大学中退者のその後の後 -43ページ目

大学中退者のその後の後

フリーランスです。仕事の合間の息抜きツブ。

昔から、カルトなどの怪しい理論が、人心を惑わせてきました。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180826-00057203-gendaibiz-soci&p=1

 

このような記事を目にしました。

 

結構な敵を作ってしまいそうな記事ですが、自然科学を学んだ筆者も全くの同感であり、危機感を持ちました。良い記事です。

 

しかし、偽科学はどんなに頭の良い人でも、見抜くことは難しいものです。

 

事実、オーム真理教の例を見ても分かる通り、学者レベルの博士号持ちの人達が、ほぼ盲目的に教義に従い、大量殺人まで犯しました。

 

では、どうしたら偽科学による被害を防ぐことが出来るのか?

 

現代科学の限界

ご紹介した記事でも触れていますが、金儲けのために偽科学が使われる例も多いのですが、一方で多くの100%善意の人がこの偽科学を信じて行動しています。

 

また、「偽科学を信じるのは不勉強だからだ」と断罪する人は、オームの例をどう説明するのでしょうか?

 

悪意のものでも無く、不勉強でも無い人たちが、間違った行動をしている。それは、どのような理由からでしょうか?

 

誠実で勉強熱心な人々が、心を惑わす理由はただ一つ。

現代科学が未完成だからです。

 

特に、全ての科学の基礎と成る理論物理学が完成されていないことが、様々な不具合を招いていると思います。

 

宇宙の現象のうち、説明出来ないものが全体の数%・・・とかならまだしも、質量に換算して、実に宇宙の90%以上が未知なのです。

 

「ダーク・マター」と「ダーク・エネルギー」と呼ばれる未知の何かが、宇宙のほとんどを占めている・・・

 

現代科学で分かっているのは、その程度なのです。

 

私も、理論物理学を学んだ一人ですが(中退ですが)、悲しいかな、これが事実です。

 

宇宙にこれだけの未知の領域が有れば、怪しい理論もまかり通るってなもんですよ。

 

研究の成果のみを誇大に宣伝した科学者たち

結局、科学者と言えど、お金のしがらみからは逃れられません。

 

私財をなげうってまで研究をした科学者もたくさんいました。

 

今も予算に限りが有る大学の研究室などでは、教授が私費を出しているところも多いです。

 

しかし、研究には多額の費用がかかるために、資金集めは必須です。

 

そのためには、どうしても一定の成果をあげて、それが有益な研究であることを証明しなくてはいけません。

 

そのために、過去も今でも、科学者たちは誇大ぎみに己の研究成果を発表します。

 

さらに、物理学の研究の成果として、今のコンピューターやスマホが誕生しています。

 

いまだ多くの未知が残されているとはいえ、成果としては実に偉大なものです。

 

科学は万能で有ると人々に思わせるには十分でした。

 

必要なのは科学は万能では無いという事実の賢伝、そして・・・

 

偽科学の一番の問題点は、根拠が無いか非常に薄いことです。

 

科学を学び実践するものにとっては、信じるには足らないのです。

 

にも関わらず、少な過ぎるか、あるいは全く嘘の実証をもとに、人々の信頼を勝ち取ってしまう。

 

もし、その理論が間違っていたら、多くの被害をもたらします。

 

偽では無い科学は、まず論文を掲載する雑誌や機関誌の審査が有り、掲載された後も、その裏付けの実験や観測を経て初めて認められます。

 

それは、単なる理論では無く、「事実」であることの証明なのです。

 

実際、アインシュタインが論文の中で予言した「重力波」は、予言から実に100年を経て、最近観測に成功しました。

観測されるまでは、これも単なる理論の一つでしか有りませんでしたが、観測を経て「事実」に成ったのです。

 

こういった検証を経ずに、成果だけを強調するのが、偽科学の特徴です。

 

ある理論に対して、「検証」が行われているこどうかを、一般の人も判断出来るように、科学論文の格付けみたいなものが必要だと思います。もちろん、科学教育と共に。

 

