6月25日(日)

「FaOI 2023」神戸

 

ツアー大楽公演はCS放送で観ました。

 

この公演を最後に引退した

プロスケーター「ジョニー・ウィアー」

 

彼に対して複雑な感情を抱いている方も多いかも知れませんが…

 

これまでの私自身の想いや、フィナーレでサプライズを贈る羽生君を見ていて感じたことなどを、書き綴っています。

 

 

今回のツアーで自身の集大成として

 

「月の光」とともにジョニーが選んだ

 

もう一つのプログラム

「Creep」

 

「Continues~with Wings~」公演2日目。

 

羽生選手に「アヴェ・マリア」を贈ったジョニーが

 

「皆さんへのプレゼント」として披露してくれた演技を観たときから、

今でも私の中で、特別な思い入れのある作品です。(この時の赤い衣装が好き)

 

このプログラムを観たのは、多分初めてではなかったと思うけれど

 

「CwW」会場で観たときに

曲の世界に入り込み、自身の人生を投影したような「物語性」を強く感じる表現に、とても強く惹き込まれたのを、今でもよく覚えていて

 

翌日千秋楽での、あまりにも衝撃的な羽生選手の「告白」を受けて、しばらく呆然としていた時期も、このプログラムがずっと心に残ったまま

 

手の届かない憧れの存在を、遠くから見ていることしか出来ないこの歌詞と、たとえどんなに苦しんでいたとしても、ただ彼の無事を祈ることの他に、何も力になる事が出来ないという、ファンとしての心の痛みや、切なさ、もどかしさのような感情とが重なり

 

きっと寄り添うような気持ちで演技を届けてくれた気がして、精神的に辛い想いを抱えていたあの頃、この曲(「Radiohead」のオリジナルも、他のカヴァー曲も)とプログラムに、とても感情移入していた時期がありました。

 

 

今年の「FaOI」

幕張公演から第一部の演技として選んでいた、プロスケーターとしての彼を代表する、このプログラム。

 

25日

最後の演技の時。

 

暗転したリンクに現れたシルエットは、いつものロングフレアの衣装ではなく、最終日に違うプログラムを用意してきたのかと、一瞬、少しだけショックを受けたけれど…

 

曲が流れ、スポットライトに照らされたジョニーが、煌びやかな衣装を着ることを辞め、ヘアメイクも施さず、普段の練習着のような、ありのままの自分の姿で滑り出したのを見て、一気に涙腺が崩壊してしまいました。

 

今まで表舞台で見せてきた華やかなフィギュアスケーターの人生を終え、普段は光の当たらない練習の日々を最後に観客に見せる意味や、素の自分自身に戻るための儀式のようにも思えて

 

改めてこのプログラムは

「ジョニー・ウィアー」というスケーターの人生そのもののようだと。

 

年を重ねる毎に少しずつ、その表現も変わっていったように思うけれど、今回のツアー、特にこの最終日の演技は、自身のスケート人生を振り返りながら、最後の時間を慈しむように、大切に大切に滑っていたのがとても印象的で、最初から最後まで涙が止まらなかった。

 

 

「フィナーレ」

 

「GLAMOROUS SKY」の後、驚くほど速く着替えて再び登場した羽生君は、フィナーレのあと、すぐにツアーTシャツに着替え、ジョニーとズサー(?)で会場を沸かせ

 

改めてフィナーレの衣装に着替え直し、自分の手で、大輪の白いバラの花束を贈り

 

ジョニーのFS「Otonal」でのステップを、最後のサプライズとして披露。

 

羽生君はずっと泣きながらも、ジョニーを盛大に見送るために出来ることの全てをし、観客の皆さんも、その想いを汲んで、精一杯の感謝と敬意を込めて、彼を見送っていました。

 

溢れ続ける大粒の涙を見て、この「FaOI」でのジョニーとの時間が、今までの羽生君にとって、いかに大切だったかということが、痛いほど伝わってくるようで…

 

 

失うことの辛さを、たくさん抱えながら生きてきた、とても感受性の強い彼。

 

幼いころからスケートを始め、ずっと「フィギュアスケートの世界」で生きてきた人の

 

「スケート人生」の終わりと

 

「新しい人生」の始まり。

 

そして、いつか自分にも訪れる

「その時」

 

 

羽生君があれほどまで涙を流して、お別れの辛さを露わにし、ジョニーの想いに対して感情移入している様子からは、決して表面的な間柄ではないということが、もの凄く伝わってきて

 

そんな彼の気持ちを一番大切にしたいと、改めて強く感じました。

 

 

新潟公演のパンフレットに載っていた二人の対談の中で、ジョニーのメディアでの立場について、敢えて羽生君が触れていることからも

今回の対談に限らず、昨年の「FaOI」でも顔を合わせてきた中で、過去の解説での発言について、何らかの形での言及や、釈明のようなものがあったのではないかと、個人的には思っています。

 

ジョニーだけでなく、スケーター同士の間では、私達が知るより、ずっとたくさんの会話があって、ファンには踏み込めない領域が必ずあるはずだから…

 

 

「CwW」の時にバックステージで、誹謗中傷やメディアに追われる辛い境遇について、ジョニーと話したことに触れていたインタビューも過去にありました。

 

彼が最後の舞台に、日本の「FaOI」を選んだこと

 

