「盲目の春風」
涼子は結婚式場で振り向きざまに言った。
「ここにいるのに、なんで気付かないの!?」
語気を強める彼女の姿がそこにはあった。
一見、どこにでもある風景かもしれない。
けれど、僕にとっては、それは夢の再現だった。
彼女と知り合ったのは、今から3年前。
予備校の仲間から紹介してもらった人だった。
当初、彼女も司法試験の「都城予備校」の学生だと
思っていた。
友人の比呂人は、何言ってんだよ、と僕の肩を叩く。
「彼女は、今、OLやってんだよ。中学時代からの友達で
俺の学校では美人で有名だったんだよ」
僕は、彼女に対して、幾分かの偏見を持っていたのかもしれない。
勉強はできないかもしれないけど、話しっぷりや外見からも弁護士
にもなれるほど賢明な女性だと思っていた。
しかし、比呂人曰く、どうやら彼女は高校も途中で辞め、
17歳からずっと働いていると言うのだ。
彼女は、初めて出会った時、一瞥してこう言った。
「2人とも馬鹿なことばっか言ってないで、ちゃんと勉強したら?
そんな調子だと落ちるに決まってんじゃん」
比呂人と僕は同じタイミングで、お互いに顔を見合わせ、笑った。
彼女は目鼻立ちがはっきりとしていて、男勝りなところがあった。
おまけに美人なのだから、涼子に彼氏にいない方が不思議だと
大抵の人は考えるだろう。
僕は、その時、彼氏がいるかどうか、聞かなかった。
いや、聞けなかったのだ。
彼女は、髪を掻き上げながら比呂人にぶつぶつと文句を言っていた。
仲がいいな、と思った。
比呂人は、その後、司法試験を断念し、今はサラリーマンとして
働いてる。
3年が経過した後、比呂人と彼女、それに僕の3人で頻繁に遊びに
出掛けるようになった。
すっかりサラリーマンになった比呂人は、スーツの裾を気にしながら、
僕に声を掛けてくる。
「俺、今度、結婚することにしたんだ」
春の風がビルの間を吹き抜けていた。
僕は、コートを両手で押さえながら、答えた。
「マジかよ、相手は誰なの?」
彼は、淡々と話した。
「同じ会社の人。写メで見たことあるじゃん?挙式は3月にするから、
お前も絶対来てくれよな!な?」
僕に断る理由などなかった。即決で、その日を空けることにした。
彼は、笑いながら「式で、なんかボケてくれよ。会場の人たち、
俺たちで盛り上げようよ。予備校の時の打ち上げみたいにさ!(笑)」
そう言って、彼は肩を組んできた。僕は、2言返事で承諾した。
アイツとは、予備校の頃から問題児で周囲に知られていた。
帰り際によくナンパをしたり、可愛い子を見定めては、
どっちが声を掛けるか、賭けをしていた。
途中で講義を抜け出しては、ゲームセンターに通った。
本当に、駄目な学生だと今でも思う。
ただ、その頃はその頃で楽しかったのだ。
しかし、今となっては、僕は未だに司法試験の勉強をしているし、
あの時の余裕のある表情は一切、消え失せていた。
遊び過ぎたことを振り返ってみても、きっと自分たちが悪いのだ。
涼子も3人で遊ぶことには、反対はしなかった。
彼女は仕事が休みの日にたまに会っていただけだから、
もともと僕らには無関心だったのだと思う。
ただ、僕の、彼女に対する尊敬やら劣等感やらを除いて。
僕は、感じていた。
彼女には、僕には惹きつける何かがあった。
そもそも、恋することに理由なんてなかった。
それが、一方通行だとしても好きになることに何の戸惑いもなかった。
比呂人に1度だけ話したこともあるが、
「中学からの友達だから恋愛感情なんて起こらねーし、
そんな浮いた話、彼女から聞いたこともねーよ」 と僕の話を邪険そうに
聞いていた。
そして、今年の春。
電話越しに比呂人が言った。
「今も涼子とは連絡を取っているから、結婚式にはアイツも呼ぶよ。
お前も久々会うだろうけど、色々とよろしく頼むよ」
何をだ?と僕は訝しげに彼の言葉を振り払った。
20代の結婚。
彼はモテるし、当たり前だと言えば、当然なのだ。
それに比べて、僕と言ったら、お金も未だに仕送りを貰っている
