「傷心のバスケットコート」
私が都内で待ち合わせたのは、陽平先輩との待望の初デートの
ためだ。
普段より念入りにメイクをし、服も彼が好みそうな明るい色を選んだ。
私はこの日をどれだけ心待ちにしたか、誰も知る由もない。
1つ年上の大学の先輩。
彼は、バスケ部の先輩で、私達後輩にはすごく優しく、
頼りがいのある彼。
勿論、陽平先輩の事を私は尊敬しているし、付き合いたいと
願うのは当然の結果だった。
彼と仲良くなり始めた当初、彼には同級生の
恋人、真理子がいた。
真理子先輩もまた同じバスケ部だったが、誰もが知っているカップル、
いわゆる公認の仲だった。
だが、私は内心、同性である彼女に対して不信感をも抱いていた。
部活では、しょっちゅう、私達後輩に八つ当たりをするし、
滅法気が強く、反論をも許さない、いかにも体育会系らしい人だった。
そんな彼女を、部活動が終わった途端、仲間達と散々愚痴っていた。
「真理子先輩、よくあれで先輩と付き合ってるよねー!」
「ルックスも悪いし、ニキビだらけでさぁ・・」
「怒ると、私なんてもの凄い剣幕でボールをぶつけられちゃってぇ」
「ああ、やだ。怖い、怖い」
「陽平先輩は尻に敷かれるタイプなんだよ、きっと」
部室へ戻ると、私達は決まって陰口を叩く。
陽平先輩は、みんなの憧れの的であったが、格好いい彼が
そんな意地悪い彼女と付き合うことに嫌悪していた。
ある時、風の噂で先輩が、彼女と別れることになったのを
耳にした。
聞くところによると、些細な事から大喧嘩をして彼から一方的に
別れを告げたらしい。
私達は、期待通りのシナリオに胸を躍らせた。
「ざまーみろって感じ」
「じゃあ、次に付き合うのは私かな」
「何言ってんの!アンタなんかに付き合う資格ないわよ」
「ねぇ、さっきから黙ってるけど、美樹はどうなのよ!?」
私・・。
私は、特に自分のルックスに対してはさほど自信が無かった。
それに、後輩の中にも可愛い子はいたし、私なんて到底無理だと
思うのが本音だった。
ただ、少しだけ強がりな性格だった為、その場凌ぎに口走ってしまった。
本当は、そんなこと言うつもりはなかったのに。
「先輩の事好きだから、私、今度告白してみる!」
周囲からの視線が一斉に私に向かってきた。
その表情は、温厚なはずはなく、むしろ攻撃的な目だった。
「ちょっと自惚れてるんじゃないの?」
笑い声が部室中に響き渡る。
私は必死に、引き攣りそうになった顔を手で押し隠し、
何とか平常心を保った。
みんなライバル。
そう思うと、私が憧れる陽平先輩が、ますます尊敬の眼差しと
して映り、自分の中で恋心と戸惑いを押し殺す事に
自棄になるのだった。
部活で汗を流す先輩は、輝きに溢れている。
爽やかな表情。
すらっと伸びた背筋。
バランスの取れた顔。
こんなに3拍子が揃っている人なんていない。
そんな空想をしながらも、自分のプレーに集中することでしか
彼への恋を留めておく方法は無かったように思う。
アピールと言ったら良いのだろうか。
胸を押さえつけられるような感覚が、日に日に強くなっていった。
そんな矢先のある日。
掃除当番だった、私が1人でアリーナの清掃を終え、
帰宅する途中。
先輩とばったり出くわせた。
彼は、いつものようにタオルを肩に掛け、爽やかな表情で
歩いていた。
私を見つけるや否や、声を掛けてきたのだ。
私の鼓動は急速に高まった。
試合前の緊張感よりも遙かに早い脈。
「おう!1年の前田じゃん。今日さ、部員全体で飲み会をやるからさ。
みんなにも声掛けといてくれよ」
早口だったのか、私の気が動転していたのか。
そのせいもあり、私は上の空だった。
そう言い残し、先輩は颯爽と友人の元へ走り去っていった。
カッコイイ。
思わず、そんな言葉を口にした。
と同時に私は、自分の中に気の強さで固めていた恋の壁を
打ち破ろうと決意した。
告白。
それしかないと思った。
彼と直接話したことで、私の恋は急展開を見せる。
飲み会の席のことだ。
私は思い切って、陽平先輩の隣に座った。
ビールを片手に意気揚々とバスケットについて語る彼。
まるで少女漫画にでも出てくるような顔つき。輝いた目。
私は、先輩にその日、色々な話をした。
先輩は優しかった。
酔いも回っていたせいもあり、その場の勢いで私は先輩に
メールアドレスを教えた。
先輩は、微笑み返してくれた。
そして遂に念願の番号を聞いた。
それ以来、彼とは毎日のようにメール交換し、
電話でも相談してもらったりした。
まるで、夢のような日々だった。
