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本日の効能:効果:「世の中がより良くなるためのカギは男子が持っている」と感じる

 

まずは驚きの余談から。

先日、次男と三男が通う小学校の運動会で驚きの一幕が。

 

定番の競技である玉入れにて、なんと玉がカゴの淵に乗ったままとなる珍事。

先生から場内への説明によると、この場合、

カゴに入った、ものとしてカウントするとのこと。

更には、この1玉が決め手となってか、このときは19対18で赤組が勝つという劇的な結末!

わたしも四十余年を生きてきましたが、初めて見た出来事でした。

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

さて本日、珍しく日曜日の昼前後にあわただしくスーパーに行った。

入口で初老の男性が、アラフィフあるいはアラカンくらいの女性に対して、

 

「押して歩けといっとるだろ、このク〇バ〇ア!」

 

と、驚きの悪態をついている様子が聞こえるではないか。

 

聞こえたところによると、スーパーの入口前付近にある、

「この付近では自転車を押して歩きましょう」

と表示されている看板に従っていないことに対して文句を言っている。

 

わたしだっていつもなら、こういう面倒そうなことに関わりたいと思わないし、

こんなこと言ってはなんですが、東京ってこういうことを皆がスルーしがちな場所でもある。

(東京に限らず日本どこでもそうかなアセアセ

 

いや、自分はそれ以前にそもそも、

「他者の課題に踏み込まない」

というカウンセラーさんやアドラーさん達の素敵な言葉を聞きかじってはいつも意識したりもしてる。

(それともまた違うか笑)

 

 

でもとにかく、今日はなんだか、男としてこの男性が気に障った。

当たり前ですが、「ク〇バ〇ア」なんて言っていいわけがない。

たとえ何か正当なことを訴えたかったとしても、です。

 

よくある小ネタとして、年ごろの息子がお母さんに対して一過性の反抗期から同様なセリフを吐くってのは聞く。

でもそれとはまったく次元も年齢も違うし、しかも公の場でよそ様に対して。

 

 

ワンオペ中で、急いで買い物して昼ご飯を作りに戻ろうとしているのに、

意を決して、というか反射的に、”説教モード”に入ってしまった。

 

「ちょっと、そういう言い方はしてはいけないでしょう。

詳しく事情は分かりませんけど、ク〇バ〇アなんて言ったらダメでしょう。」

 

と丁寧さを保つよう意識しつつも、ストレートに苦言を呈した。

さあ、向こうも見知らぬ若造に言われたからか、案の定ヒートアップしてきた。

 

「おれは足が悪い身体障碍者なんだ。自転車にぶつかられたら危ないから言ってんだ。

1回注意してもやめないからク〇バ〇アって言っただけだ。」

 

と開き直る。

これを聞いて、余計に聞き捨てならなくなってしまったわたしでした。

だって、男のダメなところが凝縮されたようなセリフに聞こえたから。(自戒も込めて)

過度な被害者面、権威的な態度、自分への勘違い、etc.

 

こうなると乗りかけた船、ついついわたしも言い返してしまいました。

 

「そうだとしても、何か聞いてもらいたい要求があるなら、なおさらそんな言い方じゃダメでしょう。

ものには言い方というものがあるし、そもそも失礼でしょう。」

 

と言ったところで面倒になり、店に入ってオサラバしようとしたら、

 

「ちょっと待て、こっちに来い。まだ話は終わっとらん!」

 

と激高されたが、こっちも言いたいことは言ったのでそのまま振り返らずに解散?したのでした。

 

 

 

もしこれが皮肉にも、女性にこそ共感していただけるお話なのだとしたら、

「世の中がより良くなるためのカギは男子が持っている」

というわたしの持論もあながち間違いではなさそうです。

 

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本日の効能:効果:「消えゆくもの」の尊さと価値を想える

 

4月に契約した賃貸用不動産が、今週ようやく決済を迎える。

不動産ビジネス(あるいは不動産投資)をしていると、

「時間を味方につけて」

という表現を関連する本やサイトで見る。

 

なぜ「味方に」という表現なのか?

