見ていた感想ですが、

負けた1試合も地力の差としてはスコア(2-6)ほど差がないように見えた。

でも、本人の気持ちとして、

「年上(高校生)とやっているから仕方ない」

という気持ちが試合の途中から頭をもたげ始めた、ように見えたのでした。

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

今日はそんな冒頭の余談にも通ずるお話。

 

わたしたちって、

意識的か無意識的かに関わらず、

好むと好まざるとに関わらず、

 

“序列化”

 

をしてしまいがちですね。

 

ご賢察の通りその根本原因は、

 

自分と他人を比較してしまいがち

 

という人間の悲しい性にある、とわたしが考えるのですが。

わたしもついやってしまいがちです滝汗

気付くとあわてて我に返っては自分を顧みること多々。

 

 

さて、ここで言う“序列化”を言い換えると、

 

「レーティング(格付け)」

「ランキング(順位付け)」

「スコアリング(点数化)」

 

などの言葉が、すべて当てはまると考えます。

これってよいところもあれば悪いところもある、すなわち是々非々というやつです。

 

テニスを例にとると、

試合前に相手がどういうプレースタイルかを知っておくのって、決して悪いことではない。

でも、相手の情報や属性を集めすぎるのも良くない。

なぜなら、

相手が第~シード、だとか、

相手が〇〇ランキング~位、だとか、

相手が〇〇トーナメント大会優勝、だとか。

 

知り過ぎると、

「相手は自分より強い」という思い込みにつながるから。

(ちなみに「相手が自分より弱い」と思い込むのも同じくらいダメですけどねアセアセ

 

そう、勝手に自分で枠を作り、

相手はその枠の外にいる格上だと、

決めつけているのは自分なんですよね。

試合の結果なんて、やってみて終わるまで絶対に分からないはずなのに。

 

 

 

そう、最近のわたしにも逆のエピソードがありました。

 

昨年の社会人実業団テニス。

某社との団体戦、ダブルスで接戦の末ながら勝利した。

 

試合後に知った情報ではなんと、

相手のひとりがテニス動画の世界では有名なユーチューバー、

「〇〇ちゃん」さんだったことが判明。

 

学生時代の実績は私なんかよりかなり上。(おまけに年も自分よりだいぶ若かった)

でも、実際に勝ったし、プレーも体力も負けてなかったと思える。

ユーチューバーだと知っていたら、同じ結果ではなかったかも、

と感じ、「知らなくてよかった」、と思ったのでした。

(テニス界の有名ユーチューバーの顔も知らないというのは、コーチとしてはちょっぴりダメですけど笑)

 

 

 

 

さらにわたしがキライで気を付けているのは、

 

年齢

年収

役職

 

みたいな“数値”で序列化されて先入観を持ってしまい、自分を序列の中に置いてしまうこと。

 

 

でも逆に、数値化の一切そんなことを忘れさせてくれる素敵なことも世の中にはあるんですよ。

 

素直に人を愛してる、ときの気持ち

 

とか。

 

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本日の効能:効果:「僕たちは」という言葉が持つ響きに改めて気付ける

 

 

ワインには詳しくないのですが、ワインが好きで週2回ほど飲みます。

今日はワイン曜日でもありますが、数少ない「大好き」と断言しているワインがあります。

 

その一つが、

 

 

アルザスワイン

 

 

です。

(アルザス地方の村、カイゼルベルグ)

フランスのなかでも、ドイツの国境近くにあるアルザス地方のワイン。(全て白ワイン)

ドイツ側のモーゼルワインも含め、写真左にある「リースリング」などのように、

ブドウの品種がそのままワインになっているのがアルザスワインの特徴の一つ。

写真右の「ゲビュルツトラミネール」、これがわたしにとっては一番、もう絶品です。

 

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

さて今日は、「僕たちは」という言葉のもつ響きで、

思い出すことと感じることを綴ります。

 

中学生のとき、ある数学の先生が大好きだった。

その先生が、例えば下の引用のような具合に言い回しをするのがとても好きで、いつも腹落ちする感じがした。

 