ただの予備校生である。
結婚など考える余裕もなかった。
そして、1日、1日が勉強の時間でいっぱいに埋め尽くされた。
結婚式当日には、新婦の由紀子さんと比呂人が純白のタキシードと
ドレス姿で控え室から出て来た。
彼は、僕の不慣れなスーツ姿を見て、
「相変わらず似合わねーな」と言った。
時間が迫っていたため、足早に席についた。
辺りを見回すと、涼子の姿はなかった。
「今日、来てねーんだ・・」
意気消沈している僕とは裏腹に、結婚式が始まった。
新郎新婦の入場、誓いの言葉を終えて、
僕はデジカメを片手に次のパーティー会場にも出席した。
会場は、普段の僕とはかけ離れたまったく別の世界で、
比呂人の会社の同僚から祝辞やら、出し物が用意されていた。
そして、席を立とうとした時、目の前に席に、ふとどこかで見かけた風な
綺麗な女性が戻ってきた。
僕は、その時、彼女が涼子だとは気付かなかった。式場を出る前までは。
彼女は、比呂人の中学時代の友達集団にいた。
涼子はずっと気付いていたらしいのだが、僕に声を掛けなかった。
後で聞いた話だが、僕がその場で気付かなかったことに腹を立てていた
らしい。
結婚パーティーが終わった時、比呂人と馬鹿話で挨拶を交わしていた時、
ちょうど隣に涼子がいた。
彼は、話の途中で唐突に言った。
「お前、後ろにいるの、涼子だよ!来てるって言ったじゃん、
もしかして気付いてなかったの??」
僕はたじろいだ。
彼女は、腕組をして、不貞腐れていて、こう言った。
「昔、よく遊んだ仲なのに、失礼だよ!」
僕は咄嗟に謝った。
「ごっ、ごめん!え?いつからいたの?」
お前も勉強のし過ぎで盲目になったんじゃねーの、と比呂人が
余計なツッコミを入れてくる。
彼女は、終止、怒っていたが、また仲間に紛れてしまい、
その後も会場を後にするまで話す事はなかった。
涼子は、結婚式会場が似合いすぎるほど、綺麗になっていた。
僕は申し訳ないことをした、と思った。
そして、帰りの電車に乗り込むまでの道で、ばったり彼女と会った。
彼女は、先程の語気の強い声で、のっけから僕に
ダメ出しをした。
僕は苦笑いしか出来なかった。
そして、彼女は次の瞬間、思わぬことを口にした。
「私も去年、結婚したの。まだ言ってなかったけど。
っていうか、連絡くらいしてよ!馬鹿!」
彼女のお腹が膨らんでいることに気付き、僕は愕然とした。
「その・・・そのお腹は?」
僕が突拍子もない愚問を投げかけたせいで、
彼女の憤りも冷めたらしく、投げやりに応えた。
「ホント、聞いて飽きれるわ。子供がいるの!出来た後で結婚したの!!」
僕は、この1年以上も何をしていたのだろうと思った。
彼女に、彼氏がいることも、結婚したこと、それに赤ちゃんが出来ている
ことすら、知らなかったのだから。
現実逃避傾向にあった自分。そして、司法試験の勉強以外のことを
すっかり気にしなくなった自分。
家族を守るひとたちの姿。
結婚を上げて幸せ絶頂の比呂人たち。
僕は、はっきりと自分が取り残された感覚に陥った。
そして、目の前にいる涼子は、結婚して子供もいるのだ。
自分を不甲斐なく、恥ずかしく思った。
それと同時に、悲しみが襲ってきた。
僕の状況を悟ったのか、彼女は、最後にこう言った。
「勉強頑張ってね。しっかりやれば、聡くんなら受かるよ。
私が保証するから」
そこには、母親としての涼子の姿があった。
僕は、お礼を一言だけぽつりと言うのが精一杯だった。
すぐに地下鉄の切符を買うと、足早に改札を通った。
背後では、彼女が手を振っていた。
僕はそれ以上、何も言うことが出来なかった。
「遅いよ、今更・・・」
ホームで電車を待っている間、彼女と過ごした3年間を
無意識的に振り返っていた。
切符を強く握り締め、歯を食いしばる僕が、車内の窓に映った。
自宅に戻る途中、ふと顔を上げると、近所の公園に桜が咲き始めて
いることに気付いた。
春一番の風が強く吹き付ける中で。
彼女のような強かさで。
新しい感情が、今、僕の心の中で弾け出そうとしていた。