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大学中退者のその後の後

フリーランスです。仕事の合間の息抜きツブ。

現在、筆者はフリーランスのエンジニアとして、大手企業から重要な仕事を任され、それなりの収入が有ります。

また、大手企業の社員だった経験も有ります。

 

そんな筆者も、就職氷河期であった20代後半~30代前半にかけて、数十社の就活において落とされた経験が有ります。

 

なぜ筆者は数十社から落とされたのでしょうか?

なぜその数十社は、それなりに優秀なエンジニアである筆者を落としたのでしょうか?

 

優秀では無い人間は優秀な人間を見抜けない

筆者も50を過ぎて、いきなりバカにしてくる人など、ほぼいなくなりましたが、40代半ばくらいまでは、最初から下に見て来る人はたまにいました。

 

そしてそういった人たちに共通する特徴が、決して優秀では無いということです。

同業のプログラマーでも無く、誰にでも出来るような仕事をしているような人たちです。

 

そこで気づいたのが、有る程度優秀な人間で無いと、優秀な人間をすぐには見抜けないということです。

優秀な人だと数分話しただけで、それなりの事が出来るエンジニアだと分かってくれます。

 

逆に筆者も、優秀な仕事が出来る人と話すと、数分程度で気づきます。

 

優秀では無い人たちは、テストの偏差値や出身大学のレベルでしか、人の優劣を判断できないのです。

優秀な人間を見抜けない人事担当

筆者は、最初に就職した会社が経営危機に陥り、整理解雇されました。

しかもよりによって、就職氷河期の真っ只中です。

 

当時は転職サイトも数少なく、掲載される求人自体も、特に地方ではかなり少ない状況でした。

当時はまだネットで求人を行う企業が少なかったと思います。

 

当然、ハローワークに行くわけですが、ハローワークも求人のデータベース化にはまだ至っておらず、ファイリングされた紙の求人を見るしか有りません。

 

時代も時代なので、ハローワークは人でごった返し、求人ファイルは奪い合いです。

朝から夕方まで居ても、ほとんどファイルに目を通すことすら出来ませんでした。(求人の紙は、1つの職種に対して1枚しか用意されません。今のようにデータベースに複数の人がアクセスして同時に見るような状況では有りませんでした)

 

そこで、求人広告などに頼るしか有りません。

しかし求人広告といえば、昔も今もアルバイトなどが中心で、技術職の募集などほぼ皆無です。

 

そんな状況から、コピー機のメンテナンスなどの、ギリ技術が必要な仕事を見つけて応募していました。

しかし、コピー機のメンテナンスなどマニュアルが有って、結構誰でも出来てしまいます。

 

そんな会社の人事担当者です。

前述の通り、筆者が高度な電気設計やプログラミングが出来ることなど分からないし、分かったとしても必要ともしなかったでしょう。

 

数十社中1社だけ電気技術者を募集する会社で、重役面接までこぎつけたことも有りましたが、そこも社長の最終判断で別な人に決まりました。

 

このように、当時は筆者の能力を見抜ける会社、必要とする会社にはたどり着けなかったことが、数十社も落とされる原因だったと、今では分かります。

 

色々ともがきあがいて、やっと大手メーカーの技術者と面談する機会を得て採用に至ったことから、筆者の現在のキャリアがスタートしました。

海外企業は人事担当が面談しない

海外に長期出張して、海外企業も色々と見てきました。

 

日本企業と海外企業のリクルートにおける最大の違いは、人事担当が採用には関わらないということです。

 

海外企業の人事担当の仕事は、主に社員の勤怠の管理や給与の振込み作業などで、人事考査や採用には関わりません。

 

採用を行うのは、現場のチームリーダーです。

採用活動が決まると、その部署のチームリーダーが人事に掛け合い、どうゆう人材をいくらの給料で雇うかをまず決めます。

 

そしてリクルーターなどを通して人材を集め、チームリーダーが直接面談して採用する人物を決めます。

 

それに対し、日本企業は人事担当が面談を行い、採用を決めてから部署を割り振りします。

 