-----qte-----

この、2本の直線がどこまで行っても交わらない状態のことを、僕たちは「平行」と呼ぼう。

こういう、大元の出発点として誰から見ても確からしい論理の出発点としての決め事を僕たちは「公理」と呼ぶんだ。

-----unqte-----

 

ここで使われる「僕たち」は、言い換えると「万人」に近い。

誰もが同じ視点で理解できることを強調する意図で使ったのだと思う。

 

 

 

 

一方、ガラにもなくかつ唐突ですが、皆さんが恋人にお手紙を書いたり、恋文を受け取ることを想像してください。

以下に引用するような表現を使ってお手紙を綴る、あるいは受け取ったら、一体感を感じませんか?

(※フィクションとしてお読みください)

 

-----qte-----

「次に会うことができた〇月初めまでの長かった3か月超のあいだ、ぼくたちはよく頑張ったよね」

 

「それがまた、僕たちだけが感じることのできる形での情愛として二人のからだを包んでくれるだろうと期待しているよ」

 

「日本のことを「言霊の幸ふ(さきわう)国」というように表現することがあるけれど、僕たち二人が惹かれあい睦み合ってきたこの相想いもまさにこの「言霊」の力にひとつ下支えされているのかも知れないと感じているよ。」

-----unqte-----

 

 

いま日本でも、

「自分がどうしたいか」

「自分は何が好きか」

という、個人の尊重に少しずつフォーカスがされてきたことって心地よい。

書店で立ち読みして過ごすのが好きなわたしは、そんな気運をとてもよく感じる気がする。

 

オランダで「自分の意見」を発することが求められた経験からしても、

日本はその点ではもっともっとオランダ寄りになっていいと感じます。

 

でも、(決して同調圧力という意味でなく)

「僕たち/わたしたちは」

という言葉も、実は同じくらい好きなんです。

 

本当に心を分かち合える人と一緒に「主語」になること。

この一体感と尊さを味わうために、「僕たち/わたしたちは」はぜひ使ってほしい言葉のひとつです。

不安定な政情のご時世だからこそ余計に。

 

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本日の効能:効果:「好き」は全てを超越した理由となることに気付ける

 

「好き」ということをどのように考えていますか?

 

「好きな人」のことを考える。

これは人生で最も素敵なことのひとつ。

 

「好きなもの」について考える。

例えばわたしなら、テニスのことをいろんな観点から考えたりします。

最近も、これに即答できる人はなかなかいないかも、と思う(しょうもない)問いについて考えたりしました。

 

【問い】

テニスの試合でサーバーが1回のサービスゲームを終えるまで、カウントの種類は最大でいくつありますか?

 

 

さあ、0-0、15-0、0-15・・・と考えていきますよね。

 

そうです。答えは、

 

 

【答え】

18通り

です。(0-0, 15-0, 0-15, 30-0, 0-30, 40-0, 0-40, 30-15, 15-30, 40-30, 30-40, 40-15, 15-40, 15-15, 30-30, 40-40, Ad-40, 40-Ad)

 

興味がある方は、

「その中でサーバーが有利なカウントは何種類?」

「その中でサーバーが不利なカウントは何種類?」

なども、ゆっくり考えてみてください。(答えは、あなた次第!)

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

さて、不動産オーナーとしてその賃貸管理をお願いできる会社さんって、本当に数えきれないほどある。

わたしもご多分にもれず、初めて物件を購入するときには、

並行してパートナー管理会社さんを探すべく、非常に多くの会社様からお話を聞きました。

2-3社聞いただけでは分かりません。ゆうに2ケタには達してヒアリングしましたし、今もそんな「婚活」は続けています。

 

巷では、本を読んだりセミナーを聞いたりすると、色々な基準がある。

~千戸以上の管理戸数実績がある管理会社を選びましょう、などなど。

 

もちろんわたしも管理のスタンスや料金体系を重要視しています。

 