「敵」になることがあるからなのか。

 

答えになるような言葉をふと思い出した。

今年2月、大好きなASKAのライブに行き、現地でもらったパンフレットにあった言葉。

 

-----qte-----

若い頃は誰もが思う

「時間は流れていくもの」

「時間は過ぎてゆくもの」

60代になると そうは思わなくなった

時間というものは

消えてゆくものなのだということを知る

-----unqte-----

 

という一節があった。

悲しいかな、時間は刻一刻と消えていくという点にとても共感した。

消えてしまうものだから、それをできるだけ長く使うという意味で、

「味方に」しないといけないのだと腹落ちしたのでした。

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

さて、今日は久々に映画レビューを。

先日見た映画も、ある意味で過ぎた「時間」に挑むようなお話。

 

タイトル:ビフォア・サンセット

 

ご存知の方も多いかもですが、

「恋人までの距離(ディスタンス)」という別映画の続編、という位置付け。

(さらに続編があるので、それはまたの機会にレビューを)

 

過去に意気投合した二人が9年ぶりに再会した一日を描いたストーリー。

素敵なパリの描写に加え、胸に迫るセリフがたくさんありました。

 

「だから決めたの。”本当にやりたいことをやろう”って」

 

「僕はあの本を書くことで、

君と過ごした時間の全てを保存したかった」

 

「誰も代われない。穴は埋められないの。

だから、ほんのちょっとしたことで懐かしくなるの」

 

「愛には義務を果たす以上の何かがあるはず」

 

ラスト、涙もろいわたしがまた泣けてしまったのは、

最後にヒロイン女子が、はにかみながらギターの弾き語りで歌うワルツの歌詞。

 

「たとえ間違った関係に見えても

あなたは私の大切な人 今まで出会った誰よりも」

 

 

「ふと思い出してしまうような忘れがたい人」が心の中にいるかたには、おススメの映画です。

気持ちよい気候のうちに、週末のお供としてはいかがでしょうか。

 

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本日の効能:効果:思い通りにいかないとき、も平常心でいられる

 

春はあけぼの。

ではなく、春はピンク。

「セルフイメージ」という言葉を聞きかじって、テニスコーチ用のウエアを1枚新調。

こういう雰囲気でありたい、と感じさせてくれるお気に入りの色使いです。

 

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

さて今年、小6次男の所属するサッカー少年団で「団長」を務めることとなった。

といっても、6年生の保護者の中で誰かが務める必要があるとのことから、

エイヤで立候補しただけの“お飾り”団長。

 

さっそく、新年度の保護者向けお手紙に挨拶分を載せるという初仕事が舞い込み、

「葛藤体験のススメ」と題して、以下の文章を寄稿した。(原文そのまま)

 

-----qte-----

(冒頭省略)

選手たちにとって当団での経験は、

「挨拶と礼節」

「自律する力」

「自分で考え意見を表明する」

「仲間と切磋琢磨する」

といった有形無形の学びの場であると確信します。

ひいては歴史ある当団の存在意義も、この変化する時代にこそ年ごとに大きくなっていると感じます。

 

また、個人ならびにチームで上達を目指す過程において、

「思い通りにならないときにどういう態度で臨むか」

という命題を通して成長を与えてくれるのがスポーツを通した人間形成の本質だと考えます。

 

そのような葛藤体験こそ選手たちにとって財産であると信じ、微力ながらお役に立ちたいと願いながら新年度の挨拶に代えさせていただきます。

-----unqte-----

 

 

手前みそながら他の保護者の方々から、

 

「感動して泣きそうになった」

「団長あいさつの中でも歴史に残る」

 

と(リップサービスでしょうけど)、おホメの言葉を頂いたのです。

 

おホメの言葉は素直に受け取りたいし嬉しい。

なぜなら、下記の通り黄色くハイライトした、

 

「思い通りにならないときにどういう態度で臨むか」

 

の部分は、わたしが子育て中の親として、

いつもブレずに真っ先に浮かぶ、最も大切にしたいことだったから。

 

 

もちろん、人生って楽しいことばかりにしたい。

自分も「生き方マキシマイズ」とか言ってる。

 

でも月並みだけど、やっぱり人生は、

思い通りにいかないと感じる場面こそ真価が問われると思うから。

 

子育てだけでなく、大人にも大切ですね。

と自戒を込めて。

 

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本日の効能:効果:自分の中に存在する伝統のように大切な部分とその理由に感謝できる

 

 

オランダに住んで以来、

ヨーロッパのものにも愛着や興味をもつようになった。

 

