前回の記事からかなり時間が経ってしまって、その間にも様々な放送や情報、キャンペーンetc. 本当にたくさんのことがあって
その中でも『RE_PRAY』と『notte~』の舞台裏を見た感想を、過去の言葉達を振り返りつつ文章にしていましたが、なかなか書き終わらないうちに時間ばかりが経過してしまって…
そんな中、宇野昌磨選手が現役引退を表明したことを受け、羽生君が報道機関を通じて贈ったメッセージを読んで
(最初は書くかどうか、かなり迷ったけれど)
ずっと羽生選手を応援してきた中で、私が見てきた2人の関係や、今の時点で個人的に感じていることなどを、少しだけ文章に残しておこうと思います。
2人は「2009年全日本ジュニア選手権」で一緒に表彰台に上った頃からの面識で
(実際にはもう少し以前からか…)
羽生君にとっての宇野君は、ライバル・競争相手というより、同期の刑事君、日野龍樹君にとってと同じように、長い間ずっと弟のような存在だったように感じています。
(多分、他の多くの先輩スケーター達にとっても)
そういった環境や、選手生命の短い競技の中で、少年時代からお互いに世界の競技会に出場してきた、数少ない「同期に近い」日本男子シングルスケーター。
宇野選手は一緒に戦った試合後のコメント等で、羽生選手に対して基本的にいつもリスペクトを示してくれていたように、私の中では記憶しています。
平昌オリンピック後、連盟がルール改正や採点で「調整」を続け、世の中にも競技界全体にも世代交代を印象付けていく中で、少しずつ変化していった関係性。
確か「2019年全日本選手権」後の記者会見の時に
羽生選手が
「昌磨は『打倒羽生』を言われるし、僕は僕で、負けたら『惨敗』って書かれるし」
というように発言していて、連盟や報道陣等、周囲の大人達によって様々な負荷を掛けられ、本人達の思惑以外のところで過度な対立を煽られていることについて
自分だけではなく、優勝を争う2人がお互いにそれぞれ大きなプレッシャーを与えられていることを、柔らかい口調で訴えかけていました。
以前は「まだ2番でいいかな」というような発言をしていた宇野君が、徐々に「ゆづくんに勝ちたい」というようになり(それ自体はスポーツとして健全なこと)
羽生君以上にゲーマー(ジャンルは違うけれど)で有名な宇野君が
「ゆづくんが最終目標」と表現したのは
憧れというよりも
羽生選手はフィギュアスケート界の「ラスボス」のような存在で
北京オリンピックでは3人の協力プレイで「強大な敵」を倒し「ゲームクリア」したみたいな感覚だったのではないかと、そんな風に感じてはいました。
「グリーンルーム」での後輩2人の態度に対する強い批判も、何度も目にしてきましたが
それ(2人の態度)以上に、あの時「暫定2位」となった時点で、あの場所にいなくてはならないこと自体が、彼にとってはあまりにも苦痛で
本当はすぐにでもその場から立ち去りたい気持ちを必死で抑え、現オリンピック王者として精一杯明るく振舞い、笑顔で演技を終えたスケーター全員に温かい拍手を贈り、自身の4位が確定した時点で、静かにその場から去っていったので
あの時の2人の行動に、今まで自国とフィギュアスケート界を牽引してきた偉大な先輩に対する態度として
別に失礼ではなかったとか、彼が全く傷付かなかったとは決して思ってはいないし
実際に彼らの態度からは、対戦相手へのリスペクトの気持ちを表す「スポーツマンシップ」は一切感じられず、確かに画面越しにも大きく失望させられたかも知れないけれど
正直あまり彼らを責める気はなく、そういう部分を見る度に
やっぱり選手層の若い「アマチュア競技」なのだと
そして「フィギュアスケート」は、他の体育会系競技とは全く違う空気感なのだと
(どちらがいいとも言い切れないけれど)
そういった印象を常に受けます。
もし仮に、2人に「お疲れさまでした」というような労いの言葉を掛けられ、礼儀は尽くされたとして
確かにその場は、温かい空気に包まれたかも知れないけれど
それはそれで「終わった人」みたいで、彼としてはもの凄く悔しかったのではないかとも感じているので