また同時に、検証がされていない、「未知」がまだまだたくさん有ることも、事実として伝えなければならないと思います。

 

そして何より、理論科学の前進こそが、一番の課題です。

 

今、ILC-リニアコライダーと呼ばれる設備が、日本に設置されるかどうかの議論がされています。

 

http://aaa-sentan.org/ILC/

 

こういった設備を充実させることも、非常に大切なことです。

以前のブログで、「努力が実を結ぶことはまれである」と書いてきました。

 

そして、特に日本的な文化が、多くの者に努力をさせるためにその事実をうやむやにしていることも指摘しました。

 

これは、単に教育のプランの問題です。

 

日本的文化においては、平等を実現するための手段の一つが、努力の全員強要なのだと思います。

 

しかし、実際に努力が実を結ぶことを示す必要が有るかのように、日本には、一定の努力をしたものに社会的地位が保障される例が多々有ります。

 

前回は日本の高学歴エリートの例をあげてみましたが、エリート層に限らずとも、スポーツや企業においてもそういった例がたくさん見受けられます。

 

そしてそれが健全な競争を阻害し、結果として日本が国際競争に負けるように成ったのだと、私は考えています。

 

自由競争に対する認識が甘すぎる日本

日本において、「一定の努力をしたものに社会的地位が保障される」ように見えるのは、結果的にそうなっているだけで、別に意図的にそれを狙ったわけでは無いでしょう。

 

では、なぜそのようなことが起こるのか?

 

それは、社会的な地位を築いた人達が、その地位を公然と身内に引き継ぐシステムが存在しているからに他なりません。

 

これは理論的にも導き出されるし、私に関しては、実際にそのような人達に会ったことが有るので、そう言い切れます。

 

日本には、大学にしろ企業にしろ、親のひいたレールの上を歩むことで、一定の地位に就けるシステムが公然と存在するのです。

 

では、海外はどうか。

 

意外だと思う方も多いかも知れませんが、海外の企業では社内恋愛が禁止されていることが多いのは、ご存じでしょうか?

 

海外の企業では、査定や人物の評価は、部門長が各プロジェクトのリーダーたちからの話を聞いて行う場合がほとんどです。

 

社内恋愛が禁止されているのは、もしリーダーとその部下に恋愛関係が存在した場合、正しい評価が出来なくなり、それがひいては企業の競争力の低下を招くと考えられているからです。

 

社内恋愛ですらそういう考えですから、身内のコネなど一笑に付されます。

 

これはスポーツのチームでも同様で、偉大な選手だろうがチームのオーナーだろうが、誰かの身内だからとチームに招くことは絶対に有りません。

 

一方、日本では・・・ 言うまでも無し。

 

努力に見返りを求めることがそもそもの間違い

「無駄な努力」

 

この言葉を良く耳にしますが、その考え方がそもそもの間違いです。

 

正解は、「ほぼすべての努力は無駄」です。

 

まあ、身もふたもないって話ですが、全てはここからだと思います。

 

「無駄な努力」とはつまり、どうみても結果が得られない努力なわけですが、仕事においては結果が全てなので、ついこの言葉が出ると思います。

 

しかし結局ビジネスなんて、上手く行くかどうかはかなりの割合で運次第。

 

私も、求める結果が詳細に書かれた「仕様書」を元に仕事をしていますが、その「仕様書」を100%満たしても、契約通りの支払いが得られなかったり、評価されなかったりします。

 

その原因は単純で、仕事の相手が人だから。

 

人には感情が有って、それは文書である仕様書にはあらわれなかったりしますし、評価となると十人十色です。

 

契約書が存在する仕事ですらそんな感じですから、個人を相手にするサービスはなおさらだと思います。

 

人の気持ちは分からないし、簡単に数値化することも出来ません。

 

ですので、どうしても仕事には不確定要素が存在し、ビジネスは必ずギャンブル性を帯びるわけです。

 