珈琲タイム。

ポーランド製こと「ポーリッシュ」のカップが、

お気に入りのふだん使い。

 

でも今日は、うじうじする最近の気分を変えたくて“非日常”を味わってみた。

こちらはデンマーク、「クイストゴー」のカップで。

コーヒーの味も変わる気がする。(単純すぎる笑い泣き

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

ところで、「断捨離」という言葉って、いつでもどこでも見かけますね。

新聞でも、本屋でも、ネット上でも。

今だって「だんしゃり」を変換すれば一発で出るくらいに、市民権を得た言葉。

 

わたしだって断捨離の概念や考え方、嫌いではありません。

すっきり暮らしたいし、ものをため込むほうでもないと思うし、

家とか車とか腕時計とか、有形のものに対して物欲もないほうだと自覚する。

 

でもそれ以上に、断捨離という行為の延長にあるともいえる、

 

精製して自分の中に残った、統のように大切な部分とその由に感する、

 

みたいな感じ方が好きです。

例えその理由が、偶然であれ、運であれ、ご縁であれ、タイミングであれ。

 

いろいろなものを引き算して、自分に残る本質のようなものを、

自分で末永く愛でる(めでる)

 

という感覚。

それを、伝謝理(でんしゃり)と呼ぶ。(わたしの造語)


 

 

 

自分を例にすると、

 

・たぶん自分はいろんな意味で「弱い」

・たぶん自分は究極的には、「自分に自信がない」

・でも、それを自分で分かったうえで、必死に物事に集中したり行動しようとする

 

みたいな部分って、代えられない自分細胞の「核」みたいなところ。

これは断捨離するところはなく、愛でるところ。

そう、桜を愛でるかのように。

 

 

さらには、「ヒト」に対してももそう。

自分で言うのもなんですが、わたしは「ヒト」に興味があり、

かなり多くの記憶や出来事が自分の中に残っているほうだと思う。

「ヒト」と「エピソード」がセットになり、鮮明な“動画”として自分に残る。

人からも、「よくそんなこと覚えてるね!」と驚かれることしばしば。

 

それでも、これまで出会った人において濃淡もあるだろうから、

やっぱり、運や縁やタイミングなのだとも思う。

自分の中に「強く」残る何かは、やはりそれだけの訳があるのだろうから。

 

 

ついでに、「モノ」もそう、

もう15年使っている、クリスタルグラス、

もう20年も着ている、学生コーチ時代に頂いたテニスウエア、

もう25年も着ている、冬のダウンジャケット、

もう30年読み返している、面白い数学の本

 

上述のコーヒーカップはどうなるでしょうか。

お楽しみはこれからです。

 

 

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本日の効能:効果:命の洗濯”は誰にとっても大切なのだと思える

 

余談ですが春は実業団テニスのシーズン、今日はダブルスとシングルス1試合ずつをこなしてきた。

ダブルス:6-2、6-2

シングルス:6-3、6-4

と快勝し、ゴールデンウイーク最終日とされる本日を悪くない気分で終えられそう。

(高〇山にほど近いのどかな試合会場)

 

ところで、試合のあるなしに限りませんが、朝食・昼食づくりを普段から担当するわたし。

今日はプチ寝坊したため、なんとか狙った電車に飛び乗ったものの(汗)、

昼食は辛うじて用意、朝のおかずも雑に並べて出てきました・・・。

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

さて、ゴールデンウイーク中、以下のブログを読んで共感しました。

わたしは「ママ」の立場ではないのですが、気持ちに共感しました。

 

世の「お母さま」たちがもっともっと、

“命の洗濯”をできたらよい

と、切に応援したくなりました。

今日が母の日なのも偶然ではないようです。

 

人様のおうちだけではありません。

むしろ我が家でも、もっと出かければいいのに、と本気で思うほど。

 

わたしなど、そもそも食事の用意は毎日のことで全く苦ではないし、

むしろ相方が出かけてくれたほうがこっちもゼッタイ安らかに過ごせる(本音)。

 

世のお母さまたち、

「わたしが出かけるためには食事を作り置きしておかねば」

「やっぱりわたしがいないと」

 

って思う方が多いのでしょうが、意外にそんなことないっすよ、と言いたい。

(ほんとにママがいないとまわらないご家庭も多いのでしょうけど・・・)

 

 

 

 

ふたたび閑話休題。

 

 

 

 

 