彼と電話で話す時は、我を忘れ、時間の経過すら
気にならなかった。
深夜まで語り明かしたこともある。
彼のことを想い、部活でも側に居られる。
それだけで幸せを実感できた。
むしろ、生きた心地すら感じられないほど、私の精神と
肉体は開放感に満ち溢れていた。
部活仲間にもよく動くようになったと言われた。
「最近、美樹、調子いいよね!レギュラーも取れるんじゃない?」
そう仄めかされたりもした。
私は、充実していた。
そして。
夢にまでに見た初デート。
勿論、私から誘った。
勇気を振り絞って言ったのだが、先輩は2こと返事でOKしてくれた。
心底、嬉しかったし、願ってもないチャンスだと思った。
先輩と肩を並べて新宿の靖国通りを歩いた。
その日は夕方から会ったこともあり、2人で近くの居酒屋へ
飲みに行った。
先輩は、終始、私をエスコートしてくれた。まんざら、私の事を気に
掛けてくれる素振りもあった。
そして深夜。
2人で心地良い風を浴びながら、帰っていく途中。
陽平先輩は、肩をそっと抱いてくれた。
優しかった。
私は涙を目の中に浮かべた。
喉まで出かかっていた『好き』の2文字。
言おうとした時、先輩はそれを悟った様子で頷いた。
彼の表情を見ようとした途端、キスをした。
道の真ん中。
彼は、私の背中から手を回した。
私は、夢へと急かされるような心地に至った。
私の目を見つめ、陽平先輩は言った。
「今日は遅いから、家に来なよ」
私は、言われるがままに彼の家へと出向いた。
彼のマンションは中野駅の線路沿いにあった。
2人で歩く姿は、もうカップル以外の何者でもなかったように思う。
そして、ルームキーを手に取り中へ入ると、彼は私の手を握り、
そっと連れ添った。
部屋に着いてからの記憶は定かではない。
ただ、その後の彼は、私の服を脱がして身体を露にし、
行為に及ぶことに徹した。
私はまだ付き合ってもないのに・・と言いながら、抗ったような
気もする。
しかし、彼は私の懐に入り、心の底まで愛し始めた。
彼の手。
この世の物とは思えないすらっとした手で、私のあらゆる部分を探る。
うなじを彼の舌が這う度、私は甲高い声を上げる。
徐々に、エスカレートしてくるキス。
いとも簡単に私を深々と抉り、かろうじで持ち堪える。
私の局部に到達したとき、私は宙を浮いているかのような
夢の中へと導かれた。
いつの間にか、彼が隣で寝そべっている。
その横顔を私は密かにずっと1人占めしていたい、
そんな気持ちに駆られるのであった。
その後も何度か私は陽平先輩の自宅に連れ出され、
彼の側に寄り添った。
至福の時間。
しかし、それは突然、思わぬ結末を迎える事となった。
部活が終わり、いつものように彼にメールをしていると、
何時間経っても返信が一向に返って来ない。
私は不安に思い、彼のいるであろうキャンパスに足を運んだ。
すると。
私はその光景に愕然とした。
彼は、去年ミスコンテストで優勝した女性と連れ添っていた。
いや、違う。
私は我が目を擦った。
しかし、明らかにデートをしている素振りで仲良く手を繋いで歩いている。
そして遂に。
友人から思わぬ言葉を耳にすることとなった。
「陽平先輩、実はかなり色んな人と付き合ってるらしいよ」
「えー!マジでぇ。でも、確かにモテるし、仕方ないのかもねぇ」
「手を出されるかもしんないから、美樹も気を付けなよー」
私は絶句した。
先輩が・・。
憧れていた先輩。付き合い始めたばかりの先輩。
その日以降、彼と会っても視線を合わせることなく、立ち去る彼。
あの時のあの行為は何だったのだろう。
弄ばれた私。
私は、遊びの一環でしかなかったのだ。
それは紛れもなく事実だったが、受け入れるのには時間が
かかった。
その後、私は度々、部活を休むようになり、同級生からも
離れていった。
彼の手。
思い出すと、暫くの間、胸に激痛が走る。
憧れ。
夢。
こうして、私の恋は脆くも敗れ去った。
それ以来の私と言ったら。
部活に退部届けを提出し、大学の友人と飲み歩くようになった。
決まって新宿の靖国通りを歩いた。
私は、事あるごとに何人もの男性と身体の関係を持った。
それは、今も消えない傷跡を癒すために。
軽い女。
そう言われても、今の私にはちっとも羞恥心すら感じなくなっている。
あの時。
安易に付いて行かなかったら。
そう思う度、私は自らの苦しみを他の男に委ねることだけしか出来ない。
深い傷。
負った後で、私は1人、孤独な新宿の繁華街を飲み歩くのである。
<完>