短期間で結果が得られなかったビジネスでも、長期的に見て成功した例は多々有ります。

 

「努力は無駄」と割り切って仕事をすることも大切ですし、それこそが「努力」の本質ではないでしょうか。

 

日本企業のビジネスは、短期的な結果ばかり追い求めて、長期的な戦略が取れていないとは、よくされる指摘です。

 

特に、今や世界のビジネスの本流とされるAIやITの世界では、日本は周回遅れに成っているとさえ言われています。

 

長期的戦略のための、結果を生むかどうかは分からない努力。

そして、本当に優秀な人間に力を持たせるための、公平な努力の結果。

 

これらが今、日本に求められていることです。

 

そして仕事はもちろんですが、それらの事実を、未成年の教育にも反映すべきだと思います。

 

 

私が好きなテレビシリーズの一つに「24」という、アメリカの番組が有ります。

 

一時期はだいぶ流行りましたが、さすがに最近は少し下火になってます。

 

その「24」のシーズン1の一話目で、良い大学を出ている主人公が上司からこんな言葉をかけられます。

 

「なぜこんな安月給の仕事を選んだんだ」

 

主人公の職業は「国家公務員」です。部署は「テロ対策ユニット」です。

 

アメリカはエリートに奉仕の精神を求める

これはアメリカに限らずだと思いますが、

「エリートは並みの人よりも能力が有るのだから、多くの人間の役に立たなくてはいけない」

という考えが有ります。

 

もちろんそれは日本にも有って、社会的にそれが求められていると思います。

 

だから東大出身者の中でも、弁護士や国家公務員に成る人が多いのだと思いますが、今や目的と結果が一致していません。

 

弁護士の報酬は、競争が有るはずなのにずっと高いまま変わらず、国家公務員と言えば「天下り」です。

 

最近の話を色々聞いても、この人達からはお金のにおいしかしないと感じるのは、私だけでしょうか。

 

「24」の例のとおり、アメリカは民間企業と比べて、公務員の報酬は高く有りません。

 

それでも人材に事欠かないのは、奉仕の精神を学ばせる教育の成せるわざでしょう。

 

自由の国で有りながら、アメリカがあらゆる面で世界をリードする所以です。

 

日本のエリートは偽物

この国の、多くの高学歴エリートを見て思うのは、この人達は難関大学に入ることが全てで、大学に入った時点で燃え尽きてしまっているのではないかということ。

 

その多くが、部活動や恋愛などの人並の青春を犠牲にして受験勉強に励みます。

 

結果として得られた高学歴の肩書を利用して、人一倍の稼ぎを得ることに精を出す。

 

そしてそれ以上のことはしないのです。

 

私は、日本のエリートたちは、実は偽物ではないのかと思っています。

 

例えば、東大生の親の多くは年収がかなり高いという統計が有りますが、年収と個人の能力には関連が有ることも分かっています。

 

つまり、東大生の親御さんたちは、能力が高いことが分かります。

 

一方で、前回にも書きましたが、人の頭脳の優劣は、遺伝しづらいことが科学的に証明されています。


つまりこれは、日本の受験システムが、一定のお金と時間を掛ければ高得点を取れてしまうことを意味しています。

 

これも前回に書きましたが、努力とは本来、成果を出すのが難しいもののはず。

 

それが、ある一定の努力をすれば、必ず成果が出せるとすれば、そのシステムには大きな欠陥が有るということです。

 

しかもその努力は、親が高額のお金を支払うことで手に入るということ。

 

この日本で、格差が世代間で受け継がれているのです。

 

これは、日本の受験システムの弊害であるとともに、その先に待ち受ける学歴社会が問題だと私は思います。

 

本来、能力が飛びぬけて高いわけでは無い人達が、親の援助で学歴を手に入れる。

その結果、志の低い、自分を利することしか考えない人達がエリートと呼ばれる。

 

これが、日本のエリートたちの正体ではないでしょうか。

 

そして、本当に能力が有る人達が、日本においては社会に埋もれてしまっていることも見て取れますね。

 