一方、逆にパパであるわたしの”プチ命の洗濯”が発端で、

犬も食わないようなしょうもない小競り合いとなった、我が家の小ネタを一つ。

 

ゴールデンウィークのさなか、副業テニスコーチを終えた火曜の夜。

わたしの副業も気付けば2年目に突入していて、

一緒にレッスンに入るコーチとも打ち解けてきた。

 

そのコーチとは自転車で5分ちょっとの間ながら、帰り道が途中まで同じ道のり。

なんとなくゴールデンウイークの解放感もあり、「一杯だけ飲んでいきましょうか」との流れに。

 

通り道でカウンターのあるお店に入り、初めて地元のクラフトビールを味わう。

一杯が二杯になったものの(笑)、22:45から1時間ほど飲んでおひらき。

 

 

そしてタイミングがよいのか悪いのか、解散した直後に家の相方から着信が入る。

恐る恐る出ると案の定、「今どこで何してるのか」との電話。

 

そういえば寄り道するという旨の連絡をしていなかったと気付く。

 

「コーチと軽く飲んだからまもなく戻ります」と伝えたが、(実際に敬語アセアセ

そのまま尋問のように、電話口で押し黙る相方。

結局、押し黙ったまま家に着いてしまい、“釈明”するはめに。

 

ことの顛末をそのまま話したところ、

「もともと飲みに行くことになっていたんじゃないの?」

とあらぬ疑いをまずかけられる。(そこが問題?と思ったが)

 

それは事実ではないから否定しつつも、

飲みに行くとなった時点で連絡しなかったことに対しては、素直に謝った。

 

 

でも、同時にこちらの考えも伝えることにした。

 

「飲みに寄ろうが寄るまいが、副業後の帰宅はいつも22:45くらいになっている。

毎回飲んで帰るわけでもないし、初めてこちらの帰りが1時間遅くなったが、何か不都合あった?」

とチャレンジしてみた(笑)。

 

すると、相方からは過去を引っ張り出された。

 

「オランダにいたとき、酔っぱらってパトカーに送ってもらったことあったよね」と。

(すっかり忘れていたが、確かにそんなことがあったゲッソリ

「だから、わたしにとって無関係ではないのだ」

との主張。

 

そう切り返されては仕方ありません。

「次回は一報いれます」とあっさりチャレンジを撤回し(涙)、一応の決着となった。

 

 

この程度の小競り合いはどのおうちにもあるものと想像する一方、

「自分だけ羽根を伸ばすのはおかしい」

という展開にならないだけマシかな、と自分で自分を(心の中で)なぐさめました。

 

もしそう言われたら、

「そっちだっていつも昼までゆっくり寝ているし、こっちだって副業後に一杯やって命の洗濯するくらいよいでしょ」

と返そうかな、とシミュレーションしてしまった自分でしたが。

(いや、これは”思う”だけにしておこうかな)

 

 

 

ケンカするほど仲が良い?

とんでもない、夫婦というのは時が経つにつれ「共同生活者」になっていくほうが自然、

だというのがわたしの持論。(特に子どもがいるご家庭はなおさら)

 

いまある日本の夫婦の7割は、子育て後にお互い自由に生きることを選ぶでしょうね。

単なるわたしの希望的観測ですが、20-30年後にきっと当たるでしょう。

 

今だってそういう流れができてもおかしくない。

ただ、「お金に対する不安」などを解消できないケースが多いから、そういう意思決定をしにくいだけかと。

 

 

念のため、「うちは夫婦仲良し」という方は、どうかこれを読んでご気分を害されませんように。

 

ともあれ、ときどき”命の洗濯”をするのは誰しも大切です。

 

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本日の効能:効果:価値あるものに囲まれることの大切さを再認識できる

 

今日は「こどもの日」ですね。

そんなタイミングに合わせ昨日は横浜にて潮干狩り。

といっても子ども3人、中学生以上がいたり(部活もあったり反抗期で親と動きたくない)、

それぞれ別のスポーツをしていたりで、揃って出かけるのは至難の業になってきた。

でも、それも望むところ。とにかく早く自立してほしい(苦笑)

 

毎年こどもの日には子供人口のことが記事になりますが、

15歳未満の人口は41年連続で減少だと。

まもなく43歳になるわたしが生まれたころを境に減少に転じたんだなぁ、とただ思いを馳せる。

 

