韓国は三権分立によると、司法は行政の意向に縛られなくていいという認識なのだろうか。外国の裁判でその国からみて外国企業を訴えると変に理不尽な判決が出ることがある。しかし2012年5月に最高裁(大法院)が一審二審をソウルの高裁に差し戻した時点で、このような判決が出ることは決まっていたようなものだ。
その時点で韓国が請求額を払って訴えを取り下げさせないといけなかっただろう。
1965年の協定は、徴用工(採用のされ方による待遇の違いはなかったろう。今回のが徴用にあたるかあたらないかはさほど意味がない)の補償を含むものであるなら、訴え提起の時点で却下されるべき内容で、いや含まれるものでない、のような判決は普通は導かれない、なぜこのようなことになったのだろうか。
韓国と北朝鮮とは別の国で、北朝鮮と韓国とではアメリカとの関係が異なる。北朝鮮は、みたところアメリカとの対等の関係をめざしているようだ。韓国の方は北朝鮮の言い分からするとアメリカの植民地であるという。たとえば沖縄は戦後、アメリカの傀儡政権ともいうべき琉球政府ができ、それが本土復帰(おそらくは日本とアメリカの合意であり、琉球政府の考えに沿ったものというより)して、韓国は韓国政府というものができた。サムスンやヒュンダイなど製造業は優秀だが、金融をアメリカ外資によって牛耳られている。個人は自己の権利を自由に主張することができ、国家権力であってもそれを妨げない、みたいな、韓国最高裁による司法判断は、アメリカが韓国を統治下においていなければ、ありえないものだったろう。
日本の憲法に沿うと、公共の福祉のためには、個人の自由とか権利は制約されるので、このような請求は認められない。そもそも戦時体制下で徴用されるのは当たり前なので、損害賠償は無理だろう。あり得るとしたら、朝鮮半島のうち、日本が領土下においていない地域において錯誤で徴用を受けた、とか例外的ならいいが、そもそも日本人全体が徴用を受ける状況下で、韓国は戦後、日韓併合を、日本による植民地統治と大々的に教えているのだから、植民地統治されていたことは国家として認めているのであり、植民地統治の正統性とかその後の謝罪と補償とかいうことはあるとしても、個人の賠償などはその中のことであり、個別に請求できる筋合いのものではない。これが正しい判決と思う。
当時、徴用されて軍人になるのはエリート層であり、名誉なことだった。まず日本語ができないといけない。戦死した人はそもそも何も言わないが、日本の帝国主義による軍人でその後文句いっている人はあまりきいたことがない。靖国神社に合祀されている韓国出身で戦死した軍人が合祀されていることについて、親族が何かいうことはあるが、たとえば朝鮮戦争では、まだ北朝鮮軍も韓国軍も、軍人は旧日本軍出身の人で構成されていた。
日本人でも、兵隊の検査でおちるのは、本人はその存在を否定されたかのように思い込むことがあった(八つ墓村のような)。軍人になれず、工場に徴用されるのは不名誉なことであり、精神的苦痛を受けた、というのはそういう面では真相を突いているところはある。
たとえばローマ時代、兵士は平民以上でなければならない。奴隷は軍人になれない。ギリシアでも同じだろう。そういう面では、当時の日本は、内鮮一体と言いつつ、実際上は台湾や朝鮮など外地からの徴用は、本土と同一の待遇とは行かなかった面はあるだろう。
北朝鮮も韓国も同じだけれども、突き放すのは簡単かもしれないが、かつて戦時中は共に戦った仲間だった。日本人はだいたい日本列島に住んでいるけれど、朝鮮民族は、今ではロシアになっている樺太に住んでいる場合もあり、中国在住の朝鮮族もおり、半島は二つに分かれている状況で、今回の判決は受け入れられないことは事実だが、何となく配慮が足りなかったのかなあ、という気はする。
兵隊になるのはいやで工場で働いていたいということを思う人もいただろうし、今回の人は公募に応募して日本に労働者として来ていたようだが、工場で働く道しか残されていなかった。
戦前は天皇は臣民の父という立場をとっていた。外地であっても台湾、朝鮮、樺太などは旧帝国憲法の適用下にあるという見解だったので、そうすると、子が親に無理難題をいうのはむしろ当然ということになる。日本は日本と韓国が戦後別れたのだから韓国に請求すべきであるというのは正論であるが、韓国政府が支払を拒否しているか、或いはまだ韓国政府が存在しない日帝時代なので、日本人だった頃の請求権だから、という見解であるのだろうか。
日本でも戦前の任意性(たとえば借金の利息)は最高裁が、無効であり事実上の強制などといっているので、日本の価値観と韓国の価値観が同一であるから、起きたことだろう。