やっと始まった受験改革

2020年から、これまでの「センター試験」に替わる、あらたな入学試験が大学受験に導入されます。

 

この「新テスト」、これまでのいわゆる詰め込み型の勉強が通用しないことが分かっています。

 

つまり、前章で述べた、お金をかけた一部の人間の子弟が受験に受かるシステムが、一掃されるということです。

 

「なんだ、解決じゃん!」とは、思わないでください。

 

経済的にも技術的にも、この国はすでに沈み始めています。

 

完全に「遅きに失した」と、私は考えています。

 

では、どうやったら今から挽回できるのか?

 

できるのかどうか、保証は有りませんが、「社会に埋もれた」才能の持ち主たちを探し出すことが先決だと思います。

 

それには就職氷河期に良い企業に入れなかった人などにも、光を当てる努力が必要です。

 

日本は転職に対してあまり良いイメージが無く、実際に収入が下がったり、ローンが組みづらくなったりします。

 

そして何より、相変わらずまだ何が出来るかなど分かりもしない新卒ばかりを採用していて、中途採用の転職自体が数が少ない状況です。

 

これを変えていくしかないと思います。

 

既存の日本のエリートたちも、全く使い道が無いわけでは有りません。

 

まずは、本当にその人の能力に見合った地位と待遇を与えることが大切だと思います。

前回は大手IT企業の脅威について書きました。

 

彼らの言いなりにならずに、自分の考えを持ち続けるには、彼らの用いるテクノロジーを勉強する必要が有ると説きました。

 

実はそれ以外の理由でも、今後、誰でも学ぶ必要が出てくると考えます。

 

ソフトウェアが世界を支配する

前回でも紹介しましたが、日本でも2020年より、小学校でのプログラミング教育が始まります。

 

すでに世界では各国で始まっているので、日本は遅いスタートですね。

 

文部科学省が公式に発表している、プログラミング教育を行う理由は、「論理的な思考を育てるため」だそうです。

 

私も日々仕事でプログラミングをしているので分かりますが、間違いなく論理的思考は必要不可欠です。

 

ある一つ(あるいは複数)の結果を出すために必要な処理を、コンピューター言語で描くわけですから。

 

ですが、あえて言わせてもらうなら、それは単純に算数でも学べます。

 

それをあえてプログラミングで行う理由は、本当は他に有るのです。

 

非常に処理能力に優れたコンピューターが格安で誰でも手に入り、多くのロボットが作られている現在、プログラム(ソフトウェア)で何でも出来てしてしまうから。

 

今後は、製造業だろうがサービス業だろうが、プログラムが組めないことには、仕事に成らないからです。

 

それなのに、あえて他の理由を省庁が述べるのはなぜでしょう?

 

プログラミングにおける高い能力は、単純な努力では得られない

努力を推奨する言葉は、過去の偉人からも多く発せられています。

 

間違い無く、努力はしないよりはしたほうが良いと思う人が大半でしょう。

 

私ももちろんそうです。ただし!それを言うときに、私はある言葉を必ず後に付けます。相手が息子だろうと誰だろうと、です。

 

「努力した結果が実を結ぶのはごくまれだ」。

 

努力の大切さを説く偉人達。しかし、その言葉を発している本人が、どう見ても天から授かった特別な才能を持っていると思ったことがある方も多いと思います。

 

スポーツでも何でも、夢中になったことが有る人は必ず一度はその道のプロになることを夢見ると思いますが、なれるのはごく一部です。

 

プロまではならずとも、ハードルを低くすれば、ある程度の結果は得られますが、それでも満足いく結果が出せる人は少ないと思います。

 

なのに、その事実をはっきり言わない人が、特に日本に多いのはなぜでしょうか?