“少子化”が問題だという人もいれば、そもそも問題ではないという人もいるし、抗えない流れだという考えもある。

わたし自身は無力感を感じてしまうテーマの一つですが、

もし解決すべきだとしたら、そのカギはたぶん男子が握っている、ということはいつも確信します。

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

さて、今日はそんな、「子ども」にも関係するお題。

我が家の男子三兄弟は、“お小遣い制”です。

ルールはシンプルで、

 

・支給日は毎月1日

・おこづかい帳をつけ、おサイフの中身と記帳上の額面が合っていることが支給の条件

・“買い食い”はしない。

(でも友達と駄菓子屋に行く、などもあるのでそのような場合は個別に渡す)

 

 

三者三様で、それぞれ色々と吟味して買いたいものがある様子。

何を買うかは本人に自由なので買うもの自体に反対はしません。

でも、買う前でも買ったあとでも、わたしからいつも問いかけている言葉があります。

 

「買ったらあとで戻せないからね。自分のお金を出す価値があるかよく考えた?」

「自分で価値のあるものを買ったな、って思えてる?」

 

この意味は、まだ子どもらに真に伝わっていないかも知れない。

でも、重要なことは繰り返し伝える、という手法を意識して事あるごとに声かけしている。

 

そんな折に最近、とても共感した内容を見つけたこともあり、リブログもさせていただきます。

 

自分の価値観に沿うものに囲まれること、が生き方のマキシマイズだと信じています。

 

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本日の効能:効果:男子も泣きたいときには泣いてよいのだと思える

 

突然ですが、今日は男の内側にある気持ちを表現してみました。

物語として読み流してください。

 

 

 

「電車の中で一人泣いている男がいたら周りにどう見られるか?」

なんてことは、そんな場面を迎えた男子こそ考えないのだということを知った。

 

公の空間で涙してしまった自分。

泣けてくるときには泣けばいいんじゃないかと思えた瞬間、

そのまま自らに許可を出してしまえる自分がいた。

 

出張から戻った日、都心を走る電車の中。

車両の隅に立って、車窓から外を向くようにして。

正面から人に見られることだけを辛うじて免れるようにして。

 

 

自分にとって、避けられない事故のようにして出逢った存在を想う。

だから自分にとっては理屈を超えた大切な存在で、

たとえ形を変えても、想いが募り始めると涙が止まらなくなるような存在。

仕事から離れてふと我に返った瞬間、君の発していた数々の言葉と横顔を思い出す。

 

君のなかの自分が、以前と同じではないことも分かっていて、でも逢いたいと願った自分。

 

 

「悲しいときには泣いていいんだよ。」

それも、君が教えてくれた考え方だったと思う。

 

 

仕事がうまくいかなくて残念なときってある。

でも僕はそこで泣いたことはなかったと思う。

 

テニスで悔しい敗戦をしたことって何度もあった。

でも僕はそこで泣いたことはなかったと思う。

 

だけど、

君の存在だけは唯一の例外だと知る。

 

女性は涙することで想いを昇華させる、とよく言われたりする。

同じ人間だから、男性にも同じことができるだろうか。

ただ素直に、泣きたいときに泣く、ということの意味を考える。

 

 

なんだか、いつしか二人が話したことが皮肉にも重なった。

 

僕は犬みたいで、しっぽを振る忠犬のよう。

わたしは奔放で自由な猫のようだね。

 

 

今はこれでよいのだと言い聞かせようとする自分。

「未来」は来るのかすら分からないけど、「希望」と読み替えればよいのかも知れない、と。

 

 

いつだって、「ありがとう」と言って別れ際に手を振ることができる。

そんな自分でいたいと思った。

今でも君を好きでいてよい、と自分にまた許しを出した。

 

涙は、生き方をマキシマイズできる素晴らしいアイテムなのではないかと知る。

 

 

 

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本日の効能:効果:子育てのワンオペを回避し一人で抱え込まないことへのヒントとなる

 

突然ですが、きょうだいゲンカって日常茶飯事ですよね。

我が家でも、とりわけおやつをはじめとした食べ物の争いが絶えません。

男子が3人もいれば致し方ないか。(約30年前の自分もそうだったし)

 

こんなとき、たくましいのはやはり末っ子でしょうか。

三男は自作のフルーツヨーグルトを防御するため、“張り紙”をして冷蔵庫に保管しています笑い泣き

 