が、結果的に管理をお願いすることになった会社の代表兼担当の方からのメールと言葉が今でも忘れられません。

 

管理マンとしての自負と管理実務における優位性が、ビジネスとしては尋常ではないほどの長文メールで書かれていた。

さらに、自分もオーナーであり事業家・投資家目線がある、という点が強みです、という点にも納得できた。

 

そして何よりその後に顔合わせで面談にうかがったときの言葉、

 

わたし不動産が大好きですから。(+わたくしも〇億借りてますから!)」

 

という言葉がとても魅力的に聞こえたのでした。

(+αの一言は、まだ融資を受けていなかったわたしにとって驚きでしたが)

 

何が言いたかったかというと、好きなものについて熱く語れる姿勢にある種の感銘を受け、

パートナーシップで自分のビジネスの運命と命運を預ける決め手となった、ということニコニコ

 

 

ちなみに直下の画像は最近のお気に入りの本。帯のところにある記載を思い出した。

上記のビジネスパートナーさんも、「好き」を仕事にしていて、すごく楽しそうにお仕事をされている。

とても刺激を受ける存在です。

 

 

ちなみに以前、委託パートナーさんとの連携で少し焦った話も書きましたが、これはご愛嬌(笑)。

パフォーマンス、すばらしいです。(↓リブログ)

 

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本日の効能:効果:偶然にこそ意味があり価値があることに気付ける

 

 

最近、フランス人女性にご縁がある。

いえ、ただ見ている映画で立て続けにフランス人女性が出てきているだけですが(笑)

 

前回は「男と女」という2本セットで魅了されてしまったフランス映画のレビューでした。(↓以下リブログ)

 

 

今回は、

 

「異国で出会った男と女」

 

というキャッチフレーズに心を惹かれたところ、登場するのは偶然にもまたもやフランス人女性。

 

タイトル(日本語名):ポルト(Porto)

監督:ジム・ジャームッシュ

 

舞台は文字通り、ポルトガルでリスボンに次ぐ第二の都市、と紹介されるポルト。

日本ではやはりポートワインが有名ですが、ドウロ川を挟む景色も素晴らしく、映画でもその描写はところどころ楽しめます。

 

街中には「アズレージョ」と呼ばれる、青で描かれた素敵なタイル貼りが、

建物や駅舎内でも見ることができます。

 

 

さて、映画は米国系男性ジェイクと、フランス人女性マティが出会うところから。

ストーリーはそれぞれの視点から描かれるようにして、

 

1.ジェイク

2.マティ

3.ジェイクとマティ

 

という3チャプターの構成になっている。

 

ジェイクはお父さんが外交官として着任した流れで、高校生のときからポルトに住む20代後半男子。

(ちょっと冴えなくて頼りない感じの印象も受けてしまうのですが(失礼)、細マッチョで肩や背中はなかなかいいカラダでした)

 

マティは大学で学ぶべくフランスから来て以来、ポルトに住む30代前半女子。

(こんな美人さんなのにタバコを吸うんだな、などと余計なお世話を考えましたが、その辺りもザ・ヨーロッパ的です)

 

紆余曲折をへて二人がカフェで会う場面。

偶然によって支えられたお話にも見えますが、

 

「偶然は偶然ではない」

 

という想いをもつ最近のわたしにとっては、とってもうなずける、

知名度以上の価値がある隠れた名作映画のように感じました。

 

 

また、こんなセリフが胸を打ちました。

 

「中でも肝心なのは、

言葉を口にする前にお互いの心の内を読めたことだ」

 

 

不思議ですが、そういうカンケイって、現実にも確実に存在しますよね。

 

そんなことを想いながら見終えることができて、また、長過ぎず見やすい映画でもあります。(80分かかりません)

ジェイク役の俳優アントンが、その後に夭折しているのがまた少し切なくもあります。

映画の中で、「このまま死んでしまうかも」なんていうセリフもあっただけになおさら。

(ネタバレ回避のため描写はここまでに・・・)