 

「そんなこと言ったら、努力する気無くす奴が多いから」

だと思うのですが、それでやる気を無くしたからどうだというのでしょうか。

 

人間がやれることは、無限と言えるほどたくさん有ります。だめなら、すぐに他のことをやれば良いだけです。

 

プログラミングの幼児教育は人類の進化そのもの

多くの技術者や学者が認めることですが、プログラミングの能力は個人差が大きいものです。

 

しかし、プログラミング自体は、突出した天才にしか出来ないものでも無いし、特別な教育が必要なものでも有りません。

 

今後は全てと言って良い仕事が、プログラムで動くことに成りますから、より多くのプログラマーが必要に成ります。

 

なので、必然的に全ての人に学んでもらって、より多くの優秀な技術者を育てる必要が有るのです。

 

また同時に、実際にプログラムを組むことを仕事としなくても、プログラムがなんで有るかを理解していないと、どんな仕事も上手く進める事が出来なくなります。

 

プログラムとは関係ない、芸術などの分野でも、ネットの知識無しでは今の時代は活躍は出来ません。

 

ネットはプログラムによって管理、運用されています。

 

そのためにプログラミング教育が必要なのです。

 

突出した能力を持つプログラマーは、たくさんの富と幸せをもたらすことでしょう。

 

最近の人類学によると、人類がここまで進化と繁栄が出来たのは、天才を生み出した結果だったことが分かっています。

 

災害や疫病などの人類の窮地を救ってきたのは、特殊な能力を持った、かつての天才たちです。

 

人類が天才を生み出せたのは、確率が成せる技でした。

より多くの仲間を作ることで、生まれにくい天才を生み出したのです。

 

現在においてもそうですが、才能はなかなか遺伝しません。親子でノーベル賞を受賞した例は、数例しか有りません。

 

天才はほぼ、その出自に関係無く、突然現れます。

 

差別を無くし、どんな人間だろうと人権を大切にするのは、合理的な理由が有るのです。

 

出る杭を打つ日本の教育は、この国を滅ぼす

産業革命以前は、土地を持った地主か人を動かせる貴族しか時代の流れなど作れませんでしたが、現在は能力さえ有れば「イノベーション」を起こせます。

 

実際、最近世界的に儲かっている企業の創業者は、皆平民の出身です。

 

どこの家に生まれるかなど、本人の意思で決められるものでは有りません。

 

私は、本当に良い時代に成ったと思います。

 

一方、ここ日本では、今だ従順な労働者を育てる教育がされています。東大ですら、です。

 

東大出身の優秀な人材が、いまだに大企業に従順な産業医や弁護士に成っています。

 

今進んでいる第4次産業革命は、今度こそ出自に関係無く、能力のみで人間が評価される時代をもたらすでしょう。

 

既存の価値観にとらわれずに、全ての人に機会を与えることこそが、大切だと思います。

 

それは年齢にも関係は無いと思います。

 

この機に、プログラミングを学んでおかないと、置いてかれますよ。

ここにAIの脅威についてずっと書いてきましたが、AIが人類の脅威になる以前にすでに始まっている問題について書きたいと思います。

 

すでに多くのメディアが取り上げており、各国政府が予算を組んで対策に乗り出しているこの問題、ご存じですか?

 

AIが生みだすとんでもない格差社会

アメリカなどの大手IT企業は、すでに皆さんご存知だと思うのですが、それらの企業が相当な力を持っていることはあまり認識されていないように思います。

 

おそらく日本人でもネットを使う方なら、大手の検索エンジンやSNSは必ず使っているはずです。


私も大手のサービスを良く利用していますが、実は今まで一円もお金を払ったことが有りません。

 

おそらく、多くの方が同様だと思うのですが、ではなぜ大手IT企業は大儲けできるのでしょうか?