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

さて、今日はそんな子育てにも関連するお題。

 

ところで、「ワークシェアリング」という考え方はオランダ社会が先駆けだと聞きます。

 

わたしも仕事柄、いまもヨーロッパに同僚がいますが、

確かにかれらはよく「チームで」という言葉を使う気がする。

 

たとえば、彼らはもらった有給休暇を使い切るのは大前提。

だからこそなのか、夏休みシーズンともなると一つの職場の中で、

お互いに不在をカバーし合う文化が当たり前のように存在する。

 

今回はそんなシェアリングにまつわるエピソード。

 

 

 

その1:テニスで“身代わり”?

 

オランダに住んでいた頃におどろいたこと。

 

出場したテニスの大会において、

 

 

「都合がつかないときは“身代わり”を送り込んでよい」

 

 

という大会独自ルールがあったこと(!)

 

これは、半年間ほど続くリーグ戦ダブルスの中で、

ときには都合がつかないこともあるでしょう、という配慮からの計らい。

自分と同じくらいの実力の選手なら2回まで身代わりOK、と。(適当やな)

 

さすが、何でもありのオランダ。

場当たり的なことも多いですが、”実利”をとるのが商売上手なオランダのお国柄。

 

「えっ、そもそも本人が試合を楽しまないで意味あるの?」

というごもっともな疑問は置いておきましょう(笑)

 

 

 

 

その2:父親業でも“身代わり”?

 

同じくオランダに住んでいたころのこと。

子どもがある年齢に達するまで、インターナショナルスクールでは送迎が必要だった。

 

毎朝、自分が送り届けてから出社をしていたが、

少しでもその負担や時間を減らせないかと、一計を案じた。

 

たまたま、ごく近所の日本人ご家族で同じインターに通わせるおうちがあったことが幸い。

たどり着いた作戦は、

 

 

 

そのおうちのお父さんと手を組んで、

お父さん同士が一日おきの輪番制で、

両家の子どもをまとめて送り届ける

 

 

という作戦。

我ながらこれはグッドアイデアで、非常に大きなwin-winを生みました。

 

わたしの肩書き、”生き方のマキシマイズ”も、

「これって名案かも」と思った直感を大切にして、

ちょっぴり勇気を出して行動してみる、のが本質だと思っている。

 

ちなみに、海外の日本人コミュニティって、いわゆる昔の農村のような“ムラ社会”。

狭いコミュニティだから、人間関係が近いことを苦手に感じる人もいるかも。

でも、いろいろ情報交換しながら助け合って生活するあの感じって、素晴らしい。

 

 

「父親(母親)は代えの利かない職業」などと言われ子育てをあおられると、

つい肩に力が入ってしまうことも多いでしょう。

特に頑張り屋さん女子のお母さまたち、「家の中で相方に丸投げすることこそ美徳」を胸に。

 

 

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本日の効能:効果:何かに一歩踏み出すときの後押しとなる言葉を胸にしまえる

 

先日のコラムで、”とある過保護なご両親”が購入を検討していた物件のお話をしました。(↓以下リブログ)

その後、そこから巡ってきた機会と歪みを逃さず交渉を重ねた結果、

なんとわたしが契約に至るという展開となりました。

 

確かに、”おひとりさま女性”にとって住みやすそうな物件を探すというのは目利きにおけるセオリーの一つですが、

物件との出合いというのは、男女の出会いと同じくらい奇想天外なものですね。

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

さて、2021年度は自分にとって前例のない類の取り組みを混ぜ合わせ、

マルチタスクで「勇気を出す一歩」を立て続けに進めた1年でした。

 

というのも、かの有名な書籍「金持ち父さん 貧乏父さん」の一節、

 

「それよりも、(中略)その一方で自分のビジネスを持つことを考えるべきだ」

 

という言葉に改めて腹落ちし、実践しようと決めたから。

その結果、

 

会社員(E:Employee)

個人事業(S:Self Employed)

ビジネスオーナー(B:Business Owner)

 

のそれぞれの立場において変化があった。

具体的には、

 

その1:会社を作り自分の不動産ビジネス(B)を加速させた

その2:副業としてテニスインストラクターを始めた(S)

その3:会社員としての自分(E)のマインドに変化があった

 