 

 

 

余談ですが、米国系男性とフランス人年上女性のストーリーといえば、また別の映画、

 

「5 to 7」(日本語名:5時から7時のカンケイ)

 

という映画との共通点であることに気付いた。ありがちな設定なのでしょうか(苦笑)。

(一見軽めのタイトルに見えますが、この映画は泣けますよ)

 

異国とはカンタンにいかないご時世ですが、

カフェにお出かけして、ひとり過ごしてみたくなる映画かも。

 

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本日の効能:効果:にっこり笑って「ありがとう」を言える素敵さに改めて気付ける

 

 

ビジネスオーナーとしての根気を要する時期です。(というか常にですがニヤリ

不動産会社さんに飛び込み営業よろしくコンタクトしては、面談や情報交換を継続している。

目的は複合的で、

 

・物件調達ルートの開拓のため、自分の属性や物件プロファイルを伝達し、”かなり買う気ありますから”と物件紹介をお願いする

・賃貸管理もお願いできるかどうか、の観点で、管理プランの詳細をヒアリングする

・その他、金融機関における融資動向など最新情報をキャッチする

 

今年中に次の1戸を調達したいところですが、なかなか「深掘り」しようと思える物件すら少ない。

でも非公開物件を紹介していただけるようになってきたことで、前進している実感もある。

やはりこつこつとアンテナを立て続けてないといけませんね。

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

さて、そんなわけで昨日もいそいそと退社し、とある不動産会社さんへ向かう。

 

応対してくれたお二方のうち、役職が高いほうの一人はすでに何度か面会済みで、もう一人フレッシュな若手社員の方は初対面。

 

不動産ってやはり融資を引いたうえで調達することが多いでしょうから、

必然的に自らの属性や背景、プロフィールを色々とお伝えすることになる。

わたしの場合も、本業に関してはもちろんのこと、副業テニスコーチのことまでも包み隠さず明け透けに伝えています。

(本当は楽しみたいがゆえの副業だけど、不動産のタネ銭のために副業やってます、という伝え方をすると、ちょっと印象が変わり物件も紹介してもらいやすくなる気がするので)

 

で、役職が高いほうの方が若手社員さんに対して不意に、

 

「まじかなさんは“プロのテニスコーチ”だから。」

とリップサービスも交えるかのように紹介をしてくれた。

ここでまた思わず、

 

「いえいえ、そんなプロじゃないですよ」

 

と口走ってしまった自分、にあとから反省したのでした。

 

 

というのも、こないだも似たようなシチュエーションでつい、

 

「いえいえ」

 

と返してしまった自分を振り返ったばかりだったから。(↓以下リブログ)

副業でもなんでも、報酬が発生するからには「プロ」と言われて間違いではないわけだし。

(誰も”プロテニス選手”だとはひとことも言ってないし)

 

「褒められたら素直に受け取ってありがとう、と言う」

 

を次こそは、と考えていたのにも関わらず汗うさぎ

 

 

「三度目の正直」となるか、「二度あることは三度ある」となるのか。

 

ホメられたときににっこり笑顔で「ありがとう」を。

 

それができる人が思い浮かんだ。

ホメられたときににっこり笑って「ありがとう」を言えるって、

大したことではないように思えるけど、実はとても素敵なことのような気がするのです。

(自分も「にっこり笑顔」まではできている気がするのだが)

 

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本日の効能:効果:良い意味で”疑い”をもち、自分の利益を堂々と主張することは当然だと思える

 

 

日本人(とひとくくりにしたくはないのです)が、

割と苦手意識があって敬遠してしまうものの代表といえば、

 

 

“契約書“

 

 

ではないかとわたしは思っています。

 

ところで一般に、「契約」には「4原則」があるのをご存知ですか?