 

大儲けどころか、今や企業価値で世界の最上位にいます。

 

みんながサービスを使うことによって、実は多くのデータが大手IT企業に入ってきます。

 

そのデータ収集には、不完全ながらAIが使われています。

 

情報戦の重要さを今だに理解しない日本人

 

「ニイタカヤマノボレ」、「トラ、トラ、トラ」

これらの言葉だけは聞いたことがあると思います。

 

20代から下の世代は知らないかもしれませんが、それより上の世代では、ヒット曲や映画などで、一度は聞いた言葉ではないかなと。

 

もちろんご存じの方もおられると思いますが、これらは、旧日本軍が真珠湾を攻撃した際の暗号伝文です。

 

前文は攻撃の命令、後の文は攻撃の成功を知らせるものです。

 

実はこれらの暗号を敵国であるアメリカは全て傍受し、解読していました。

 

太平洋戦争の結末に至る原因は様々ですが、日本軍の暗号が解読されていたことが非常に大きな原因の一つであることは、歴史学者や戦略家なら誰もが認めることです。

 

そして、またもや我々の手のうちがばれているのですよ。

 

我々の欲求はコントロールされている

以前はネット検索をすると、誰でも得られる結果は同じでした。
 
しかし、現在はスマホやパソコンの個体番号を利用して利用者を特定し、その利用者の好みに合わせて結果が異なるように成っています。
 
検索結果は本来、検索数や閲覧数が多い順に上から表示されます。
 
しかしそれが現在、利用者の検索ワードを記録しておいて、よりサービスを多く利用するように、結果に手心が加えられています。
 
さらには、検索にヒットするような記事などを書いている企業が、検索エンジンを運営するIT企業にお金を払うと、検索の上位に表示されるようになっています。
 
今でこそ、お金が支払われた検索結果には「広告」の表示が付くように成りましたが、最近まではそれすら有りませんでした。
 
それらの事実を知らない方も多いのではないでしょうか。
 

大手IT企業をアメリカ政府ですら恐れている

こうして、我々は知らないうちにその嗜好をデータ化され、より多くのお金を、大手IT企業に金を払っている企業に使うように仕向けられています。
 
より良い商品を適正な価格で提供することで顧客を増やすのが、本来の資本主義におけるビジネスだと思います。
 
広告は昔から有りますが、これほど効果的で、無意識に働きかけるものは有りませんでした。
 
最近の日本ブランドの低迷も、これらとは無関係だと思いたいものですが、もし、大きな影響を受けているのだとしたら我々日本人は、大手IT企業についてもっと勉強しなくてはいけないと思います。
 
これらはまだ消費活動でしか無いので、不公平は有るものの、それなりの商品やサービスが手に入るかぎり、大きな問題はないのだろうと思います。
 
しかし、これがもし政治活動で有ったならどうでしょうか?
 
民主主義における彼らIT企業の影響を、各国の政府が懸念しています。
 

彼らに対抗するための唯一の手段

大手IT企業はここ10年ほどで、世界中の大多数の人間に関するなんらかのデータをすでに集めてしまいました。
 
今から彼らのサービスを使わないとしても、彼らの影響は不可避だと思ったほうが良いでしょう。
 
またパソコンに関する誰もが使う、政府機関ですら使っているシステムを、彼らは提供しています。
 
もはや大手IT企業無しでは、世界が動かないところまで来ているのです。
 
では、彼らの思う通りに成ってしまうのでしょうか?
 
今のところ、倫理的に問題が有るようなデータ運用は見受けられませんが(あくまで表面上)、今後、彼らが悪意を持ってデータとシステムを運用しないとは言い切れません。
 
ではどうやったら彼らの影響を排除出来るのか?
 
方法はただ一つ、「学ぶこと」です。
 
彼ら大手IT企業が、どのようにデータを得て、どんな影響を我々に及ぼすのか。
 
彼らが使うコンピューター言語やインターネットについて学び、彼らが何か不正を働いていないかを、皆一人一人が監視しなくてはいけません。
「そんなもの、政府がやってくれる」
そういうあなた、すでに日本政府は後手後手にまわっていますよ。
 
再来年から日本の小学校でも、プログラミング教育が始まります。
 
理由は色々有りますが、このテクノロジーの時代に、自分の意見と人権を守るためでも有ります。
 
そして、子供たちだけではなく、我々大人たちも学ばなければいけません。