ちなみに、自分は幸運なことに「会社員としての自分(E)」の仕事にも楽しみや意義を見いだしているので、

この「E」を継続することにも違和感はない。

 

でも、勇気を出して「B」を実践してみると、書籍の意味がほんとうに腹落ちした。

いま自分が実践していることは、

 

会社員(E:Employee)+個人事業(S:Self Employed)から、

ビジネスオーナー(B:Business Owner)+投資家(I:Invester)に、

自分をシフトさせる

 

ことなのだと実感ができ始めたから。

 

ところで、そうして動きだした折に聞いた、ある人からの言葉が今でも忘れられない。

自分とは異なるビジネス(物販系)でしたが、その立ち上げのお話を引き合いにしての、

 

「わたしの場合、『出来ている人がいるからわたしにもできる』と考える」

 

という主旨の言葉だった。

 

何気ないように聞こえたその言葉ですが、

とてもとても勇気づけられて、いつでも何か一歩踏み出すときの“お守り”になっている。

 

 

余談ですが上述の「金持ち父さん 貧乏父さん」って一般には、

目玉となるキャッチフレーズは「資産と負債の違いを知る」という点でしょうか。

でもわたしにとっては、その他にも大好きで勇気づけられる言葉がたくさんあります。

 

「多くの場合、人と違ったことをするのを恐れるこのような気持ちが、問題解決のための新しい道を見つけるのを難しくする」

「自分の頭で考え、『みんながそうするから、そうしよう』という言葉には決して耳を貸さなかった」

「私は変化を恐れない。むしろ大歓迎だ」

「チャンスを自ら作り出すような人間になりたいからだ」

 

もう一つ、偶然にもわたしのライフワークであるテニスを例えにした名言もあった。

 

「失敗を避ける人は成功も避けている。

わたしはお金のゲームもテニスの試合も同じようなものだと思っている。

一生懸命プレーし、ミスをし、それを直す。さらにまたミスをして、またそれを直す。

それを繰り返すうちにうまくなっていくのだ」

 

 

常日頃から何ごとにも大いに当てはまる「金言」ですね。

 

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本日の効能:効果:「いつまでも~でありたい」という気持ちこそ素晴らしい、と再確認できる

 

今日の関東地方、初夏のような暑さとなりましたね。

社会人実業団リーグ、春の団体戦シーズンでもあり、試合をしてきました。

ダブルスで勝ったものの、シングルスではかなり悔しい敗戦となりました。

今年度も、テニスのこととなると相変わらず熱くなってしまいそうです。

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

そして同じく今日、涼しくなった夕方には、近所の歩道兼自転車道をちょいと拝借して、

長男、次男、三男、それぞれと”決闘”をしてきました。

 

といっても、単なる50m走の勝負ニコニコ

特に中2となったばかりの長男、学校でもわりと足が速いほうだと聞き、以前から勝負したいと思っていた。

 

父親として、

いちテニス選手として、

そもそもただの負けず嫌い男子として。

 

そして結果、

 

 

 

引き分け(タイム7.07秒)

 

でした。

 

もう、ホントにぴったり並んでゴールを駆け抜けた。

成長を感じた嬉しさもあり、勝ち切れかった悔しさもある。

一方、来年くらいにはついに負けるかも知れないという危機感も。

 

 

「いい年して子どもと張り合うなよ」

と言われてしまいそうアセアセ

 

それでもなお、大いに張り合おうじゃないか、と自ら開き直っている。

なぜなら、

 

 

走って競争する男子ワールドって、いまでも楽しいから。

 

それに、

 

子どもって、大人が本気になって勝負してくるとうれしい

 

のです。

これは、かけっこでも、トランプでも、にらめっこでも何でも。

男子の子育てには、”ガチで遊ぶ”のがわたしの経験則から来る鉄則です。

 

ところで最近、「いつまでも素敵な女子でいたい」

と発信している世の女性の皆さんがとても素敵だと感じる。

 

それに刺激を受けているのか、同じように男子だって、

「いつまでも男子ワールドを楽しむ少年でいたい」

と思ってもよいですよね。そんな最近の自分。

 

””年甲斐もなく”、を誉め言葉と思うくらいでちょうどいい。

(あ、でも教養のある人間でありたいという気持ちはあります)

 

次は、1km走で”決闘”しようと思っています。

 

今日も最後までお付き合いくださり感謝ですウインク