 

内容の自由:合意する内容は当事者の自由

方式の自由:口頭か書面か、などの合意する形式は当事者の自由

締結の自由:締結するかしないかも当事者の自由

相手方の自由:契約する相手を誰にするかは当事者の自由

 

 

だから極端に言うと、“口約束”だって契約は契約ということです。

でもそれだと「言った言わない」になるから書面にしたり印鑑を突いたりする、というだけであって、本来は上記が原則なのです。

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

さて、今でも思い出すのは、初めてビジネスとして賃貸用不動産を契約した日のこと。

なぜなら、

 

 

9時間も費やしてしまった

 

 

からなのです。

 

通常、自らの居住用であれ収益用であれ不動産売買契約といえば、

 

2時間、長くても3時間くらいをみておいてください

 

というのが所要時間の相場かと思います。

 

が、自分にとってはなにせ(大げさですが)ビジネスオーナーとしての第一歩。

調査や価格交渉のすえ妥結に至った、命運を左右するとも言える最初の物件。

そして何より、

 

不動産会社さんの言葉を鵜呑みにしない

不動産会社さんの言いなりになってはいけない

 

という決意が必要以上に強く、とにかくそれを肝に銘じていた。(←今もですが汗うさぎ

 

 

仲介をしてくださる不動産会社事務所に朝10時に集合。

以前に良くない外注例、として取り上げたサブリースの解除を合意したうえでの購入だったため、

万が一にもサブリース物件のまま買うようなことがあってはならないと、

納得するまで判を押さない気持ちだけで、強迫的にさえなっていた。

 

とにかく突っ込みに突っ込んだ。

・サブリース会社が預かっている保証金は返金されるか?

・サブリース解除できる根拠となる証拠メールや書面は?

・契約から引き渡しまでのあいだに入居者さんが退去したらどうなる?

etc

 

ここには詳細を書きませんが、賃料の日割り計算や仲介料のことなど、

不動産業界の慣習の中でおかしいと思っていたことも全て主張したら、結果こちらの理屈が全て通った。

 

署名などがすべて終了し気付いたときには19時になり、

開始から9時間が経過していました。(この時ばかりはさすがに疲れた)

 

※余談:なぜかわたしの実家では、疲れたときのお汁粉には漬物が付いていた

 

 

 

とかく契約など独特の雰囲気の場となると、

「そういうものです」

なんていう一言で思考停止となり、つい流されてしまいがちになりませんか?

そんなときに役立つのが、子どものように

「なんで?」

と問い続けることですよね。

 

人間、”欲しい病”のときはついそのまま買ってしまうし、契約当日というだけで白紙を遠慮してしまう方も多いです。

が、冒頭にあるとおり、「締結の自由」があることを忘れないのがどんな買い物にも重要ですね。

 

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本日の効能:効果:自分を信じて取った行動はあとで笑い話にもできる、ということに気付ける

 

さて少し前に、「自分の意見こそ美徳」、というお題でエピソードを綴りました。

 

今回は、「意見」というものとも少し違いますが、

「その場で自分が言わなければ」

と感じて発した言葉が、驚きの接点?に結び付いた「若気の至り」的エピソード。

 

 

 

20年ほど前、札幌の某スポーツクラブ。

学生のアルバイトコーチとしてテニスコート上に立っていたある日曜日の出来事。

 

朝一番のクラスにAさん(男性)が振替で参加した。

そのAさん、レッスン中から割とストレス解消を兼ねてか、ボールをとにかく思いっきり打ちたいタイプの方だった。

(そういう方は一定数いるので珍しくはありません)

 

そして通常通りレッスンは進み、最後の10-15分はゲーム形式で生徒さん同士が試合をする。

ゲームの中で、思うようにポイントを取れずイライラがたまったのか、

Aさんがポイントとポイントのあいだに、

 

 

ボールを思いっきり背後の壁に打ち込んだ

 

 

のです。(人のいない方向でしたが)

 

イヤな予感はしたものの最初の1回はわたくし、“黙認”しました。

ですが、うまくいかなかった次のポイントで、

 

またも持っているボールを背後に叩き込んだ

 

のです。

(プロでもコートにラケットを叩きつける人がいますが、物にあたるあのイヤな感じショボーン

 