その深い痛みは、きっと、もっと別のところにあったと、私はそう受け止めています。
(組織からの抑圧と、世界中からの期待や視線の狭間で戦い続けた期間を思い出す度に、今でも胸が苦しくなります…)
ちなみに、宇野選手は試合の6分間練習の後、自分の順番が来るギリギリまで他の選手の演技をよくモニターで観ていて(演技後インタビューが終わってからも)
純粋にフィギュアスケートの演技を見るのが好きだと、全日本で羽生選手のパーフェクトな演技を見た時も、もの凄く喜んでいたので
北京オリンピックの時「TEAM TOYOTA」としてとか、他に思惑があったのだとしても
ISU全体のテーマとして掲げられていた「打倒羽生」の役割を
プログラムの「ベースバリュー」と「ノーミス」の可能性が一番高かったネイサンに託していたのだとしても
あの時の宇野選手の態度として、あれが特に不自然だったとは感じていません。
(オリンピックの高揚感以外は、通常運転というか…)
自分自身が出場している競技会の最中に、誰も羽生選手のような気遣いは出来ないと思うし(それがオリンピックなら尚更)
そのレベルを求めるのも、目指せというのも、実際には少し違和感があって
決して誰にも真似など出来ないからこそ「唯一無二」の存在で
だからこそ、これだけ多くのファンが世界中に存在し
彼に対するリスペクトや賞賛が止まないのだと、私はそう信じています。
「現役引退」の報を受け、羽生君が宇野君へ贈ったメッセージ。
小さい頃から頑張っている姿を見てきた後輩への温かいエールと、2年前に彼から貰った言葉への「返信」と、これからへの期待、これまでの感謝の言葉が綴られていました。
その文章からは
プロ転向後、2人の間で止まっていた2年分の「時間」と
組織の思惑から外れた今
これから先の人生でも、プロとして「スケート」を追求してくれることへの期待
そして、適切な「距離感」があるのを感じました。
「そしてまたスケーターとして、リンクで、笑いながら本気出せる、熱くなれる、2人にしか出来ない時間を過ごせる機会がくることも、どちらも楽しみにしています。」
「『ゆづくん』として『昌磨』と世界で戦ってこれたことが、本当に幸運なことで、楽しかったです。」
という言葉達からは
「プロアスリート」として「フィギュアスケーター」の道をたった一人で歩み続けている彼が
プロになってからも「自分の背中を追いかけてくれる存在」ができたら嬉しいと
そんな期待が込められた言葉のようにも思えます。
そして最後に
「これからも“また”楽しみがありますように。」という一文からは
「“また”以前のように」という意味が込められているように、感じられました。
競技時代、羽生君の背中を追いかけて、世界で戦っている後輩として
試合後やエキシビションのリハーサル時に、ゲームの話で盛り上がっていたり
高難度ジャンプの難しさなど、実際に取り組んでいる選手同士でしか共有できない具体的な話ができる「スケーター仲間」として
自分が他スケーターのファンから受けてきた誹謗中傷を、自身の一部ファンが「昌磨」君に同じように繰り返していることに対し
周囲や世の中の声にとても敏感で、相手に対する気遣いや思いやりに溢れた羽生君が、心を痛めていないはずがありません。
競技フィギュアスケート界の縛りがなくなったことで、2人を取り巻く様々な環境が少しずつでも健全な方向へと改善されていくことを切に願っています。
競技時代、宇野君の存在はある意味、羽生君の癒しでもあったと思っています。
(もしかしたら宇野君は、あまり嬉しくなかったかも知れないけれど…)
2人の楽しそうな笑顔が、今でも記憶の中にあります。
羽生ファンとして、競技の世界でずっと羽生選手の背中を追い続けてくれたこと、公の場で言葉にし続けてくれたことに、とても感謝しています。
宇野君の人生が、これからも充実して輝いたものになりますように…
この先、自ら選んで進んでいく未来でのご活躍も期待しています。
21年間の競技生活、本当にお疲れさまでした。