そもそも、人事担当はその多くが文系出身者で占められています。

彼らがはたして優秀な技術者を見抜けるのか。

まあ、結論から言うと、出来ないと思います。

 

過去のブログ、「日本企業の人事の目は節穴」でも書きましたが、出来ないからこそ、全てを学歴で判断するわけです。

 

だから本当に優秀な人材を見逃し、その結果が現在の日本企業の状態です。

 

日本企業は、まず採用方式から見直し、保身をはかる人事部の体制を変えて行く必要が有ると思います。

「片親パン」という言葉がSNS界隈で流行っています。

小さなクリームパンなどが、一袋にたくさん入って安価なパン製品をそのように表現します。

 

貧乏な一人親世帯の子供が良く食べているイメージから、そう呼ばれているそうですが、元は一人親を持つ人が自虐的にツイートしたものだそうです。

親に頼るのが当たり前の日本人

筆者もそうですが、結婚式の費用を親に出してもらうのが、この国では当たり前に成っています。

 

また、大学の学費なども親に出してもらう人が多いと思います。

 

実はこれらは日本だけで、ほとんどの国の人が、学費などを自分で賄っています。

多くの国の親たちは、子供の自立を促すために、かなり早い段階で援助を打ち切ります。

海外で若いホームレスが多いのも、引きこもりを許さないからです。

 

そもそも大学の学費が無料の国も多いのですが、アメリカの大学は学費が高額なことで有名です。

だからアメリカの大学生たちは、ベビーシッターなどのアルバイトをしながら高額の奨学金ももらっています。

 

しかし、アメリカの大手企業は初任給から高給なので、高額な奨学金もすぐに返済出来ます。

 

日本企業の給料で奨学金の返済をするのは、はっきり言って無茶だと思います。

教育格差を無くすためにも、大学の授業料の無償化を進めるべきです。

親は死ぬし破産するし離婚する

「片親パン」を流行らせている人たちは、多分親から多くの援助を受けていて、それを受けられ無い人をバカにしている感じがします。

 

本来は片親を持つ人の自虐ツイートが独り歩きするのは、そういう風潮だからだと思います。

 

いわゆる「親ガチャ」の勝ち組で有ることを誇る人たちに言いたいのが、上の中見出しです。

 

もし亡くなれば、遺産は入りますが、多額の相続税を収めなくてはいけません。

 

だから海外では、早めに子供の自立を促すわけですが、日本人はそういう不幸な未来が大嫌いで、それに備えようともしません。

 

それは経済活動にも表れていて、デジタル化の進行はとっくに予想されていたにも関わらず、それに乗り遅れています。

 

いい加減、日本人も、子供は親がどうなるか分からないという前提で自立し、企業と社会人は新しい仕事のしかたを受け入れるべきだと思います。

 

 

このようなデータが有ります。

 

各地域ごとに、エンジン車とEVが、走行距離別にCO2排出量の比較が出来ます。

 

アメリカでは5000km以上で、ガソリン車の排出量が逆転します。

つまり新車から5000km以上走るのであれば、トータルでEVの方が排出量は少なくなり、EVがCO2削減に有効であると言えます。

 

一方で日本のデータはどうでしょうか。

8000km走っても、まだEVの方がCO2排出量が多くなっています。

8000kmというと、そろそろ買い替えが見えてきます。

結局、日本では、EVに切り替えたところで、CO2削減には成らないということです。

 

それはなぜでしょうか?