で、他の生徒さん(とりわけ女性たち)が、

露骨にイヤそう~な表情になっていくのが見てとれた。

それを感じ取ったわたくし、コーチという立場ももちろんありましたが、

 

いくらお客さんの立場であっても容認できない

 

と判断しました。

ほどなくしてレッスンを終えた直後、自分なりに意を決しました。

 

コートを去ろうとしたAさんを呼び止めて、

 

「Aさん、あの振る舞いは皆さんがイヤな気分になっていましたのでやめてください」

 

という主旨のことを伝えました。

一字一句までその表現だったかは忘れましたが、かなり毅然と言った。

 

そのときのAさんの反応、

 

 

「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだ」

 

 

というセリフが返ってきたゲッソリ

 

自分も間違ったことは言ってないと信じていた。

でも確かに、コーチと言ったって学生の立場である”若造”からそんなこと言われたら、「お前」とも言いたくなるかも汗うさぎ

 

例えばベテラン・年配でより経験豊富なコーチなら、

もっと角が立たずに同じことを伝えることができるかも知れない。

(自分もいまなら、もう少し”巧みな”言い方ができる気がするニヤリ

 

でもそのときの自分、

やはり若さゆえの不器用さというのか、前のめりな気持ちだけで必死だったのでしょう。

 

 

結局Aさんは、

「チッ」

と舌打ちして去っていきました。

(胸ぐらを捕まれるかも、と思ったくらいの迫力はありました滝汗

 

 

さて一息ついてから事務室に足を運ぶ。

お客さまとして会員情報が保存してあるので、Aさんがどんな方なのか興味が湧いたから。

そしてAさんのご勤務先名を見て驚きも驚いた。

なんと、

 

 

 

 

就職活動を経て内定していた自分の就職先

 

 

 

 

が会社名として書かれてあったからポーン

 

でもそれ以来、その日曜朝イチの時間にAさんが振替で来ることはなかったし、

わたしがAさんのクラスに代行コーチとして入るような機会もなく(避けてたかも?)、レッスンでは会う機会がなかった。

 

 

ですが、再会の機会は意外なタイミングで訪れた。

実際に新卒入社して、4月は関東で泊まり込み研修を受けた。

そしてゴールデンウィーク明けの5月。

新入社員が自分のふるさとにある支店に出向き、先輩社員の営業に同行するという研修があった。

 

緊張の足取りで出向いた札幌の支店。

ビルの立体駐車場のわきにある通用口から入ろうとしたところ、

 

「あれ、お前あのときの・・・」

 

なんと、駐車場の操作盤の前に立ち、最初に出くわした先輩社員がAさんだったのでしたアセアセ

冷や汗ものでしたが、やはり仕事中。なんとなく雰囲気も違ったし、「根に持ってる感」はなかった(気がした)。アセアセ

研修中はAさんの所属でない部署に滞在したため、”昔話”をする時間は幸か不幸かなかったのですが。

 

そして、後日談。

実は当時そのスポーツクラブには、もうひとりBさんという、Aさんの同僚にあたる方も来ていた。(しかもAさんとBさんは同期入社)

その後そのBさんは札幌から東京に異動となり、実際にわたしとBさんは同じ職場で勤務するという、奇跡のめぐり合わせに。

 

そのときに、当時のAさんとのエピソードで大いに盛り上がったのは言うまでもありません。

 

「世界は狭い」というフレーズを聞くとこんな”ご縁”を思い出さずにいられません。

今日も最後までお付き合いくださり感謝ですウインク

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本日の効能:効果:子どもを信じて見守る、のが究極の答えなのだと感じ取る

 

話はまた余談からです。

美しいもの、きれいなもの、流れゆくもの、限りあるもの、

を見ると最近きまって、中学生のころのエピソードを思い出します。

中学2年生だった頃、転勤していく担任のN先生が生徒に”三か条”を残していきました。

(わたくし不思議と、そういうはなむけの言葉って、いつまでも忘れないんです)