彼が競技時代から受けてきた、理不尽な扱い

 

日本での活動に終止符を打ち、米国内で解説者の仕事を今後も続けていくとして、彼にとって、自分の意思だけで簡単にコメント出来る環境ではないことも、容易に想像がつきます。

 

そして、今のその環境は「羽生結弦選手」のフィギュアスケーターとしての圧倒的な強さや、競技の世界を大きく上回る程の人気と、その影響力の大きさゆえに

 

北京オリンピック前、フィギュアスケート界全体に、完全に張り巡らされた「羽生包囲網」の一環だったと、当時も今も感じています。

 

たった一人でそれに抗うことは、その世界に身を置く限りはきっと無理なことだと、そう解釈することしか、私には出来ません。

 

今になって思うと、オリンピック2連覇してもなお、更なる進化を目指し「4回転アクセル」への挑戦を続け、北京オリンピック出場を決意し、3連覇を目標に掲げた彼に対して

 

ルールやジャッジの“調整”によって統制を敷いてきた、とてもスポーツとは思えない競技団体の中で、不当な採点を受け続けてきたと自分でも感じていたはずのジョニーが

 

「オリンピック2連覇」や「スーパースラム」という、周囲から見れば、ずっと成功し続けてきたように映る羽生選手に、あの頃わずかな嫉妬心が芽生えていたとしても、正直不思議ではありません。

 

「王者」は、それまでの「苦悩」を表に出すことが出来ず

「自分の気持ちなど、誰にも理解出来るはずもない」と、

 

「敗者」達は、その「痛み」を抱えながら

「成功者には、負けた人間の気持ちなど理解出来ない」と、感じているように…

 

 

ずっと以前から羽生選手が受けてきた妨害や、平昌オリンピック以降、徐々にあからさまになっていった、不当なジャッジを受け続けた時期、

 

そして、北京オリンピックで「努力が報われなかった」と感じた挫折感を味わったことで、改めてジョニーの心の痛みと重なる部分が、以前よりも大きくなり

 

コロナ禍での空白の3年間を経て、昨年の「FaOI」で再会し、傷付いた羽生選手を見たジョニーも、きっと今までとは違う感情で彼に接し

 

本当の意味で、お互いに相手の心を理解し、寄り添えるようになったのかも知れないと、そんな風に今は感じています。

 

 

これから先、試合の解説の仕事を続けていく中で、ジョニーの口から再び、羽生君を蔑むような発言を聞くことがあるかも知れない。

 

もしも、そのような時が来てしまったら、羽生君のファンは、あの時の恩を忘れたのかと、再び彼を強く非難するかも知れません。

 

そんな、この先の未来を憂慮した上での、対談での発言でもあったのではないかと、あくまで個人的にですが、そんな風に考えています。

 

 

北京オリンピック前。

暗闇の中でたった一人練習を続けてきた羽生選手へ、さらに追い打ちをかけるような酷い発言は、自国の関係者や視聴者を盛り上げただけでなく、彼を大きく傷つけることにも、きっと成功したのでしょう。

 

それでも羽生君は、ジョニーと自分のファンが直接的に争っていることにも、心を痛めていたように感じてきました。

 

出来ることなら、そのわだかまりを無くし、会場へ集まったファンとともに、ジョニーの最後の公演を、彼にとって美しい思い出として残るように、きっと全力以上の想いと、願いを込めて準備をし、当日を迎えたのだと…

 

 

2010年からずっと一緒に出演し、ツアー中、同じ時間を過ごしてきたファミリーのような存在

 

自身も競技スケーターでありながら、シニア1年目のFS「チゴイネルワイゼン」の衣装デザインをしてくれた人

 

東日本大震災の時も、とても心配し、心を痛めてくれた人

 

ソチオリンピックシーズンの「ロミオとジュリエット」の衣装を製作し、応援してくれた人

 

ソチも平昌も「金メダル」を祝福してくれた人

 

ファンとして知っていることだけでも、これまでの様々な出来事が思い出されます。

 

フィギュアスケーター同士でしか共有出来ない、一般とは異なる特別な世界。

 

きっと、いくつかの酷い言動だけで変わるような関係性では決してないのだと、この日の2人を見ていて、改めてそう感じました。

 

 

2016年6月

「FaOI」長野公演。

 

羽生選手は「左足リスフラン関節靭帯損傷」で治療を続ける中、結局最後まで出演は叶いませんでしたが、一縷の望みをかけてチケットを取っていたので、空席を増やしてはいけないと感じ、公演を観に行きました。

 

(初めて羽生選手の出演しない公演を観て、彼の出演が決まるまで、私はチケットを購入するべきではないと感じた時)

 

公演後、長野駅で偶然見かけたジョニーは、圧倒的に華やかで、モデルのように美しく、

羽生君が以前「ジョニーはアイドル」と形容したように、特別なオーラを放ちながら、大勢のファンに囲まれ、ショッピングを楽しんでいました。

 

 

スポットライトが消える時

 

自己表現の手段として

ずっと自分自身を証明してきた場所

 

「フィギュアスケーター」としての幕を閉じる時

 

 

2014年からその演技を観てきました。

美しい演技と、感傷と、感動を、ありがとうございました。

 

ジョニー・ウィアーさんの新しい人生も、幸せを感じられる日々が続きますように…