電気を作るのにCO2が出る

EVがCO2削減に有効だというデータが出ているアメリカですが、実はアメリカ国内でも、地域によって違いが有ると言われています。

 

西海岸ではEVが圧倒的に排出量が少なくなりますが、東海岸では逆転するそうです。

 

その理由は、発電方法に有ります。西海岸では、太陽光発電や風力発電などの、CO2を出さない発電所が多いのに対し、東海岸は火力発電所が多いそうです。

 

つまり、同じ電力でも、発電方法によって排出するCO2の量が違うために、地域差が出るのです。

 

ここ日本は、国全体で火力発電に頼っており、その割合は80%を越えます。

 

火力発電で作った電気を使用してEVを走らせても、何の効果も有りません。

それどころか、電力不足がひっ迫している日本では、その使用は控えるべきなのです。

 

不都合な真実を語らない自動車メーカーとマスコミ

このように、ここ日本では、その使用効果が見込めないEVですが、世界の潮流に合わせるかのように、EV化が進んでいます。

 

それは中国も同様で、国内での使用効果は無いにも関わらず、今やEV生産台数で世界一です。

 

それはもちろん、使用効果が大きく、今後ガソリン車の使用が禁止されるEUに向けて売るためです。

また、電気代が安いために、燃料代を浮かすための国内需要も見込めるからです。

 

ですから、中国国内でEVに乗る人を褒める必要はありません。

そして、それは日本も同様であるわけです。

 

にもかかわらず、さも良いことのようにCMなどで宣伝しています。

 

日産はまだ良心的なほうで、EVの走行性能のみを宣伝するようなCMに成っていますが、M社などは「地球に優しい」的な、はっきり言って嘘のCMを垂れ流しています。

 

またマスゴミも、最初に掲載したような事実を報じることもせず、スポンサー企業である自動車メーカーに協力しているように見えます。

イメージによらない、真実のCO2削減

このように、イメージだけの何となくなSDGsでは、CO2削減は出来ません。

 

日本はCO2排出量世界第5位の排出大国で、その影響は少なく有りません。

CO2による温暖化の影響は、今や破滅的段階まで来ています。

 

日本のCO2削減には、まず火力発電を減らさないといけません。

 

それには原発再稼働を含めて、もっと真剣で盛んな議論が必要だと思います。

今年も正月の名物、箱根駅伝が開催され、往路復路を制した駒澤大学が、連覇を果たしました。

 

ただただ早く走る訓練をする大学生たち。彼らには、どんな未来が待っているのでしょうか。

若者を見世物にして楽しむ大人たち

筆者の出た高校は、かつて甲子園の常連校で、筆者が在籍した3年間で3度甲子園に出場しました。

 

そのうち数人がプロにも成りましたが、そのうち1軍で活躍出来たのは2人ほどだと記憶しています。

 

その他、ベンチ入り出来なかった部員まで含めると、200人ほどが同年代の野球部出身者です。

 

プロに行かなかった者は、野球推薦で大学に進学したり、企業の野球部に入って社会人選手に成ったりしていました。

彼らのその後を、筆者は良く知っています。

 

筆者の世代は、20歳ごろ、バブルの崩壊を迎えました。

 

企業の野球部はことごとく解散に追い込まれ、野球部員として採用された者は、会社を去らざるを得ませんでした。

 

大学に行ったものも、プロに成れなければ企業の野球部採用に頼るしか有りませんが、その道を絶たれ、一般採用に応募せざるを得ませんでした。しかし野球推薦で入学したことがアダと成り、就職にも苦労していました。

 

筆者には、彼らが見世物として利用され、捨てられたようにしか見えませんでした。

若者を広告塔として利用する大人たち

高校や大学の運動部の強豪は、そのほとんどが私学で、公立が上位に食い込むと話題に成るほど、公立は弱いのが普通です。

 

箱根駅伝も、出場するのは全て私立。大学連合名で出場する国立大学生もいましたが、今後は廃止に成るようです。

 

何故、私立ばかりが強いのかというと、それはもちろん宣伝になり、入学希望者を増やして儲けられるからです。

 

その競技が好きで得意な若者にとって、それに特化した環境は、とてもやりがいが有って良い環境だと思います。

しかし、彼らの将来をちゃんと考えている私学は少ないと感じます。

 

また企業の運動部も、企業名を有名にして、商品の売り上げを上げたり、優秀な人材を集めるためのものです。

 

しかし、それらの企業も、運動部員の引退後をサポートしている様子はほとんど見られません。

過剰なやりがい搾取

箱根駅伝で活躍した選手たちも、その多くが企業の運動部に進みます。

それはもちろん、企業の運動部員として採用され、企業の広告塔として活動するための採用です。

 

彼らが年齢とともに走れなくなったら、どうなるのか?