 

一. いつもくちびるに歌を

二. 死ぬな

三. 美しいものをみて感動するこころを忘れるな

 

この先生の担当教科が音楽だったので、一はうなずけた。

二は、とにかく親や周りの大人よりも先に死ぬんじゃない、ということを言っていた。

そして三ですが、当時からガサツだった自分はピンとこなくて軽く聞き流していたが、

最近になってこの言葉の意味が、少しわかってきた気がするのです。

 

美しいもの、きれいなもの、流れゆくもの、限りあるもの、って胸に迫るものを確かに感じるんです。

 

そういえばN先生、音楽だけでなく、ロシア語ができる先生だったな。

いま起きているロシアとウクライナのことを見て何を思っているのだろうか、そんなことまで考えました。

【わたしの好きな”美しいもの”の一つ、チューリップです】

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

さて、本題の悩みは中学生だったわたしでなく、思春期っぽくなってきた中学生の長男。

ここに書くできごとがあって、先の週末は親として悩みました。

 

というのも以前のコラムで、

中学生である長男を“大人あつかいする”方向に思い切って舵を切ったことを書きました。

 

そしてこの3学期のあいだ、

 

「ゲームは1日〇〇分まで」とか

「やることやってからゲームを」といった、

 

親としての“干渉”から一切、足を洗うことにしました。

「学校の提出物」を”社会の練習”と見立てて、基本行動の指標としました。

 

 

そしてまもなく3学期が終わろうとしています。

 

先日の保護者面談によると、結果は・・・。

 

 

 

提出物がまた幾つか出ていなかったと判明・・・。

 

 

でも、ここは想定の範囲内だとある意味では悟り、

「なぜできなかったと思うか」、

理由を本人に聞いた。

 

そして、しばらく押し黙った末に、

 

「できる限りの最大限の努力をしても無理なもんはムリ」

 

 

というセリフを発した長男ゲッソリ

 

わたしはこれを聞いて、とてもとても大きな危機感を感じてしまったのですガーン

 

提出物が出ていなかったことに対してではありません。

 

人生のこの段階において、

ペラペラな中身のないセリフでその場しのぎをしている」ように聞こえたことに対して。

 

思わず、そう感じたことを本人にはそのまま素直に伝えてみました。

 

さらに、

「最大限の努力って何を指してる?」

と続けて聞いた。

そうしたら返ってきた答えは、

「外に遊びに行く時間を減らした」

と(笑)。笑えないけど・・・。

 

といっても本当に本人として最大限の努力だったかも知れないし、

ホントのところは本人しか分からない。(少なくともゲームは好きなだけやっていたように見えたが・・・)

 

 

さて、どうしていこうか。

それでもなお、

本人が自律することがゴールであり、

口うるさく親に言われてこなしても意味がない、

とわたしは考えている。

 

自分の親父としての接し方に問題があったのだろうか?

なんて考えこんでしまう自分もいる。

 

でも長男は、いつもニコニコしていて友達ともうまくやってる様子。

授業中でも、何かとツッコミを入れて茶々をいれるポジションにいると。(いたなぁ、そういうひょうきんな奴)

先生には「少しだまってろ」と苦笑いされるそうだし(笑)、テニスも楽しくやっている様子。

 

それでいいではないか、提出物が多少どうであれ。

と思ったりする自分も確実にいる。

 

なぜなら自分は、「学校の言う通りにしなくちゃ」と思い込んでいたほうだったから。

それに縛られていない長男は自分にない価値観で生きているようにも思う。

(一方でパートナーはどうしても”学校的優等生”でいてもらいたいようで、その点は平行線なのだが)

 

悩み、と思っていたけど書いているうちに、まぁいいか、と思えてきた気もします。

中身のない人間にはなってほしくない、とは相変わらず思うのだけど、

それは親が生き方を示すことで答えになるのかも、

 

なんて、ちょっぴり考え込んだ週末でした。

 

今日も最後までお付き合いくださり感謝ですウインク