埼玉県行田市、秩父鉄道/行田市駅からの歩き旅です。

 

(2012年9月当時)

 

▼行田市駅からは記事タイトルの通り「忍城(おしじょう)」へ行ったのですが、そこまでは多少距離があるので、まずは道のりで目についた風景から載せていきます。

 

そのいちばん最初はこんな建物のお店です。凄い特徴的な建物ですね。高いけど狭そうで(笑)

 

上も下も真ん丸か、真ん丸が含まれる形で、ホントにレコードの「ドーナツ盤」を思わせます。

 

 

▼診療所跡という石碑が立っていました。

 

河津省庵(=かわづ・せいあん 1800-52)という名が刻まれていますが、ここ行田にあった忍(おし)藩で医者として開業し、侍医にもなった人物ですが、その診療所跡としてこれが残っています。

 

忍藩は江戸時代を通して存在し、松平家が治めた期間が長く、親藩または譜代大名が殆どを統治していた藩で、忍城を藩庁としていました。最後の藩主は大正時代まで生き永らえています。

 

 

▼ 「浮き城の町 行田」と銘打たれた街灯がありました。

 

城下町を思わせる形に、いくつもの灯があってこれがまた大変特徴的でした。

 

 

▼これも浮き城の町にちなんでのものですが、そのモニュメントです。

 

石田三成の水攻めにも耐えて落城しなかった「水の浮き城」それが忍城ですが、力強さや豊かさを形にしたもの、だという事でした。

 

 

▼これはからくり時計かなと思ったんですが、からくり時計なら駅前広場に別のものが存在しますし、これは一体なんだろう??と確かめきれないままでした。

 

 

▼武蔵野銀行行田支店です。

 

一見普通に立っている銀行の建物ですが「国登録有形文化財」との事でした。

 

1934(昭和9)年竣工の鉄筋コンクリート造りで、埼玉県内では戦前での鉄筋コンクリートの建物は珍しいそうです。

 

また行田の気候として北西の風が吹くという事で、西側に出入口がない構造となっているという事です。

 

てっぺん部分の装飾とか、上部のレリーフとか縦長の格子窓とか、色々と時代を感じる部分がごく何気なく随所に見られます。

 

今の武蔵野銀行になったのは50年前の1969(昭和44)年の事で、それ以前はここの地元名産である足袋の販売会社から足袋会館として使用されていたという経歴をもっています。

 

この建屋のシャッター周りの形が冒頭の写真のレコード店のシャッター周りも似たような大変特徴的な形をしていましたが、この辺のハヤリ?ではないのかな?と思わされたほどでした。

 

 

▼またまた出くわした石碑は「高札場跡」でした。

 

ここに幕府等からの連絡事項が貼り出されていたという事ですね。

 

 

▼屋根がめちゃくちゃうねっていた家屋がありました!

 

かなり危険なレベルですね…

 

柵もコーンも何もなくて、いくらでも近寄れるのがまた怖いです。これから7年経った今ももと撤去されていなかったらかなり怖いです。

 

 

▼ 「足袋蔵歴史のまち」として、蔵の点在している案内図がありました。

 

時間があれば、そんな蔵めぐりもしたかったところですが、まずは忍城跡を目指していました。

 

行田は木綿の産地であり、中山道が近くに通っていた事で、足袋の生産が盛んになっていったといいます。明治時代に入ると更に活発化し、昭和初期では全国シェアの8割を行田の足袋が占めていたといいます。

 

 

▼行田は「埼玉」という県名発祥の地という事を、駅記事で書いたように思いますが、この歩道橋にもその事が書かれていました。

 

その歩道橋の下では看板が出ていましたが、「e(イー)まち行田 未来フェスタ」としてラグビーの大八木淳史氏や元SPEEDの今井絵理子氏などが来る!とありました。もう7年も前の事ですけど。ちなみにこの当時の今井さんは現在のような議員の先生ではなかったので、SPEEDという冠になっていました。

 

 

▼この時の行田の観光のメインとなる忍城跡に遂に来ました。

 

この続きは次の記事にて!