 

あるものは社内で別な役目を果たして、会社に残る道を見つけたりもします。

しかし、その多くが会社を去らざるを得ないようです。

 

そのほとんどがまだ20代なので、他の企業に再雇用されるようですが、もともと所属していた大手企業と比べると、条件は良くないでしょう。

 

競技者として、その能力が最高潮の年代に競技に打ち込めるのは、幸せなことだとは思います。

 

しかし、50を超えた筆者が思うに、長い人生を送るうえで、若いうちは貴重な時間で、その後の長い人生の行く末が決まる、大事なころです。

 

スポーツはすばらしいもので、ストレスの発散にも成るし、何より健康を保つためにも、非常に役に立ちます。

 

だから誰でも競技には参加すべきだとも思います。

 

しかし、それを見世物にして楽しんだり、広告塔として利用したりするのは考え物です。

それは、過剰なやりがい搾取だと思います。

 

いい加減、日本の私学と企業は、このやりがい搾取を慎むべきだと思うのは、筆者だけでしょうか。

 

 

年収と幸福度の関係性を比較する、こんなデータが有ります。

どうやら、ただ単にお金持ちに成れば幸せというわけでは無さそうです。

幸せは物でも環境でも無く経験

この研究結果が示す事は何なのか。

 

それは、お金で買えるもので得られる幸福感には、限度が有るという事実です。

 

どんな良い車に乗ろうとも、広くて高価な調度品に囲まれた家に住んだとしても、ファーストクラスに乗って世界中を旅しようとも、得られる満足はある程度までだという事です。

 

では、人は何に幸福を感じるのか?

筆者は、それは経験だと考えます。

 

例えば、どんなに高価でおいしいものを食べたとしても、1人で食べる場合と、大好きな家族と食べる場合では、得られる幸福感が違うということです。

 

逆に言うと、例えば窮屈なLCCのエコノミークラスで旅行をしたとしても、一緒に旅する人が居るだけで、楽しい旅行にも成ります。

収入で結婚相手を選んでも不幸に成るだけ

この研究結果から言えるもう一つのことは、お金持ちの人間関係が、あまり良好なものでは無さそうということ。

 

いくら収入が上がろうが、良好な人間関係を築けていないと、良い経験が得られず、幸福感は得られません。

 

年収がある一定以上に成ると、幸福度がさほど上がらないのは、お金持ちが良い人間関係を築けていないことが原因の一つだと思います。

 

それはおそらく、寄って来る異性でも友人でも、気持ちが通じていない、お金目当ての関係だからでしょう。

 

もちろん、年収300万円よりも500万円のほうが、幸福度は高いです。

しかし、200万円程度の差なら、女性が頑張れば埋められると思います。

 

多少年収が低くても、気持ちが通じる相手と結婚するべきだと思います。

収入が良くても仕事に忙殺されるのは不幸

お金持ちが幸福度が上がらないもう一つの理由が、仕事に忙殺されているからだと考えられます。

 

年収1000万円以上を稼ぐ人は、基本的に忙しいと思います。

医者であれば、日勤で診察のみの医者よりも、24時間勤務で手術も行う緊急担当医のほうが、収入は高いです。

 

しかし、いくらやりがいが有る好きな仕事でも、それにあまりに時間を取られると、幸福度が上がらないのが見て取れます。

 

これも、趣味に時間を費やしたり、家族と過ごすことが幸福度が高いということが分かります。

良い経験は良い人間関係から

人に気を使ったりするのが苦手で、1人が好きという人も居ると思います。

筆者も基本、人見知りです。

 

しかし、1人で得られる経験には限界が有ります。

そして、誰かと共有したり、お互いを想ったりすることで、幸福感は何倍にも成ります。

 

WHOも、孤独が寿命を縮める最大の原因だと言っています。

 

お金も必要ですが、それに負けず劣らず必要なのが、良好な人間関係です。