FaOIから2年の時を経て、2021年の「Dream on Ice」で披露された『マスカレイド』

 

表現力がより一層深みを増して、羽生君が、このショーに向けて試合同様に滑り込んできたと言っていたように、プログラムとしてもの凄く成熟され、大人の演技になっていたと思う。

 

曲の世界観により忠実な、悲しみや心の痛み、孤独感を、この2年間と重ね合わせるように演じながらも、感情を客観的に捉え、どこか冷たさも感じられる憂いを帯びた表情で、人の内面をスケートで表現するスキルも格段に上がっていたように感じた。

そして最後は、様々な事象に翻弄されながら、それまでずっと抑えていた感情を一気に放出させるような演技で、

フィニッシュの、仮面を象徴する左手の手袋を外す振付では、前回は仮面を氷に叩きつけて割ってしまうような激しさだったのが、この時は仮面を剥がして脱ぎ捨てるようなイメージで、拾い上げた後、また大切そうに扱う一連の仕草までがとても印象的だった。

 

特に最終日のエンディングでは、右手は手袋を外し、左手はもう一度仮面である手袋をはめて登場していて、そこには、素の「羽生結弦」と、世の中が期待する「羽生結弦」の両方と共に生きていくという、改めて彼の意思表示、あるいは覚悟が込められているように思えた。

 

 

2年前のあの時には、あの演技がきっと必要で、感情を激しく表出させる演技でなくては伝わりきらない思いがあって、それによって羽生君の願いは叶ったと感じているし、

この時は、あの時とはまた違った、彼自身の苦しみと世の中の不条理とを、この曲の世界観と重ね合わせて演じているように伝わってきました。

 

 

この時の演技を観て感じたのは、オリンピック2連覇後、それ以前からもずっと磨いてきたプログラムの技術面と表現面の融合を更に磨き上げ、競技プログラムでの経験も生かして、パッションを「演技」でここまで表現出来るのかという驚きで、とどまることを知らない彼の成長に、また改めて感銘を受けたのを覚えています。

 

 

この「DOI2021」の3日間の演技を、今この時期に見返して改めて感じたことは、この時の演技を通して表現力も更に磨かれ、必要な要素を高い技術で詰め込んだ、あの圧倒的な『序奏とロンド・カプリチオーソ』の演技に繋がっていったのだと、

それはまた『悲愴』や『レクイエム』から続く、苦悩のプログラムの系譜でもあるように感じています。